魚沼郡小千谷組市野宮村

越後国 魚沼郡 小千谷組 市野宮(いちのみや)村・新保(しんほ)
大日本地誌大系第34巻 86コマ目

市野宮村は小千谷陣屋の西に当り行程24町。
家数80軒、東西1町28間・南北5町4間。
西は山に傍ひ三方田圃(たんぼ)なり。

新保村は市野宮村の寅(東北東)の方4町余にあり。
家数17軒、東西1町40間・南北46間、四方田圃なり。
もと市野宮村の境内にて後別村となりし故界域分ち難し。

東は市野宮村より13町53間西千谷川村の界に至る。その村まで18町30間余。
西は市野宮村より27町30間、公領刈羽郡桐沢村の山に界ふ。
南は市野宮村のより7町20間薮川新田村の界に至る。その村まで12町20間余。
北は市野宮村より11町16間山谷村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り21町50間余。
また
寅(東北東)の方新保村より1町50間平沢新田村の界に至る。その村まで6町余。

市野宮村 枝村

山田(やまた)

本村の未(南南西)の方3町20間余にあり。
家数6軒、東西1町8間・南北47間、西は山に傍ふ。

油新田(あふらしんでん)

本村の辰巳(南東)の方4町20間余にあり。
家数14軒、東西1町・南北1町20間、四方田圃なり。

二野宮(にのみや)

本村の寅(東北東)の方4町余にあり。
家数24軒、東西2町・南北54間、四方田圃なり。

道木(たうのき)

本村の丑(北北東)の方5町余にあり。
家数3軒、東西20間・南北35間、四方田圃なり。

山川

地獄谷(ちこくたに)

市野宮村の西16町40間にあり。
この谷中に方3、4間計、常に濕氣(しっけ)有て炎天にも乾かざる所あり。この地を少し掘れば風吹き出し、火をとほして穴に移せば燃出ること松明の如く。日を経て絶えず竹筒を立て引けば、火その頭に出れども筒は燃えず。これを滅すれば火消てもとの如し。

神社

八幡宮

祭神 八幡宮?
相殿 伊米日子命
鎮座 不明
市野宮村より2町30間寅(東北東)の方にあり。
相殿神は伊米日子命にて、延喜式に載する所「伊米神社」これなりという。
祭禮は8月13日、14日、15日なり。
慶安元年(1648年)、官より本村に於いて社領8石を賜う。

鳥居

両柱の間1間半。

本社

1間1尺余四面、南向。

幣殿

2間1尺に1間半。

拝殿

4間四面。古像の随身(ずいじん)2軀あり。

末社 山王神社

本社後を離れて2町余戌亥(北西)の方にあり。

末社 諏訪神社

本社の地を離れて5町南ににあり。

神職 小川式部

元和中(1615年~1624年)小川治部吉元という者より8世にして今の式部高甫に至るという。

諏訪神社

祭神 諏訪神?
鎮座 不明
市野宮村の戌(西北西)の方にあり。
吉蔵寺これを司る。

寺院

吉蔵寺

市野宮村の西2町にあり。
寶林山と號す。曹洞宗、上州白井雙林寺の末寺なり。
雙林寺第3世曇英という僧当国外沢村山中に閑居(かんきょ)せし時、長尾信濃守能景その道徳に帰依し、明應5年(1496年)当寺を草創し曇英を請て開山とす。曇英(かつ)て700人の法幢(ほうどう)を興行せし跡とて今に残れり。

客殿

11間余に7間余、辰巳(南東)の方に向う。
本尊釈迦。
また鐘1口あり。径2尺3寸、『延享三丙寅年三月十六日鑄之吉蔵寺十七代昇天和尚代施主惣且中』と彫付けあり(延享3年:1746年)。

寶物

長尾能景旗 2流。製して袈裟とす。布にて紅葉菊水の模様あり。
笈     1荷。開山所持の物という。
大智偈頌  1巻。開山筆という。末に『時永正六年壬七月廿日書之南無光明天王五大力菩薩』とあり(永正6年:1509年)。
教授戒文  1軸。同上。末に『永正己卯秋之季書附祖琳俊岳忠哲判祖林判』あり(永正16年己卯:1519年)。
古文書   2通。一通は長尾能景寄付状なり。焼損して(わずか)に残れり。一通は村上安勝證文なり。その文如左(※略)。

古蹟

城山

市野宮村の西24町にあり。
何れの頃にか三寶寺某という者住せし所といい伝う。




余談:伊米(いめ)神社八幡宮。
神社明細帳(請求記号19-1)を参照します。
登録時の社名は伊米神社で、祭神は天香語山命(あめのかぐやまのみこと)、創立年月は不詳とのこと。
欄外に明治43年7月8日山宮諏訪社を合併とあります。祭神の欄に健御名方命(たけみなかたのみこと)大山祇命(おおやまつみのみこと)が追記してあるのは合併によるものでしょう。
また合殿として誉田別尊(ほむたわけのみこと)(応神天皇/八幡神)の記載もあり、風土記の年代と今では主祭神と相殿神が入れ替わっていることが伺えます。
※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 19-1』No.33より。

また合併された山宮諏訪社ですが、祭神は健御名方命と大山祇命で本殿は石祠とのこと。明治の地理院地図に記載のあった吉蔵寺の西の山にある神社は山神社でこの社に合祀したのかもしれません。
では現在、諏訪公園の隣りにある神社は何神社なのでしょう?


余談:桜町の寺院。
寺院明細帳(請求記号52-1、52-3)を見ると、小千谷市桜町には複数の寺院が登録されています。
No. 寺名 本尊 旧地名
52-1.24 行福寺 不動明王/大日如来 桜町字一ノ宮
52-1.25 吉蔵寺 釈迦牟尼仏 桜町字寺ノ内
52-3.32 金剛寺 不動明王 桜町
吉蔵寺は風土記にも記載があり現存もしていますが、残り2つは何処にあるのでしょう?
最終更新:2020年12月08日 00:52