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会津郡滝沢組北柳原村

陸奥国 会津郡 滝沢組 北柳原(きたやなきはら)
大日本地誌大系第31巻 17コマ目

府城の北に当り行程29町余。
家数14軒、東西1町1間・南北1町27間、四方田圃(たんぼ)なり。

東1町郷原村の界に至る。その村まで4町余。
西2町高久組下荒久田村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り6町10間。
南1町56間府下東黒川上河原分に界ふ。
北3町46間下柳原村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り2町20間余。
また
丑寅(北東)の方38間上居合村の界に至る。その頃まで3町50間余。
辰巳(南東)の方2町10間藤原村の界に至る。その村まで5町余。

また、南30間余に1区あり。文化元年(1804年)開く。
家数4軒、東西28間・南北35間、四方田圃(たんぼ)なり。

山川

(せせなき)

村東にあり。
上流を滝沢川と云う。
藤原村の境内より来り、北に流るること4町下柳原村の界に入る。

水利

黒川堰

上河原分の方より来り、田地の養水となり下柳原村の方に注ぐ。

古蹟

館跡

村より辰巳(南東)の方1町にあり。
40間4方。
いつの頃にか安倍外記某と云う者住せりと云う。
今は畠となりき。

長泉寺跡

村中にあり。
鼻合山と號し天正の頃(1573年~1593年)密侶長眼と云う僧住せしと云う。
延寳2年(1674年)故ありて廃せり。


参照・補足


外部リンク等



古地図

※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正測図)

北柳原集落と鈴木集落の間あたりに国道49号線が通る

村名について

幕末まで(1868年)、会津郡北柳原村
明治8年(1875年)、 藤原村・郷原村・北柳原村・柳原新田村が合併し亀賀村となる。
明治22年(1889年)、上蚕養村・八幡村・金堀村・鶴賀村・亀賀村・松長村・八角村が合併し蚕養村となる。
明治24年(1891年)、蚕養村が一箕村に改称。
昭和30年(1955年)、門田村・湊村・一箕村・高野村・神指村・大戸村・東山村が若松市に編入し、改称して会津若松市となる。

余談

  • 一箕町の亀賀の北側には鶴賀がある。
  • 一箕町の亀賀から国道49号線を挟んだ南側にも亀賀という地名がある。
最終更新:2025年12月23日 22:29
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