会津郡滝沢組金堀村

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会津郡滝沢組金堀村 - (2020/03/09 (月) 09:01:45) のソース

陸奥国 [[会津郡]] [[滝沢組>会津郡滝沢組]] 金堀村
&blanklink(大日本地誌大系第31巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179202} 19コマ目
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この村、昔今の地より2町計東にありて&ruby(あかしざは){明沢}と云いしに、何の頃にか京師((京の都のこと))より来る者、村東1町40間にありし高2間周8間計の大石を穿ちて許多の金を採し&ruby(ゆえ){故}今の名に改めしとぞ。
貞享元年(1684年)火災に罹り同4年(1687年)今の地に移せり。

府城の北に当り行程1里12町余。 
東西2町30間・南北46間、白川街道を夾み南北両頬にあり。
四方に山&ruby(めぐ){繞}れり。

東6町18間原組[[原新田村>会津郡原組原新田村]]の界に至る。その村は寅(東北東)に当り10町40間。
西4町2間[[滝沢村>会津郡滝沢組滝沢村]]の界に至る。その村は未申(南西)に当り17町50間余。
南4町50間・北7町37間、共に滝沢村の山に界ふ。
また、丑(北北東)の方9町河沼郡代田組強清水新田村の界に至る。その村まで11町30間。
辰(東南東)の方5町原組[[赤井村>会津郡原組赤井村]]の山界に至る。その村まで26町30間。

*山川
**&ruby(えぼしたうげやま){烏帽子峠山}
村より辰巳(南東)の方4町にあり。
高19丈余、松樹雑木茂れり。
形の似たる&ruby(ゆえ){故}名けり
**&ruby(まへさか){前坂}
村より申(西南西)の方に登る白川街道にあり。
頂まで4町余。
滝沢村に界ふ。
**&ruby(くつかけとおげ){沓懸峠}
村東1町余、白川街道にあり。
頂まで4町20間。
頂にて2すじに分る。
東南に行けば白川街道にて、東北に行けば猪苗代に通る裏街道なり。

*水利
**戸口堰
滝沢村の方より来り、田地の養水となり、下居合村の方に注ぐ。

*神社
**山神社
|祭神|大山祇神|
|相殿|伊勢宮 2座|
|  |稲荷神|
|  |伊豆神|
|  |山神|
|鎮座|不明|
村より寅(東北東)の方1町20間、山上にあり。鳥居幣殿拝殿あり。

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-[[滝沢峠]]
-Google Map
--[[山神社>https://goo.gl/maps/acWAGAasEePcEiN56]]
--[[烏帽子山>https://goo.gl/maps/eHJEiTFWd6nd11sc9]]
--[[沓掛峠>https://goo.gl/maps/p5vh63d6iY3qjbu17]]
--[[戦死十八人墓>https://goo.gl/maps/AKVtLEHqb9dE5Nc27]]([[ストリートビュー>https://goo.gl/maps/APXMQSdFkTYMErZa8]])
戦死十八人墓の案内板より
> 慶應四年(一八六八)、戊辰戦争の際、日橋川を渡河した西軍は大挙してこの道を急進撃し、多くの会津藩士らが戦死しました。
> 地元金堀・下馬渡の村民たちはこれらの戦死者を手厚く葬り、この碑を建てました。碑表には「戦死十八人墓」、道側には「明治元年辰八月廿三日金堀村」、左側には「下馬渡むら」と刻まれています。明治と改元されたのは九月八日のことでありましたから、正しくは慶應四年八月二十三日ということになります。
> 金堀の鎭守山神社前にも同様の戦死十一人之墓があります。
>    新奥の細道
>      環境庁・福島県

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