この村は渓間にありて、辰巳(南東)の方釜沢という所に三階瀧とて高20丈計の滝あり。因て村名とす。
府城の西北に当り行程20里。
家数55軒、東西2町・南北1町。
深山の間に住し東南は飯豊川に臨む。
東は数山連なり境界分明ならず。
西28町黒川領本郡小戸村・新発田領本郡中山村に界ふ。
未申(南西)の方21町
赤谷村の界に至る。その村まで28町40間余。
北25町小戸村に界ひ内蔵川を限りとす。
小名
常盤新田
本村の西15町にあり。
家数70軒、東西1町・南北4町。
山中に住し南は飯豊川に臨む。
寛文9年(1669年)常盤某というもの墾発すという。
山川
鷺頭山
村の辰巳(南東)の方1里余にあり。
頂まで1里。
山上の残雪鷺の形をなす。故に名つく。
赤谷村と入逢なり。
飯豊川
内蔵川
村北20町にあり。
矢掛峯・赤津山等の山々より流れ出、西に向い
赤谷村と入逢の地を流るること7里計飯豊川に会す。
広40間計。
関梁
橋2
一は村より未申(南西)の方2町にあり。長20間。
一は小名常盤新田の西2町にあり。長30間、隣村の通路なり。
共に飯豊川に架す。
共に土橋なり。
神社
山神社
祭神 |
山神? |
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相殿 |
熊野宮 2座 |
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諏訪神 |
赤谷村より移す |
鎮座 |
不明 |
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小名常盤新田の南、鹿子沢という所にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。星伊豫これを司る。
河内神社
祭神 |
天兒屋根命 |
鎮座 |
不明 |
村より辰巳(南東)の方5町計、山中にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。
熊野宮
境内にあり。
神職 星伊豫
その先を星隼人という。天正中(1573年~1593年)当社の神職となり赤谷村に住す。
その子大蔵某というものこの村に移る。
今の伊豫清廣は隼人が8世の孫なり。
山神社
村東30間にあり。
村民の持なり。
寺院
大慶寺
村の戌亥(北西)の方40間にあり。
曹洞宗、山號を鶏谷山という。
開基詳ならず。
慶長11年(1606年)本州中条大倫寺7世葉山という僧再興すという。大倫寺の末山なり。
地蔵を本尊とし安殿に安ず。
古蹟
館跡
小名常盤新田の北7町にあり。
上ること3町計。
小田切参河、初はここに住せしが、境地狭きゆえ
赤谷村に館を築いて移るという。
頂に8間四方の平地あり。
西北の方に
隍の迹あり。
里人要害山と称す。
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- 山神社(常盤新田)
- 河内神社
- 神社明細帳に山神社の合併の件明治40年5月3日受届くとあります。
- 山神社 - 河内神社と合併(旧地:北蒲原郡赤谷村大字瀧谷字下小屋)
- 大慶寺
- 要害山(小田切参河館跡)
- 寺院?
- 地理院地図には内の倉発電所の南の小山の山頂に寺院のマークが記載されています。
余談:河内神社。
神社明細帳に、祭神は天兒屋根命・大山祇命(こちらは明治に合併した時に追記)で、合殿が
軻遇突智命とあります。加具土命は火の神で火伏の御利益があるとされ、秋葉神社の他愛宕神社の祭神として奉られています。風土記本文にある摂社熊野宮の愛宕神は加具土命で良いと思いますが、熊野神と伊勢宮の神はどこに行ってしまったのでしょう。
※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 新発田市』No.18より
余談:常盤の山神社。
神社明細帳にいろいろ訂正が入っていました。最終的に「
生ル」とあるので、滝谷の山神社と勘違いされていたようです。
祭神が大山祇命で、相殿神が伊弉諾尊・伊弉冊尊(熊野権現)・健御名方命(諏訪神)と、風土記本文の記載と相違ありません。ただ、境内神社の条に稲荷社とあるのですが、こちらは風土記本文にありません。また昭和5年3月13日に会津郡小川庄石間の郷頭・古山次郎兵衛翁の碑も建てられていますが、当然風土記本文にはありません。
所在地の所、消されてはいますが「不動□(橋か?)」とあり、風土記本文にある鹿子沢とは異なるようなので、明治に入る前に移転している可能性がありますね。
※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 新発田市』No.19より
最終更新:2020年11月27日 20:02