耶麻郡木曽組木曽村

陸奥国 耶麻郡 木曽組 木曽(きそ)
大日本地誌大系第32巻 138コマ目

旧3町計南にあり。寛文元年(1661年)今の地に移す。

府城の西北に当り行程6里。
家数31軒、東西2町11間・南北40間。
東は一戸川に近く戌亥(北西)の方山に倚り西は広野村に連なる。

村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。

東4町6間船岡村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り5町50間。
南は広野村田圃(たんぼ)(まじ)り境界分ちがたし。
北3町14間上林村の界に至る。その村まで5町20間。

山川

丸山(まるやま)

村より辰(東南東)の方2町30間にあり。
高7、8丈の小山なり。
寛文中(1661年~1673年)この村に市日ありし時、市神と諏訪神社を勧請せし所なりとて石階・礎石残れり。

一戸川(いちのとかわ)

村東3町40間余にあり。
上林村の境内より来り、南に流れて宮古川を得て未申(南西)の方に転じ船岡村の界に入る。
境内を経ること9町計。広20間。

宮古川(みやこかわ)

村北4町40間余にあり。
広10間。
上林村の方より来り、辰巳(南東)に流るること23町一戸川に入る。

清水

村南にあり。
周5間。

水利

三箇村堰(さんかそんせき)

村より戌亥(北西)の方にて宮古川を引き、本村及び三山新田・広野3村の田地に(そそ)ぎ下流大川に入る。

神社

宗像神社

祭神 宗像神?
相殿 諏訪神
   於布佐和戸(おふさわと)
鎮座 不明
村北2町余にあり。
昔村北4町山中の堂岸(たうがきし)という所にありて社頭衰廃せしを、明暦元年(1655年)この村の肝煎齊藤右衛門というもの霊夢に感じてこの所に移すという。
祭禮7月23日。
鳥居幣殿拝殿あり。五目組上三宮村高村能登これを司る。



余談。
宗像神社の相殿神、於布佐和戸神とは一体何の神様でしょうか?
地名でもないようですし…。
最終更新:2020年09月02日 19:16