陸奥国 [[会津郡]] [[滝沢組>会津郡滝沢組]] &ruby(うしがはか){牛墓}村 &blanklink(大日本地誌大系第31巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202} 16コマ目 #expand(500){{{ この村、旧6町余未申(南西)の方にありて&ruby(だうけむら){堂家村}と云う境内に牛墓あり。因って何の頃にか今の名に改め文禄4年(1595年)ここに移せりと云う。 府城の東北に当り行程25町余。 家数21軒、東西1町15間・南北40間余。 白川街道を夾み住す。 東は[[滝沢村>会津郡滝沢組滝沢村]]に連なり3方&ruby(たんぼ){田圃}なり。 西7町6間府下東黒川[[八角分]]に界ふ。 南4町15間[[本郡青木組慶山村>会津郡青木組慶山村]]の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り9町10間余。 北は村際にて[[滝沢村>会津郡滝沢組滝沢村]]に界ふ。 **小名 ***&ruby(まないたくら){真那板倉} 村本より辰巳(南東)の方、東黒川[[八角分]]・[[蚕養宮村]]の地、滝沢村の境内を隔て5町にあり。 家居1軒山麓に住す。 東南は慶山村の山に按し。 西は数村&ruby(いりあい){入逢}の地に連なり。 北は滝沢村の山に界ふ。 *山川 **&ruby(といしやま){研石山} 小名、真那板倉の東にあり。 高2町計。 麤砥((麤(そ、あら-い)砥(し、といし、と)。&ruby(あらと){粗砥}の事か?))を産す。因って名く。 東に続く山を&ruby(ながしたやま){長下山}と云う。 松樹多く&ruby(まつたけ){松蕈}を産す。 **&ruby(ふきややま){吹屋山} 村より丑寅(東北)の方11町にあり。 松樹茂れり。 この山中に吹屋原とて東西1町南北3町計の芝原あり。土人&ruby(まぐさ){秣}を採る処とす。 **清水 吹屋山にあり。 2間半4方。 &ruby(あましみず){天清水}と云う *水利 **&ruby(とのくちせき){戸口堰} *墳墓 **塚 村西4町20間余にあり。 いつの頃にか舜獄と云う者を葬る処と云う。 この塚天正の始(1573年~)数月自ら焼しを五之町[[實相寺]]23世&ruby(ざんむ){残夢}至て偈を示しければ火滅しと云う(実相寺の条下と併せ見べし)。 *古蹟 **牛墓 村より未申(南西)の方6町10間にあり。 石塔、高1尺4寸。 楷書にて牛墓と彫付あり(滝沢村の[[宗像神社>宗像神社(滝沢村)]]の条下に詳なり) **桜谷 小名真那板倉より東、両山の間渓流ある処を云う。 旧は桜樹多く花の頃は&ruby(かけい){佳景}の地にて&ruby(そうじんぼっかく){騒人墨客}&ruby(ここ){爰}に&ruby(ゆうけい){遊憩}し&ruby(だいえい){題詠}多かりしと云う。 今は桜樹なし。 **&ruby(たいふさくら){太夫桜} 村より辰巳(東北)の方3町余飯盛山の麓にあり。 寛永中(1624年~1645年)妓女&ruby(かんか){看花}に出て人のために殺されしを&ruby(あわ){愍}(れ)む者ありて印に種し桜なりと云う。 また、ここより北2町計、滝沢村の際に種蒔桜とて1株の老樹あり。毎年苗代の頃花咲くによりこの称ありとぞ。或云、太夫桜はこの桜樹を云うなりと里老の伝えるに異なり。 ---- -Google Map --[[太夫桜>https://goo.gl/maps/HEidroCHxTbM1ScT6]] --[[大字八幡牛ケ墓>https://goo.gl/maps/VE7DgSfFmHmPGoTV7]] }}}