村北に一宮神社あり。村名これに因る。
府城の西南に当り行程19里25町。
東西1町・南北5町42間。
東南は檜枝岐川に近く西北は山に倚る。
東4町、白沢村に界ひ檜枝岐川を限りとす。その村まで6町。
西8里計、和泉田組塩岐村の山に界ふ。
南6町2間、濱野村の界に至る。その村まで9町40間余。
北6町20間、小塩村の界に至る。その村まで11町10間余。
山川
小白山
村西16町にあり。頂まで1里余、小塩村と峯を界ふ。
雑木多し。
檜枝岐川
村東2町余にあり。
宮沢入川
村北5町にあり。
源は境内の山中より出て丑寅(北東)の方に流るること8里檜枝岐川に入る。
広3間。
神社
一宮神社
村北2町にあり。
勧請の始を伝えざれども村名の起る処なれば、きはめて古代の鎮座なるべし。
昔、河原田氏深く崇敬し社領もありしと云う。
祭神詳ならず。
鳥居あり。
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Google Map(一之宮 香取神社)
蔵王神社
寺院
光照寺
村中にあり。林巌山と号す。
伊勢国高田山専修寺の末寺浄土真宗なり。
慶長元年(1596年)教觀と云う僧開基す。
弥陀を本尊とし、客殿に安ず。
寶物
墳墓
古墳
村北5町にあり。
1間四方、上に老杉1株あり。
河原田大學正次と云う者の塚なりと云う。
石塔
村中にあり。
高3尺余。
『久譽了籌信士靈位慶長十五庚戌歳五月二十日越後男子羽染彌右衛門正徳六丙申百八年』と彫付あり。
※慶長15年=1610年、正徳6年=1716年。(108?)
古蹟
館跡
村北5町にあり。
東西45間・南北28間。
大永の頃(1521年~1528年)杉岸伯耆某と云う者住せりと云う。
壘趾
村西12町山の半腹より少し下にあり。
登ること4町、東西2町・南北3町。
前には城先瀧とて高2丈余の瀑布あり。後には一騎打とて纔に幅4間余の隘口あり。満山巖石岨ちて攀(じ)躋るべからず。
土人河原田要害と云う。
【舊事雑考】天文12年(1543年)の記に、7月21日葦名盛氏を率て河原田氏を攻んとてこの地に来りしに、河原田氏その兵勢の敵すべからざるを知り避てこの壘を構え城口に支て防ぎしに、杉岸伯耆敵将種橋藤十郎を云う者を討取り、また南泉坊と云う修験この口にて防戦し比類なき働きありしと云うはこの地の事なり。