この村、旧6町余未申(南西)の方にありて堂家村と云う。
境内に牛墓あり、因って何の頃にか今の名に改め文禄4年(1595年)ここに移せりと云う。
府城の東北に当り行程25町余。
家数21軒、東西1町15間・南北40間余、白川街道を夾み住す。
小名
真那板倉
村本より辰巳(南東)の方、東黒川
八角分・
蚕養宮村の地、滝沢村の境内を隔て5町にあり。
家居1軒、山麓に住す。
地面、東西25町、南北20間。
東南は慶山村の山に接し。
西は数村
入逢の地に連なり。
北は滝沢村の山に界ふ。
山川
研石山
小名、真那板倉の東にあり。
高2町計。
麤砥を産す。因って名く。
東に続く山を長下山と云う。
松樹多く松蕈を産す。
吹屋山
村より丑寅(東北)の方11町にあり。
松樹茂れり。
この山中に吹屋原とて東西1町南北3町計の芝原あり。土人秣を採る処とす。
清水
吹屋山にあり。
2間半4方。
天清水と云う
水利
戸口堰
墳墓
塚
村西4町20間余にあり。
いつの頃にか舜獄と云う者を葬る処と云う。
この塚天正の始(1573年~)数月自ら焼しを、五之町
實相寺23世
残夢至て偈を示しければ火滅しと云う(実相寺の条下と併せ見べし)。
古蹟
牛墓
村より未申(南西)の方6町10間にあり。
石塔、高1尺4寸。
楷書にて牛墓と彫付あり(滝沢村の
宗像神社の条下に詳なり)
桜谷
小名真那板倉より東、両山の間渓流ある処を云う。
旧は桜樹多く花の頃は佳景の地にて騒人墨客爰に遊憩し題詠多かりしと云う。
今は桜樹なし。
太夫桜
村より辰巳(東北)の方3町余飯盛山の麓にあり。
寛永中(1624年~1645年)妓女看花に出て人のために殺されしを愍(れ)む者ありて印に種し桜なりと云う。
また、ここより北2町計、滝沢村の際に種蒔桜とて1株の老樹あり。毎年苗代の頃花咲くによりこの称ありとぞ。或云、太夫桜はこの桜樹を云うなりと里老の伝えるに異なり。
最終更新:2025年06月24日 22:22