ライダーバトル

登録日:2011/03/11(金) 07:55:39
更新日:2020/01/18 Sat 01:43:39
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ライダーバトルとは、特撮ドラマ『仮面ライダーシリーズ』内にて発生する仮面ライダー同士の戦いを指した単語である。


大元である石森章太郎作の『萬画版仮面ライダー』では、ショッカーの刺客として現れた二号が一号と戦った。
逆に実写では一号がショッカーに捕まり、洗脳されて二号と交戦し
実写版『仮面ライダーV3』では、V3とライダーマンがお互いの主張の相違から戦った事がある。これもある意味、ライダーバトルと言えるだろう。
マフラーが黄色いのが災いしたかライダーマンはこの後もストロンガーを襲ったりZXには逆にバダンと間違われて襲われたりしている。

また、漫画『仮面ライダーSPIRITS』では、BADANを裏切ったZXがストロンガーにケンカを売られる場面もあったりする。

仮面ライダーを生み出したのが敵組織であることも多く、当然の帰結としてショッカーライダーを元祖とする同系列の怪人が現れることも多い。
兄弟作品と言えるサイボーグ009でもこの展開は見られ、ある意味で石森作品の王道ともいえる。


ここでは「悪の組織に所属していない者同士が、自らの意志で戦いあう」ものを中心に取り上げる。


【概要】

名前の由来はガンバライドのキャッチフレーズとされるが、ガンバライド登場以前からあるとする声もある。

そもそもな話、『何でヒーロー同士が戦うのか?』と言うと平成仮面ライダーシリーズが一部の例外を除けば群像劇の形式を取っているためである。
登場人物である仮面ライダー達はそれぞれ様々な事情を抱えている事が多く、それが原因で度々争いが起こり結果的に戦いに発展してしまうのだ。
またヒーロー仲良し同士だと30分前のスーパー戦隊シリーズと作風が重なってしまうという事情やスーツの制作コストが安く済み、かつ変身アイテムの販促が出来るという事情もある。

原因は主に誤解やすれ違い。
中断される事もあるが、時には片方が大きな負傷を受ける時もある。

番組初期から複数のライダーを登場させた『仮面ライダーアギト』に始まり、ライダー同士の戦いそのものをテーマにした『仮面ライダー龍騎』で法則が確立。
以降の作品で常習化していった。
ライダーバトルがメインテーマとして取り上げられている作品としては『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー鎧武』『仮面ライダーエグゼイド』『仮面ライダービルド』『仮面ライダージオウ』が存在している。

仮面ライダーフォーゼ』の2号ライダー・メテオは、「お前達の正義と俺の正義が一緒だとは限らない」という言葉を残したが、異なる正義がぶつかり合う平成ライダーの物語の中で、ライダーバトルは必然的に起こってしまうもの、とも言える。



【視聴者の反応】

◆否定派

各ライダーの人間性が故に起きた戦いというドラマチックさがライダーバトルの魅力ではあるが、「仮面ライダー」という存在をヒーローとして絶対視している人にとっては、仮面ライダー同士が戦うという現象は嫌悪の対象でしかないという。
特にヒーローの象徴として一般的だった昭和ライダーから見ていた人や保護者の類には、そのような思想を持つ者が多く、そういった人にとって

「作品内にライダーバトルはあるか?」

という点は番組を視聴する上で重要な要素になっている。
例えストーリーの完成度が高く、幾多のファンに評価されたエピソードであっても、まずヒーロー同士が戦っているの事が受け付けないため、フラットな評価をされない事が多い。

恐らく彼らが否定するライダーバトルとは、視聴者の視点で「善」のカテゴリーにある者同士がいがみ合う現象なのだろう。
シザースやガイやインペラー、王蛇や朱鬼やシグルドやデュークや邪武やクロノスやエボルと多くの劇場版ライダー等の明確な悪の仮面ライダーや魔進チェイサーやナイトローグやブラッドスタークやアナザーライダーなどのいわゆる「疑似ライダー」は否定派からは「怪人」か平成版ショッカーライダーないし平成版シャドームーンとして扱われる事も有る。


◆肯定派

逆に、平成ライダー(初期)特有のシリアスさと、そこから生まれるライダーバトルの魅力にハマってしまった人も沢山いる。
価値観が多様化した平成だからこそ起きるすれ違いは、物語により深みを与えるとされる。

そのような人は比較的、平成(初期)から視聴を始めた人が多い。
当然上記の人達とは対立する。リアル特ヲタバトルの勃発である。

もっともそれが行き過ぎるあまり「ライダーバトルがない作品は幼稚」「物語に深みがない」などと見下す者も見られ、特に第二期初期作品におけるライダーバトルを控えていた傾向が「シリアスじゃない」「子供向け」とこき下ろされることも多い。
これらもまた、前述の否定派による評価が反転する形で正当な評価をしてもらえないケースがたびたび見られる。そもそも元々子供向け番組を「子供向け」とこき下ろす時点で的外れな件は置いておこう


◆場合による派

時代の中で流動していく価値観を普通に受け止め、ライダーバトルが違和感なく物語に組み込まれているならば、それはそれとして普通に楽しむ層もいる。

ただし作品数を重ねる度に動機付けが安っぽい物(少し話し合えば戦わなくてすむようなケース等)も増えてきたため、次第に「不必要に戦わせようとしている」という批判が生まれた。

例えば、ライダーの組織に所属しなければ抹殺という『仮面ライダーカブト』はその傾向が顕著となっているため批判的な意見が特に多い。(ライダーをZECTに所属させずとも、人質や資格者抹殺などの手段を使わずとも金銭等の報酬を用意する等の方法で資格者にワーム討伐の協力を求めればワームに対してより有利に戦えたという意見が出る事もある程)

仮面ライダーディケイド』では、全てのライダーをだすということでこのライダーバトルに描写を集中し、
第一話から「ライダー大戦」が描かれ、ディケイドと歴代ライダーが戦うことで話題になったものの、
そのライダー同士の戦いの動機付けは「ディケイドは悪魔(と聞いたから)」の一点張りでその理由もほとんど本編では明かされなかった。
動機付けが適当になってしまった極致であり、話のまとめ方、特に最終回の投げっぱなしから批判が多い。

また、龍騎・鎧武のようなバトロワ路線の作品とエグゼイド・ビルドのような共闘路線に切り替わる作品で受け止め方が違うと言う声もある。



【ちなみに】

平成ライダーの中でもわりと勧善懲悪な傾向のある『仮面ライダー電王』や『仮面ライダーW』でも、劇場版では仮面ライダーと名の付く敵役との間にライダーバトルが発生している。
が、こういうパターンは否定派肯定派共に意識の範疇外というか、あまり相手にされないし、しても後述の評価が大多数。
これはそもそも敵側が明確に「悪の仮面ライダー」として描かれていることが大きな理由であろう。
肯定派にとっては「仮面ライダー同士の戦い」、否定派にとっては「正義の仮面ライダーVS平成シャドームーン」なのだ。

第二期平成ライダーシリーズでは、いわゆる「怪人」ポジションも変身アイテムを用いて変身した人間*1である例も多く、ますますその間の垣根は低くなってきている。


【余談】

脚本を担当するとライダーバトルになる事が非常に多いため井上敏樹氏にはよく批判意見が上がる。
しかし彼は『仮面ライダー響鬼』執筆時にライダーバトルを起こしていないので、これはほぼ言いがかりに近い。

どちらかと言うと、「何でも屋」兼実質的なシリーズ構成であることもあるプロデューサー*2の好みが反映されているところがある。





「群像劇」と「ドラマ性」を追求したが故に生まれ、今日まで平成ライダーの大きな要素となったライダーバトル。

その存在の価値に胸を躍らせた者もいただろう、逆に胸を大きく痛めた者もいただろう。

そんな中、ある1人のライダーが口にした言葉。



「“ライダーは助け合い”でしょ!」



我々はこの言葉の意味を考えるべきなのかもしれない。


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