蒲原郡鹿瀬組向鹿瀬村

越後国 蒲原郡 鹿瀬組 向鹿瀬(むかひかのせ)
大日本地誌大系第34巻 34コマ目

府城の西に当り行程14里。
東西2区に住し、その間3町を隔つ。
東を上村(かみむら)という。家数11軒、東西2町・南北25間。
西を下村(しもむら)という。家数22軒、東西2町10間・南北28間。
共に南は揚川に傍ひ北は山に倚る。

東4町30間・南4町、共に鹿瀬村に界ひ揚川を限りとす。
西4町鹿瀬村の界に至る。その村は南に当り24町。
北10町10間鹿瀬村と入逢の山に界ふ。

山川

上山(うへのやま)

下村より戌亥(北西)の方3町計にあり。
頂上まで2町計。

赤崎山

下村の西7町計にあり。
頂上まで10町。
鹿瀬村と入逢なり。

祭神峠(さいのかみとうげ)

下村より戌(西北西)の方8町にあり。
ここを越て鹿瀬村の小名角神に至る。

揚川

上村の南2町10間余にあり。
日出谷村の境内より来り、西に流れ東に折れ南に転じまた西に向い、鹿瀬村と入逢の地を過ぎ下條組角嶋村の界に入る。
この村の境内を経ること30町計。

神社

鹿嶋神社

祭神 鹿嶋神?
相殿 諏訪神
   羽黒神
   幸神
鎮座 不明
上村の西1町計、巨岩の上にあり。
鳥居拝殿あり。鹿瀬村大江山城これを司る。

帝釈神社

祭神 天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)
鎮座 不明
上村より亥子(北北西~北の間)の方2町計にあり。
村民の持なり。

寺院

龍蔵寺

上村の北、山麓にあり。
九鏡山と號す。
開基の年代分明ならず。
永禄3年(1560年)火災に罹り堂宇焼失せり。
慶長9年(1604年)賢良という僧再興す。
津川町玉泉寺の末山真言宗なり。
虚空蔵を本尊とし客殿に安ず。長1尺4寸、空海作という。


最終更新:2020年10月09日 22:30