蓮華寺

会津風土記内検索 / 「蓮華寺」で検索した結果

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  • 蓮華寺
    陸奥国 会津郡 中荒井組 下荒井村 蓮華寺 大日本地誌大系第31巻 44コマ目 松命山と號す。山城国醍醐報恩院の末寺真言宗なり。 開基の僧を仁範といい、紀州(*1)の人にて初め鎌倉雪下に住し葦名直盛の勧によりこの地に来り、康暦元年(1379年)にこの寺を建立す。 齢傾けども願心やまず高野に詣で臨終を遂んとて、旅装を催し杖に扶けられ蟹川に至る。岸上に垂釣(すいちょう)(*2)の翁ありていづくに往くと問う。仁範宿願の由(よし)を語れば即 高野山餘所にはあらじ下荒井三鈷の松の法の朝風 という和歌を詠してその行を留む。仁範怪でその松何れに在やと問えば「汝が寺の境内にあり。これより汝が寺を松命山蓮華部寺清浄院と號すべし」とてその形みえず。仁範奇異の思をなし帰てその院中を見れば、その松正しく3葉にして3鈷称にかなえり。この松年を歴(へ)て枝葉繁茂せしが、早乙女不浄衣とその枝...
  • 会津郡中荒井組下荒井村
    ...いう。 寺院 蓮華寺 村中にあり。 →蓮華寺 寶壽院 村中にあり。 護命山と號す。 真言宗蓮華寺の末寺なり。 もとは蓮華寺の院内に在て6坊の一なり。 天正の兵燹(へいせん)(1589年)の後寶順と云う僧この地に移せりという。 本尊地蔵客殿にあんず。 覺蔵院 村中にあり。 山號を良翁山という。真言宗蓮華寺の末寺なり。 元は寶壽院と同く本寺の院内にあり。 天正17年(1589年)宥雄という僧移してここに営せりという。 本尊地蔵客殿に安ず。 地蔵堂 端村平太屋敷にあり。 建立の年暦詳ならず。 地蔵木像、長8寸。作者を知らず。 修験霜洗院司なり。 古蹟 五重塔跡 村北20間にあり。 舊事雑考に或記を引て、應安元年(1368年)に供養せしという。 今、本郡南青木組北青木村恵倫寺にこの村康寧山寶壽禪寺の鐘あり。『康安二年壬寅仲呂日』...
  • 会津郡中荒井組蟹川村
    ...という。 下荒井村蓮華寺の末寺真言宗なり。 本尊地蔵客殿に安ず。 古蹟 寺跡 端村河崎の北2町50間にあり。 下荒井村蓮華寺の遺趾なりという。 三鈷の松もこの地にありしという。 蓮華寺 北会津村誌蟹川村および川崎・小出村 北会津の昔ばなしと伝説中島稲荷とタケノお婆ん 帰っていった婆様 Google Map蟹川蟹川本村地区 蟹川東地区 小出地区 川崎地区(河崎) 富士神社·鬼渡神社·磐梯神社(小出) 寳光院(小出) 寺跡 - 不明 蟹川橋 牛頭天王神社? 神社?
  • 会津郡中荒井組田村山村
    ...。 真言宗下荒井村蓮華寺の末寺なり。 もと蓮華寺6坊の一にしてその境内にあり。 天正巳丑のの兵火(1589年)にかかち宥覺という僧この地に移せりという。 弘法を本尊とし客殿に安ず。 観音堂 住吉神社の北にあり。 創造の年月詳ならず。 会津三十三順禮の一なり。 養泉院これを司る。 古蹟 館跡 村中にあり。 東西29間・南北50間。 民居となり字を館内と唱ふ。 何人の居りし所なることをしらずと云う。 壇2 村の2町30間余丑寅(北東)の方にあり。 西を灰塚(はひつか)と称す。高6尺・周20間余。 一はその東30間余、石原村と入会の地にあり糠塚(ぬかつか)と称す。高9尺・周30間余。 東西に相對(あいたい)して田畝の中にあり。土民その来由を伝えず。 天明中(1781年~1789年)灰塚より管の如なる青石数枚と破鏡1片を堀出す。青石は美須麻流の...
  • 千軒道
    ...う)。 寺院 蓮華寺 この通の北頬にあり。 浄土真宗京師西本願寺の末山なり。 始は郭内米代(その地詳ならず)にありて壮麗の寺なししが、天文の頃(1532年~1555年)無頼の住持ありて寺宝を携て出奔す。一族了誓というもの葦名氏に請て再興す。故(ゆえ)にこれを中興の祖とす。 文禄中(1593年~1596年)城郭修築の時今の地に遷れり。 本尊弥陀客殿に安ず。 浄国寺 蓮華寺の西に並べり。 古今山と號す。大町融通寺の末寺浄土宗なり。 相伝う、京師東山禪林寺の学侶空山という者文禄元年(1593年)この地に来て開けり。 本尊弥陀客殿に安ず。 観音堂 境内にあり。 定善寺 浄国寺の西にあり。 山號を光明山といい下野国大澤圓通寺の末寺浄土宗なり。 慶長16年(1611年)利圓という僧この寺を草創す。 本尊弥陀客殿に安ず。 白山神社 境内にあり...
  • 河沼郡牛沢組朝立村
    ...。 会津郡下荒井組蓮華寺の末山なり。 旧耶麻郡慶徳組松野村にあり。縁起を案ずるに、勝次郎(すぐれ-)という者この寺を草創す。天正11年(1583年)次郎松本太郎に与力しければ、近村の地頭とも押寄て村中に火を放ちければ寺もその災にかかる。その後さ都民勝が旧恩を慕い再興して冥福を祈りしとぞ。 元禄8年この地に移せり。 本尊不動客殿に安ず。 松本太郎の逸話について河沼郡笈川組笠目村 - 館跡の条 河沼郡笈川組笈川村 - 館跡の条 大沼郡高田組竹原村 - 今泉寺の条 河沼郡代田組島村 - 旧家・伴野次郎右衛門の条 Google Map若宮八幡神社 最勝寺
  • 高巖寺
    ...の三尊の像もと萱津村蓮華寺にありし由なり。按ずるに河沼郡牛沢組上萱津村昔は萱津村と言いし由見ゆ。同組に中茅津あり。また坂下組に下茅津村あれども皆昔蓮華寺といい寺ありし事を伝えず) また葦名盛高の位牌を安ず。『常勝院殿天祥麟公』と記せり。年々盂蘭盆の時香奠(こうでん)を供す。 庫裏 12間に5間。 鐘楼 客殿の東南にあり。 懸る所の鐘は延寶中(1673年~1681年)改め鑄所なり。 径2尺5寸。その銘左の如し。 (※略) 忠郷墓 客殿の北にあり。 封土のほとりに渠を繞(めぐ)らし上に杉3株あり。枝葉繁り森々たり。 忠郷慶長17年(1612年)9月封をつき、寛永3年(1626年)参議に任ぜられ、同4月(1627年)痘瘡を患て卒す。 年25同23日当寺に葬る。法號を見樹院得譽玄光という(舊事雑考に玄光を元光に作る) 同影堂 総門を入て右にあり。 束帯...
  • 会津郡中荒井組寺堀村
    ...電山と號す。下荒井村蓮華寺の末寺真言宗なり。 草創の年月詳ならず。 何れの頃にか本行という僧旧宇を中興し、承應2年(1653年)圓説という僧再興せしという。 本尊地蔵客殿に安ず。 毘沙門堂 境内にあり。 毘沙門木像、長4尺。 相伝て、本行一日の垢離(こり)(*1)の為に村南の深淵(今その跡僅(わず)かに残れり)に至りしに、この像水底より浮かび出づ。本行心肝(しんかん)に銘じ担い帰て安置せしという。 北会津村誌寺堀村 北会津の昔ばなしと伝説寺堀の毘沙門天 Google Map富士神社 毘沙門堂
  • 会津郡中荒井組石原村
    ...沢山という。下荒井村蓮華寺の末寺真言宗なり。 康保元年(964年)久光坊という者草創せりという。 本尊不動客殿に安ず。 薬師堂 境内にあり。 堂仲に小石1を蔵む。 形橢(だ)にして長6尺計。寛文4年(1664年)盂蘭盆会に村童松火を焚んとて石を聚めし中にこの石あり。 『康保元甲子年二月十二日 開山石澤山藥師寺久光坊』と書付ありしという。今は文字さだかならず。 古蹟 館跡 村中にあり。 肝煎の別宅となり亨徳の頃(1452年~1455年)石原刑部信清という者住せしという。 北会津村誌石原村 北会津の昔ばなしと伝説オシンメイサマとおひなさまの由来 Google Map石沢山宝蔵院 伊勢之宮とおしんめい様祠
  • いろいろ
    ...寺 浄光寺 妙法寺 蓮華寺 恵倫寺 寶積寺 天寧寺 会津高野山(冬木沢) 柳津虚空蔵堂円蔵寺 日新館 方言 風習など 太子守宗 沼御前神について 会津地震 / 山崎新湖 歴代会津領主と主な出来事 陸奥国司表 皆鶴姫 城四郎重範 風土記内の長さについて(凡例より) 単位 長さ m/km換算 細かい数字 1里 36町 約4.1km 約4,123.76832m 1町 60間 約115m 約114.54912m 1間 6尺3寸 約1.9m 約1.909152m 折衷尺(寛政12年(1800年)伊能忠敬が測量に使った単位) 1尺≒30.304cm 1寸≒3.0304cm ※6尺 181.824cm + 3寸 9.0912cm = 190.9152cm = 1.909152m ※現在のメートル法とは誤差あり 国文学研究資料館でも会津風土記を公開してい...
  • 会津郡中荒井組荒田村
    ...いう僧住し、下荒井村蓮華寺の末寺となりしという。 本尊大日客殿に安ず。 古蹟 館跡 村東1町30間にあり。 今は畠となりその形なし。 字を館内という。 何人の住せし跡なるや詳ならず。 北会津村誌荒田村 Google Map安良田村社熊野神社(熊野権現山神社) 多光山東泉寺 小さな社
  • 大沼郡高田組寺崎村
    ...津郡中荒井組下荒井村蓮華寺の末寺真言宗なり。 山號を堅實山という。 本尊大日客殿に安ず。 Google Map稲荷神社 佛照寺
  • 会津郡中荒井組本多村
    ...井山と號す。下荒井村蓮華寺の末山真言宗なり。 慶長16年(1611年)行運という僧草創せしという。 本尊不動客殿に安ず。 北会津村誌本多村および本多新田村 北会津の昔ばなしと伝説鎮守様は犬がきらい Google Map村社菅原神社 出井山本泉寺(マリア観音)
  • 大沼郡高田組新屋敷村
    ...津郡中荒井組下荒井村蓮華寺の末寺真言宗なり。 本尊弥陀客殿に安ず。 薬師堂 村北1町40間余にあり。 薬師、長3尺余、木佛座像なり。作者知らず。 昔何の頃にかこの村に田子道宥という地頭あり。聊(いささか)宿願の事ありて、この堂を草剏し持伝えし薬師を安置すとぞ。因て田子薬師と称す。 もとはここより5町余東北にありしという。 常福寺これを司る。 Google Map新屋敷地区 新屋敷一里塚 日枝神社(山王権現) 常福院 田子薬師堂(常福院薬師堂) 十里神社跡地 雷神社 見守地蔵尊
  • 会津郡中荒井組鷺林村
    ...。 真言宗下荒井村蓮華寺の末寺なり。 本尊地蔵客殿に安ず。 古蹟 百騎沼(ひやくきぬま) 村北3町10間にあり。 昔石川氏(諱を伝えず)一盃館(本多村の境内に遺跡あり)に拠りしとき、月夜に兵を出せしに折しも蕎麦の花盛りにて路上一面に水色の見えしかば、百騎の兵一同にその沼に駆入り溺死す。因て名つけしという。 寛文の頃(1661年~1673年)までは周60間計ありしという。今は葭多く生じ形僅(わず)かに残れり。この邊より往々鎧・草摺(くさずり)のくちたるを堀出す事なりとぞ。 舊事雑考に或説を引きて、貞和5年(1349年)会津小松合戦と言うはこの時の事なるべしと云えり。 蓼川 - 流域に今和泉村の頭無清水がある? 北会津村誌鷺林村 北会津の昔ばなしと伝説百騎沼 Google Map鷺林地区 八王子神社 石碑(西福寺跡?) 百騎沼 - 現存せず
  • 会津郡古町組古町村
    ...金光山と號す。近江国蓮華寺の末山、時宗なり。 何の頃にか河原田氏の祖草創し、蓮華寺の徒一阿という僧を請て住せしめ、寺産許多(あまた)を寄付し、塔頭(たっちゅう)十余字ありてさばかりの梵字なりと云う。その後も河原田氏の臣・芳賀安房某と云うもの及びその支族年壇越(だんおつ)の因ありて什物(じゅうもつ)も多かりしが、天正18年(1590年)に兵燹(へいせん)に罹り、佛像及び寺宝(じほう)数箇を遺し余は悉(ことごと)く亡せしとぞ。寛文の頃(1661年~1673年)までは猶(なお)塔頭(たっちゅう)四字ありしと云う。 客殿 9間に7間。南向。 本尊弥陀、長3尺。 脇立観音・勢至共に長2尺、運慶作と云う。 本尊の背後に『嘉祿三年三月』(舊事雑考にはこの下に三月云云とあり。今は剥落して見えず)と書付あり。 ※嘉祿三年=1227年 鐘樓門 客殿の南にあり。 3間四面。 金光...
  • 会津郡橋爪組西麻生村
    ...本郡中荒井組下荒井村蓮華寺の末山なり。 開基の初詳ならず。 永禄4年(1561年)俊意という僧中興せり。 本尊大日客殿に安ず。 墳墓 古塚 村南8町40間余にあり。 高1丈・周30間。 土人上人壇と唱ふ。 北会津村誌古麻生村および西麻生村・麻生新田村、天満村 大島の上人壇 北会津の昔ばなしと伝説麻生の由来 Google Map神社 如意山寶幢院 上人壇(案内板あり)
  • 会津郡中荒井組今和泉村
    ...いう。真言宗下荒井村蓮華寺の末寺なり。 天正19年(1591年)天台の僧豪圓という僧草創し、慶長5年(1600年)宥俊という僧住して長泉寺と名けしという。 本尊地蔵客殿に安ず。 古蹟 館跡 村北2町40間にあり。 東西30間余・南北10間余。 昔関山出雲守某という者住せし所という。字を屋敷と称し井の跡あり。 北の方に五輪壇と称する小壇あり。もとはここに五輪ありしという。 南の方の田に柳館屋敷前等の字あり。 ここより1町計隔て北の方に出雲河原という処あり。 旧家 惣左衛門 関山出雲守が末葉にての後に農民となり享保の頃(1716年~1736年)まで出雲守が館跡に住せしという。 家に槍1筋を伝ふ。 北会津村誌今和泉村 Google Map神社? 長泉寺 頭無清水 この地区の北西(鷺林地区の北東)に頭無清水という所があります。 頭無清水(ト...
  • 耶麻郡
    ...が争ったが、近世には蓮華寺が別当であった。宥明は同寺中興開山とされ、文禄四年(1595)領主蒲生氏郷から社領50石の寄進を受けるなど、当山の整備を進めた。 元禄期(1688~1704)を境に修験色は弱まり、稲作信仰と成人儀礼を中心とする庶民信仰の形態をとるようになり、置賜地方・会津地方では13~15歳で参詣してはじめて若衆組に入ることが許されたという。また稲作信仰では種蒔山のイナゴハラに自然発生したと信じられている水稲オヤマシネに対する信仰が中心となり、たとえば山開きが旧暦8月1日(210日前後)とされるのは、修験道の心身錬成の名残であると同時にオヤマシネの成熟期がこの頃であり、初穂を捧げに参詣したためと考えられている。 登拝口は表参道である会津側の一ノ戸口と弥平四郎(やへいしろう)(現耶麻郡西会津町)、越後側には滝谷(たきだに)口(現新潟県新発田市)、出羽側では長者原(ち...
  • 持筒町
    陸奥国 若松 郭外 持筒(もちづつ)町 大日本地誌大系第30巻 185コマ目 ※国立国会図書館・万翠堂版新編会津風土記より 八十人町一番丁の東に続き、中ころにて少し北に折れ、また東の方滝沢町に通す。 長3町余・幅3間余、家数60軒。 中ころより南に折れ中六日町に行く通あり。 (東黒川蚕養宮村・八角分・千石町分の地雑れり) 寺院 法華寺 この町の北頬にあり。 隆国山と號す。房州(*1)小湊山誕生寺の末山法華宗なり。 開基の年代詳ならず。 寛永中(1624年~1645年)加藤成明の室豫洲(*2)より日栄という僧を召て住せしむ。これを中興開山とす。 鐘楼に懸る処の鐘・径2尺9寸『寛永三年辛亥冬十月吉辰日妙代』と彫付あり(※寛永三年(1626年)は丙寅…)。銘は略しぬ。 三十番神社 境内にあり 寶物 宣旨 1通。その文如左  ...
  • 会津郡古町組宮床村
    陸奥国 会津郡 古町組 宮床(みやとこ)村 大日本地誌大系第31巻 124コマ目 府城の西南に当り行程18里26町。 家数24軒、東西1町・南北1町50間。 東は山に連なり西は檜枝岐川に傍(そ)ひ南北田圃(たんぼ)なり。 東3町・南2町、共に山口村の界に至る。その村は未(南南西)に当り26町。 西2町鴇巣村に界ひ檜枝岐川を限りとす。その村は未申(南西)に当り4町。 北7町和泉田組界村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り9町。 山川 檜枝岐川 村西2町にあり。 山口村の境内より来り、北に流るること14町余、界村の界に入る。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 山神    八龍神 勧請 不明 村より丑(北北東)の方3町にあり。 鳥居あり。界村渡部信濃が司なり。 愛宕神社 祭神 愛宕神? 鎮座 不明 村より巳(南南東)の方3町...
  • 会津郡熨斗戸組森戸村
    陸奥国 会津郡 熨斗戸組 森戸(もりと)村 大日本地誌大系第31巻 113コマ目 府城の西南に当り行程17里14町。 家数31軒、東西2町20間・南北30間。 山間に住し南に立岩川あり。 東50間八総村の界に至る。その村まで8町。 西4町熨斗戸村の界に至る。その村まで8町。 南55間井桁村に界ひ立岩川を限りとす。その村は辰(東南東)に当り8町。 北1里15町古町組多々石村の山に界ふ。 また丑寅(北東)の方1里24間高野組針生村の山界に至る。その村まで3里。 木地小屋 保上(ほうしやう) 本村の丑寅(北東)の方1里にあり。 家数9軒、東西30間・南北50間。 山中に住す。 山川 立岩(たていわ) 村西1町にあり。 棟15丈・周18丈計、屏風をたてたるが如し。 村老の口碑(こうひ)(言い伝え)に、むかし一夜に涌出(ゆうしゅつ)す。郷名の由て...
  • 河沼郡坂下組細工名村
    陸奥国 河沼郡 坂下組 細工名(さいくな)村 大日本地誌大系第33巻 121コマ目 府城の西北に当り行程2里12町。 南北2区に住しその間2町20間余を隔つ。 南を上細工名という。東西40間・南北1町12間、家数7軒。 北を下細工名という。東西38間・南北1町40間、家数16軒。村中に越後街道あり。 共に四方田圃(たんぼ)にて東は鶴沼川に近し。 東14間・南47間、共に塚原村の界に至る。その村は南に当り4町20間余。 西3町30間下茅津村の界に至る。その村まで9町40間。 北7町7間青津組村田村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り7町余。 また 戌(西北西)の方7間海老沢村の界に至る。その村まで8町10間余。 山川 鶴沼川(つるぬまかわ)(大川(おほかわ)) 俗に大川という。下同。 下細工名より5町寅(東北東)の方にあり。 塚原村の境内より来...
  • 滝沢町
    陸奥国 若松 郭外 滝沢(たきざは)町 大日本地誌大系第30巻 184コマ目 妙法寺前通、八十人町長丁、同中丁、同一番丁、同二番丁、同三番丁、同四番丁 ※国立国会図書館・万翠堂版新編会津風土記より 上町の北にて通数条あり、総てこれを滝沢町という。滝沢村に往来する道故(ゆえ)この名あり。 この1区、多くは組町にて外に滝沢町と称し商人の家居1町あり(持筒町中村等の条下に滝沢町と註せるものこれを指す)。 妙法寺前(めいほふじまえ)通 甲賀町の末に続き北の方東黒川上河原分の田圃(たんぼ)に通す。 長2町10間余・幅3間、家数8軒。 寺院 久福寺 この通の西頬にあり。 長照山と號す。佐州(*1)蓮華王山妙宣寺の末寺法華宗なり。 慶長9年(1604年)日圓という僧開基す。 三十番神社 境内にあり。 妙法寺 久福寺の北に並ぶ。 →妙法寺...
  • 会津郡古町組木伏村
    陸奥国 会津郡 古町組 木伏(きふし)村 大日本地誌大系第31巻 122コマ目 府城の西南に当り行程18里23町余。 家数48軒、東西2町・南北4町6間。 東は山に倚り西は檜枝岐川に近く南北田圃(たんぼ)なり。 東1里3町入小屋村の山に界ふ。 西5町大橋村に界ひ檜枝岐川を限りとす。 南4町2間古町村の山界に至る。その村まで18町20間。 北2町40間水根沢村の界に至る。その村まで2町40間。 また 未申(南西)の方1里の方5町青柳村の界に至る。その村まで9町。 山川 唐倉山(からくらやま) ※国立公文書館「新編会津風土記43」より唐倉山図 村の辰巳(南東)の方31町余にあり、登ること13町計。 さまでの高山ならざれども、勢最嶮しく峯を伝ひてわづかに1路を通ず。 その間許多(あまた)の奇岩あり。佳観(かかん)とす。 麓より登ること...
  • 安積郡福良組福良村
    陸奥国 安積郡 福良組 福良(ふくら)村 大日本地誌大系第34巻 18コマ目 村北に鶴山・亀山とげ2の小山あり。この鶴亀の名に拠て、祝して福甫と名くという。今は転じて福良に作る。 府城の東に当り行程5里34町余。 家数134軒、東西6町28間・南北3町。 白川街道を挟み南北両頬に連なり、東端にて南に折る。 西の入口を古町と称し、その次を中町と称し、東端を荒町と称し、村中より北に出る小路を新町と称す。また、南の方に裏町あり。 東は山を擁し三方に田圃(たんぼ)を闢く。 白川街道駅所にて村中に本陣を置き、官より令せらるる掟条目の制札あり。 赤津村駅より20町48間ここに継ぎ、ここより33町33間三代村駅に継ぐ。 村西白川街道に一里塚あり。 東18町29間三代村の界に至る。その村は卯辰(東~東南東の間)に当り29町10間余。 西9町4間余...
  • 耶麻郡木曽組板沢村
    陸奥国 耶麻郡 木曽組 板沢(いたのさは)村 大日本地誌大系第32巻 143コマ目 府城の西北に当り行程7里18町。 家数18軒、東西2町・南北2町。山の半腹に住す。 東3町五目組山岩尾村の界に至る。その村まで11町。 西北、共に一戸村の山に連なり界域分明ならず。 南12町背戸尻村の界に至る。その村まで21町。 また 未(南南西)の方4町沼平村の界に至る。その村まで24町。 山川 花立山(はなたてやま) 村より辰巳(南東)の方3町にあり。 ここより谷を隔て虚空蔵堂あり。昔女人結戒(ゆいかい)の地なりし故、婦人の参詣する者この山にて花を挿み遥拝(ようはい)せし故(ゆえ)名くという。 狸山(たぬきやま) 村西10町にあり。 この山の前にあるを蝸牛山(かさつふりやま)という。 共に高150丈計、双峯(そうほう)相峙つ。 木兎山(みみつくやま) ...
  • 耶麻郡小沼組漆村
    陸奥国 耶麻郡 小沼組 漆(うるし)村 大日本地誌大系第32巻 58コマ目 府城の北に当り行程5里1町。 家数79軒、東西3町30間・南北2町50間。 東25町下川前村の界に至る。その村まで1里7町。 西3町29間・北8町30間、共に熊倉組下吉村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り4町40間余。 南5町47間熊倉組熊倉村の界に至る。その村まで13町。 また 辰巳(南東)の方12町58間関屋村の界に至る。その村まで16町。 未申(南西)の方11町20間熊倉組中里村の界に至る。その村まで14町50間。 端村 谷地(やち) 本村の西8町にあり。 家数19軒、東西1町42間・南北1町16間。 四方田畠なり。 戸合(とあひ) 本村の東12町50間余にあり。 家数5軒、東西46間・南北30間。 南は大塩川に傍ひ三方田畠にて東北は山に近し。 山...
  • 耶麻郡五目組熱塩村
    陸奥国 耶麻郡 五目組 熱塩(あつしほ)村 大日本地誌大系第32巻 112コマ目 この村もと慈眼寺村という。後今の名に改めしが再び示現寺村に作り、寛文中(1661年~1673年)より古名に復して今の村名とす。村中に塩湯ある故(ゆえ)名くという(示現寺の条下に詳なり)。 府城の北に当り行程6里20町余。 家数20軒、東西2町4間・南北40間。 四方山環れり。 東1里計小田付組入田付村の山に界ふ。 西3町4間黒川村の界に至る。その村まで5町余。 南12町20間栗生沢村の界に至る。その村まで14町30間。 北3町4間日中村の界に至る。その村まで14町10間。 また 丑(北北東)の方13町56間水沢村の界に至る。その村まで18町40間余。 未申(南西)の方7町38間金屋村の界に至る。その村まで11町余。 端村 間瀬(ませ) 本村の北11町余にあ...
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    車峠の茶屋は昭和40年代まで住居として使われていたようです(なおその当時で電気が通っていなかったとの事)が、その後廃屋となり、昭和五十五年に雪害で潰れてしまったそうです。 - とんりすんがり (2020-05-27 22 03 41) 昭和40年代って事は車トンネルが出来たタイミングで引っ越しされたんでしょうか。雪で潰れてしまったのは残念です。越後街道の遺産として何かの形で残して欲しいものですね。 - 管理人 (2020-05-28 08 00 38) 車トンネル開通のタイミングで引っ越されたというのは大いに有り得ますね。高齢の男性が一人で住んでおられたとの事で、お子さんの家に移られたか或いはトンネル開通を待たずに亡くなられたのかもしれません。会津は豪雪地帯なので人の手入れが離れた建物は時を置かずして潰れてしまうので仕方ない面もありますが、いずれにせよ残念です。 - とんりすんがり (20...
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