熊野神社拝殿には明治の俳人たちが奉納した「野沢十勝」の句額が掲げられている。
天王前桜
- 雪の峰かかえて寒し朝桜 淇竹
- 去年植し早苗の桜咲にけり 東月
鹿島坂夜雨
- 坂口へ来て鳴く鹿や春の雨 坡石
- 夜のよさに来て雨に逢う鹿の子哉 鬼仙
大槻秋月
- 月影の澄む大槻の真上かな 坡石
- 大槻の古事問わんあきの月 松圃
遍照寺夕照
- 照かえす日斜なり秋の暮 鬼仙
- 暮れかねて高嶺はかりを照日哉 淇竹
稲荷山晴嵐
- 吹きそよぐ青田の上や青あらし 俊秀
- 千町田や稲荷の山の青嵐 淇竹
前山暮雪
- 夕栄のする前山や雪のまつ 坡石
- 里人や豊年祝う雪の暮 石声
福島来雁
- 来揃うた雁に見えけり里の富 松圃
- 雪のある山を後に渡るかり 淇竹
妙法寺晩鐘
- 晩鐘のひびきにゆれる桜哉 東月
- 花は根に人は家路に暮の鐘 淇竹
芝草原虫狩
苦水蛍
- 月の夜や松かげ計り飛ぶ蛍 坡石
- 苦いのを嫌うかあちへとぶ螢 松圃
の十勝であるが、中でも
「千町田や稲荷の山の青嵐 淇竹」
とある稲荷山からの眺望は、眼前に野沢平がひらけて飯豊の白嶺が屏風のように浮き立つ。ここは全長約四キロの雷山自然環境保全林遊歩道の中の景勝地の一つであり、更に足を伸ばせば妙法寺鳥追観音堂、そして宇陀帰山大山祇神社杉並木参道へと続く。いわゆる会津野沢大山路である。
なお、昭和七年十一月に斎藤竜多郎町長を中心として、当時としては先駆的な”ご当地ソング”の制定が行われた。すなわち会津野沢小唄(作詞:松本文雄・作曲:阿部武雄)と会津大山小唄(作詞:小谷玲児・作曲:阿部武雄)であるが、この歌詞の中にも当時の名所・産物・風俗が歌いこまれていて貴重である。
- 淇竹
- 淇竹は渡部思齊の事である。思齊は通称為助字は芳思齊慶応二年野沢に私塾を開き子弟二百有余名あったと云われる。医師にして学を好くし、渡部鼎はその子である。当地方より福島県議会員となった最初の人物である。
- 東月
- 坡石
- 本名は江花左惠助、河沼郡大沢村より■斎藤家に入婿し、後離籍して江花に復し、晩年は実子斎藤兵四郎がこれを見た。竹源亭と称し代官所跡に早苗庵を建て花鳥を友にして明治三十一年旧四月六日歿した。全国的俳人である。早苗庵坡石居士の墓碑常楽寺墓地にあり。
- 鬼仙
- 松圃
- 俊秀
- 石声
外部リンク等
余談
ものの本によると「野沢十二勝」と呼ばれるものもあるらしいが何処を指しているのかは不明。「赤滝、秋山の奇勝がある」とだけ記載があった。(「温泉」より
野沢のいで湯)
最終更新:2025年09月28日 15:50