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蝉丸

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tgr55

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蝉丸(せみまる)

CHARM
世代 第3世代
形式番号 GC-25
正式名称 GC-25 蝉丸
開発企業 天津重工神器開発部
機能 変形
アーセナル 天津麻嶺
使用者 一柳梨璃
登場作品
デザイナー 柳生圭太

解説


初出


由来?

源義経の家臣のひとりである武蔵坊弁慶が用いていた武具の一つとされる薙刀。
現在の山形県最上町の瀬見温泉の由来としてその伝説が残されている。
  • 文治三年に源頼朝の追討を受けた源義経一行が平泉を目指す道中、義経の正室である北の方(郷御前)が亀割山で産気づいてしまったため、弁慶は産湯を求めて川へと向かう。
  • 川辺で湯煙の立ち上る岩を見つけ、喜び勇んで薙刀で岩を砕いたところ白龍昇天のごとく温泉が噴き出たという。このとき用いた薙刀が蝉丸とされる。
    • 噴き出た温泉は「薬研湯」となり、この地で義経一行が養生したのが現在の瀬見温泉の発祥となったと伝わる。
      • 「薬研湯」は現在も温泉が湧出しているが、高温のため入浴は出来ない。
  • 瀬見温泉の地名は蝉丸が由来とされているが、「山間を流れる小国川の瀬を見て渡る」ことが由来であるとする説や、この時生まれた子(亀若丸)が、敵地のために一声も泣かなかったことから「鳴かぬ蝉」と称したことから来ているといった説がある。
  • ちなみに同地には、山を下るときに邪魔になった松を引き抜いて投げたのが根付いたという「弁慶の投げ松」や、弁慶が手植えした「弁慶杉」、亀若丸が枕にしたという「子枕石」など様々な名所がある。
  • 平安時代に蝉丸という名の歌人がいるが、弁慶の薙刀とは特に関連は無い模様。
    • 百人一首の「これやこの 行くも帰るもわかれつつ 知るも知らぬも あふさかの関」の詠み人。
      その出自に関しては諸説あり、醍醐天皇の皇子とも、物乞いであるとも言われている。
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