会津郡滝沢組北柳原村

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陸奥国 [[会津郡]] [[滝沢組>会津郡滝沢組]] 北柳原村 &blanklink(大日本地誌大系第31巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202} 17コマ目 #expand(500){{{ 4方&ruby(たんぼ){田圃}なり。 東1町郷原村の界に至る。その村まで4町余。 西2町高久組下荒久田村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り6町10間。 南1町56間府下東黒川上河原分に界ふ。 北3町46間下柳原村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り2町20間余。 また、丑寅(北東)の方38間上居合村の界に至る。その頃まで3町50間余。 辰巳の方2町10間藤原村の界に至る。その村まで5町余。 また、南30間余に1区あり。文化元年(1804年)開く。 家数4軒、東西28間・南北35間、4方&ruby(たんぼ){田圃}なり。 *山川 **&ruby(せせなき){渠}川 村東にあり。上流を滝沢川と云う。 *水利 **黒川堰 *古蹟 **館跡 村より辰巳(南東)の方1町にあり。 40間4方。 いつの頃にか安倍外記某と云う者住せりと云う。 今は畠となりき。 **長泉寺跡 村中にあり。 鼻合山と号し天正の頃(1573年~1593年)密侶長眼と云う僧住せしと云う。 延寳2年(1674年)故ありて廃せり。 }}}
陸奥国 [[会津郡]] [[滝沢組>会津郡滝沢組]] &ruby(きたやなきはら){北柳原}村 &blanklink(大日本地誌大系第31巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202} 17コマ目 #expand(500){{{ 府城の北に当り行程29町余。 家数14軒、東西1町1間・南北1町27間。 四方&ruby(たんぼ){田圃}なり。 東1町[[郷原村>会津郡滝沢組郷原村]]の界に至る。その村まで4町余。 西2町[[高久組下荒久田村>会津郡高久組下荒久田村]]の界に至る。その村は戌(西北西)に当り6町10間。 南1町56間府下東黒川[[上河原分]]に界ふ。 北3町46間[[下柳原村>会津郡滝沢組下柳原村]]の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り2町20間余。 また、丑寅(北東)の方38間[[上居合村>会津郡滝沢組上居合村]]の界に至る。その頃まで3町50間余。 辰巳の方2町10間[[藤原村>会津郡滝沢組藤原村]]の界に至る。その村まで5町余。 また、南30間余に1区あり。文化元年(1804年)開く。 家数4軒、東西28間・南北35間、4方&ruby(たんぼ){田圃}なり。 *山川 **&ruby(せせなきかわ){渠川} 村東にあり。 上流を滝沢川と云う。 [[藤原村>会津郡滝沢組藤原村]]の境内より来り、北に流るること4町[[下柳原村>会津郡滝沢組下柳原村]]の界に入る。 *水利 **黒川堰 [[上河原分]]の方より来り、田地の養水となり[[下柳原村>会津郡滝沢組下柳原村]]の方に注ぐ。 *古蹟 **館跡 村より辰巳(南東)の方1町にあり。 40間4方。 いつの頃にか安倍外記某と云う者住せりと云う。 今は畠となりき。 **長泉寺跡 村中にあり。 鼻合山と號し天正の頃(1573年~1593年)密侶長眼と云う僧住せしと云う。 延寳2年(1674年)故ありて廃せり。 ---- -[[渠川について]] -Google Map --[[福島県会津若松市一箕町大字亀賀北柳原>https://goo.gl/maps/QWQ8PFrpmFLGbdka7]] }}}

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