古峯講

古峯(ふるみね)(こう)古峯ヶ原(こぶがはら)(こう)とも呼びます。

Google Mapで会津地方を見ると随分沢山の古峯神社があるように思えます。
ですが、実際のところ三島町や山間部の一部を除いて会津地方に古峯神社はありません。
地図に登録されているのは、講などで古峯神社に参拝した際に頂いた札を治める納札塔(のさつとう)です。
似たようなもので秋葉神社の納札塔もあります。
珍しいものでは名倉山酒造の近くにある愛宕神社の納札塔なんてものものもあります
会津坂下町史 1より引用

この塔は地域により呼び名も多少変わりますが「古峯原塔」や「古峯塔」、「古峯神社村中安全塔」とさまざまですが、これらの塔が立てられるようになったのは明治期以降でそれ以前にはなかったようです。これは明治初年の神仏分離で古峯神社の祭神が金剛童子から日本武尊に変わった事により講中が急速に増えた為と考えられます。

祭神の日本武尊は草薙の剣の神話から火伏のご利益があるとされ会津地方の住民は講に参加していたようです。
詳しい事は公式HPに記載がありますので参照してください。

上記記事から古峯講に関する内容を引用します
○ 講中と代参
当神社には、講組織をもち、交替で代参を行う附属の講中がございます。その数は約二万を数え、崇敬者は二百万を越します。春秋の代参時には、こうした参拝者が全国より集まり、ひときわ社頭を賑わします。このように、当神社は、数多くの附属の講中をもつ神社として、全国でも稀にみる社の一つに数えられています。
※講とは
古峯神社を参拝するため、崇敬する人々が集まって組織する仲間のこと。講元・世話人が中心となり、古峯神社参拝に関する費用や総ての運営をその仲間の人々達で行います。
※代参とは
講員の中から毎年、幾人か選出(くじに依る所が多い)し、講中の代表で古峯神社に参拝し、御祈祷の御札を受けて、参拝に当らなかった講員に御札を授与する。その代表で参拝する人のこと。毎年交替で全講員が代参人となります。

「奥会津南郷の民俗」にある古峯講の記載を引用します。
古峰講
古峰講は下野国の古峰神社へ代参してお参りする講で古峰ヶ原(ごぶがはら)講ともいう。代参者を春愁二回代参させるところと、年一回代参するところがある。
界の下坪では春は古峰神社、秋は猿田彦の掛軸を宿の床の間にかけ、講員は割り金と米一升を持って宿に集まる。宿先では野菜・醤油その他の経費は宿持ちでごちそうをつくる。全員拝礼後、すぐに代参を済ました人を除外して代参者を抽選で決める。二人の代参者が決まると代参箱と一人五千円宛の講金を渡す。
代参者と決まった者は、時期をみて古峰神社へ参拝して帰る。このとき講員に、「剣先札」と「小札」を配る。「剣先札」はおかまさまか神棚にまつり、「小札」は土蔵などに貼って火伏せとする。昭和20年ころから山の神講も古峰講と同時に行っている。宮床の火祭り講も古峰講で名が異なるだけである。

三島町の桧原地区で行われた古峯神社講の代参の記事を見つけたので一部引用します。
  古峯神社は天狗の信仰で知られ、初詣の際「歳旦祭」が行われ、例年約3万人もの参拝客が訪れているとのことでした。当地区においては、明治24年作成の「御札」の代参箱により、護符を受け取っています。
 これは、およそ128年前から引き継がれている宝の木箱です。代参者の参加が、少子高齢化により運営も厳しいとの声が聞かれますが、伝統文化「世代を超えて受け継がれた精神性」を継続していきたいと思います。

古峯講中は今の時代にも受け継がれているようです。


余談。
以前蓮花寺では古峯神社の祭礼を行っていたようですが、この寺自体が明治初年に廃寺となってしまったようです。
寺の入口付近に古峯神社の石祠があったそうですが、現存するかどうかは不明です。
最終更新:2025年07月01日 21:53
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