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ライダーバトル

登録日:2011/03/11 Fri 07:55:39
更新日:2026/06/23 Tue 19:09:19
所要時間:約 4 分で読めます



お前、何でこんな…!

フハハハハ……



こういうもんなんだろ、違うのか?



ライダーバトルとは、特撮ドラマ『仮面ライダーシリーズ』内にて発生する仮面ライダー同士の戦いを指した単語である。

いわば、劇中のヒーロー的立ち位置の姿をした者達が手合わせなどではなく、生死をかけた戦いを繰り広げる展開のライダー版なのだが、ウルトラマン同士の戦いやプリキュア同士の戦いと違い、制作陣からはタブー扱いされず度々発生する。
というのも、仮面ライダーは他のシリーズと違い『変身メカニズムが悪の組織の技術由来である事が多い』ため、正義の力が悪用されてしまうという構図ではなくなり、描写するための制約がより少なく済むのだ。
身も蓋もない言い方をすれば『主人公である仮面ライダーも怪人の一種、または組織の力を本来の用途とは異なる使い方をしている存在であり、それを良しとしない組織側が送り込んでくる刺客の中に同じ技術を用いた者がいても何らおかしくはない』のである。
『一見治安維持のために力を求めている組織も、実のところ悪の組織側と結託してマッチポンプを起こし、それに気が付いた主人公側が脱退して反抗する』という展開も他シリーズに比べて描きやすい。
そういう経緯を辿った人物が別の組織の仮面ライダーを目の当たりにすれば「彼は正義の味方側なのか? ひょっとするとテロ行為をする怪人なのでは?」と疑念を抱いてしまう可能性も十分にありうるのだ。

大元である石森章太郎作の『萬画版仮面ライダー』では、ショッカーの刺客として現れた2号1号と戦った。
逆に実写では1号がショッカーに捕まり、洗脳されて2号と交戦した。
実写版『仮面ライダーV3』では、V3ライダーマンがお互いの主張の相違から戦った事がある。
ただしこの時のライダーマンはまだ「復讐の鬼」であり「仮面ライダー4号」となっていないのは考慮すべき点である。


マフラーが黄色いのが災いしたかライダーマンはこの後もストロンガーを襲ったりZXには逆にバダンと間違われて襲われたりしている。

また、漫画仮面ライダーSPIRITS』では、BADANを裏切ったZXがストロンガーにケンカを売られる場面もあったりする。

上記の通り仮面ライダーを生み出したのが敵組織であることも多く、当然の帰結としてショッカーライダーを元祖とする同系列の怪人が現れることも多い。
この場合ライダー類は通常の怪人より強いことが多く、ラスボス四天王ポジションなどを務めることもある。
兄弟作品と言えるサイボーグ009人造人間キカイダーでもこの展開は見られ、ある意味で石森作品の王道ともいえる。


ここでは「悪の組織に所属していない者同士が、自らの意志で戦いあう」ものを中心に取り上げる。




【概要】

名前の由来はガンバライドのキャッチフレーズとされるが、ガンバライド登場以前からあるとする声もある。

そもそもな話、『何でヒーロー同士が戦うのか?』と言うと平成仮面ライダーシリーズが一部の例外を除けば群像劇の形式を取っているためである。
登場人物である仮面ライダー達はそれぞれ様々な事情を抱えた者が多く、それが原因で度々争いが起こり結果的に戦いに発展してしまうのだ。
またヒーローが仲良しこよし同士だと30分前(後)のスーパー戦隊シリーズと作風が重なってしまうという事情や、制作側にとってはスーツの制作コストが安く済み、かつ変身アイテムの販促が出来るという事情もある。

原因は主に誤解やすれ違い。
中断される事もあるが、時には片方が大きな負傷を受ける時もある。

番組初期から複数のライダーを登場させた『仮面ライダーアギト』に始まり、ライダー同士の戦いそのものをテーマにした『仮面ライダー龍騎』で法則が確立。
以降の作品で常習化していった。
第二期前半で一旦鳴りを潜めるが、商業的理由などで怪人削減が進む中で再びメインテーマとして登場している。
ライダーバトルがメインテーマとして取り上げられている作品としては『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー鎧武』『仮面ライダーエグゼイド』『仮面ライダービルド』『仮面ライダーゼロワン』『仮面ライダーセイバー』『仮面ライダーギーツ』が存在している。
ギーツに関してはデザイアグランプリ参加者であるライダー同士の直接対決は減点対象となる為推奨されていない。が、中盤以降はルール変更によってライダー同士の戦闘が描かれるシーンも増えている。

仮面ライダーフォーゼ』の2号ライダー・メテオは、「お前達の正義と俺の正義が一緒だとは限らない」という言葉を残したが、異なる正義がぶつかり合う平成ライダーの物語の中で、ライダーバトルは必然的に起こってしまうもの、とも言える。



【視聴者の反応】

◆否定派

各ライダーの人間性が故に起きた戦いというドラマチックさがライダーバトルの魅力ではあるが「仮面ライダー」という存在をヒーローとして絶対視している人にとっては、仮面ライダー同士が戦うという現象は嫌悪の対象でしかないという。
特にヒーローの象徴として一般的だった昭和ライダーから見ていた人や保護者の類には、そのような思想を持つ者も一定数おり、そういった人にとって「作品内にライダーバトルはあるか?」という点は番組を視聴する上で重要な要素になっている。

例えストーリーの完成度が高く、幾多のファンに評価されたエピソードであっても、まずヒーロー同士が戦っている事が受け付けないため、フラットな評価をされない事が多い。
恐らく彼らが否定するライダーバトルとは、視聴者の視点で「善」のカテゴリーにある者同士がいがみ合う現象なのだろう。
シザースガイインペラー王蛇や朱鬼やシグルドデューク邪武クロノスエボルと多くの劇場版ライダー等の明確な悪の仮面ライダーや魔進チェイサーナイトローグブラッドスタークアナザーライダーなどのいわゆる「疑似ライダー」は否定派からは「怪人」か平成版ショッカーライダーないし平成版シャドームーンとして扱われることもある。

また、仮面ライダーは悪役でもスタイリッシュ寄りのデザインとなっている場合が多く、ゴテゴテした生物感のある怪人のファンにとっては、悪役がライダーばかりなエピソードの放送期間は冬の時代となる。


◆肯定派

逆に、平成ライダー(初期)特有のシリアスさと、そこから生まれるライダーバトルの魅力にハマってしまった人も沢山いる。
価値観が多様化した平成だからこそ起きるすれ違いは、物語により深みを与えるとされる。

そのような人は比較的、平成(初期)から視聴を始めた人が多い。
当然否定派の皆さんとは対立する。リアル特ヲタバトルの勃発である。

もっともそれが行き過ぎるあまり「ライダーバトルがない作品は幼稚」「物語に深みがない」などと見下す者も見られ、特に第二期初期作品におけるライダーバトルを控えていた傾向が「シリアスじゃない」「子供向け」とこき下ろされることも多い。
これらもまた、前述の否定派による評価が反転する形で正当な評価をしてもらえないケースがたびたび見られる。そもそも元々子供向け番組を「子供向け」とこき下ろす時点で的外れな件は置いておこう


◆場合による派

時代の中で流動していく価値観を普通に受け止め、ライダーバトルが違和感なく物語に組み込まれているならば、それはそれとして普通に楽しむ層もいる。

ただし作品数を重ねる度に動機付けが安っぽい物(少し話し合えば戦わなくてすむようなケース等)も増えてきたため、次第に「不必要に戦わせようとしている」という批判が生まれた。

例えば、ライダーの組織に所属しなければ抹殺という『仮面ライダーカブト』はその傾向が顕著となっているため批判的な意見が特に多い。(ライダーをZECTに所属させずとも、人質や資格者抹殺などの手段を使わずとも金銭等の報酬を用意する等の方法で資格者にワーム討伐の協力を求めればワームに対してより有利に戦えたという意見が出る事もある程)

仮面ライダーディケイド』では、全てのライダーをだすということでこのライダーバトルに描写を集中し、
第一話から「ライダー大戦」が描かれ、ディケイドと歴代ライダーが戦うことで話題になったものの、
そのライダー同士の戦いの動機付けは「ディケイドは悪魔(と聞いたから)」の一点張りでその理由もほとんど本編では明かされなかった。
動機付けが適当になってしまった極致であり、話のまとめ方、特に最終回の投げっぱなしから批判が多い。

また、龍騎・鎧武のような終始バトロワ路線の作品とエグゼイド・ビルドのような共闘路線に切り替わる作品で受け止め方が違うと言う声もある。

先述した「少し話し合えば衝突に至らなかった可能性が高い」自体はライダーバトルを控えるようになった平成二期~令和期でもお約束の展開になっており、現在では肯定派からも「二号ライダーとはそういうもの」「ある意味平成の極致」というジョークはよく聞かれる。
ただしこれも作品によって温度差はあり、『ギーツ』における「反目役と相棒役でそもそも別個に仮面ライダーを設定する(前者は景和、後者は道長)*1」、『セイバー』倫太郎の「単純に真面目さが空回りしているだけ、かつ本人も周囲もそれを理解しているので実際には友好的*2」、『ガッチャード』スパナの「あくまでも未熟(実体としては「単なる経験不足」)による勤務ルール抵触を指摘しているだけ、宝太郎と協力する気はむしろ強い」、『ガヴ』絆斗の「理屈では理解できたが心情的に受け止められない旨をキチンとショウマへ伝えることが出来ている」など、実際にはそもそもとして反目していると言い難いケースも多めではある。


【ちなみに】

平成ライダーの中でもわりと勧善懲悪な傾向のある『仮面ライダー電王』や『仮面ライダーW』でも、劇場版では仮面ライダーと名の付く敵役との間にライダーバトルが発生している*3
が、こういうパターンは否定派肯定派共に意識の範疇外というか、あまり相手にされないし、しても後述の評価が大多数。
これはそもそも敵側が明確に「悪の仮面ライダー」として描かれていることが大きな理由であろう。
肯定派にとっては「仮面ライダー同士の戦い」、否定派にとっては「正義の仮面ライダーVS平成シャドームーン」なのだ。
「仮面ライダー」という称号自体を悪役に使わないでほしいという意見もないわけではないが、善悪関係ない「仮面ライダー」の定義を作中に用意することで説得力を持たせるパターンも多い。

第二期平成ライダーシリーズでは、いわゆる「怪人」ポジションも変身アイテムを用いて変身した人間*4である例も多く、ますますその間の垣根は低くなってきている。


【余談】

脚本を担当するとライダーバトルになる事が非常に多いため井上敏樹氏にはよく批判意見が上がる。
しかし彼は『仮面ライダー響鬼』執筆時にライダーバトルを起こしていないので、これはほぼ言いがかりに近い。

どちらかと言うと、「何でも屋」兼実質的なシリーズ構成であることもあるプロデューサー*5の好みが反映されているところがある。





「群像劇」と「ドラマ性」を追求したが故に生まれ、今日まで平成→令和ライダーの大きな要素となったライダーバトル。

その存在の価値に胸を躍らせた者もいただろう、逆に胸を大きく痛めた者もいただろう。

そんな中、ある1人のライダーが口にした言葉。



「“ライダーは助け合い”でしょ!」



我々はこの言葉の意味を考えるべきなのかもしれない。


「ライダーは助け合い」この言葉の意味が分かった方、追記・修正お願いします。

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最終更新:2026年06月23日 19:09

*1 ただし物語がクライマックスに向かう中で、一時的に英寿と景和とが本気で反目する展開があったし、映画『四人のエースと黒狐』などでは時系列の都合から道長はむしろ積極的かつ素直な対応で英寿に協力している。

*2 飛羽真と本気で決闘したことはあるが、「所属組織自体の背信行為が発覚した」「それに対して『一般的な正義の方に従う』決断を固めるために敢えて飛羽真との真剣勝負を行い、それを通して自問や飛羽真との問答を重ねることで覚悟を固めるための行動」という理由からである。そのため倫太郎の考えとしては筋が通っているし、おそらく飛羽真たち周囲の関係者も最初からなにがやりたいのかを察していた可能性が高い。

*3 これとは別に『W』では照井の登場直後はあくまでも街を救う存在を仮面ライダーの名に求める翔太郎と復讐者としての力だと定義する照井とで反目しているシーンはみられていたほか、「今回の犯人ドーパントの能力による同士討ち」としてW対アクセルの描写があった。しかも23~24話の事件(パペティアー・ドーパントの事件、アクセルが操り人形に)→25~26話の事件(ライアー・ドーパントの事件、ウソを信じ込ませる能力にWが引っ掛かってしまいアクセルをfドーパントと誤認)と実質2連続でやったため肯定派からも「翔ちゃんは先週なにを見てたんだ」とネタにされる事態に。

*4 怪人がアイテムを使うことを当初バンダイ側は嫌がったが、『W』のガイアメモリや『オーズ』のメダルの商業的大成功で逆に怪人側もアイテムを使うことに対して積極的になっていった。

*5 ストーリーは勿論、例えば仮面ライダーを何人登場させるかなどの商業展開に絡むことはプロデューサーの意向が反映される