三之町の北に並び、上は博労町より馬場町まで、長2町46間・幅4間余、家数24軒。
下は2町30間・幅4間、家数52軒。
神社
稲荷神社
この町の北頬にあり。鳥居あり。
寺院
地蔵堂
この町の北頬にあり。
もと御堂屋敷と唱え応安3年(1370年)と彫付し鰐口あしという。今はなし。
相伝う。
往古、この堂府城の西北に在て大破せしを葦名盛氏再興す。
文禄元年(1593年)蒲生氏城郭営築の時本町と共に移りしが、慶長中(1596年~1615年)地震に逢て堂舎零落し今は僅の塗籠に安ず。
修験正善院司る。
旧家
萩原小隅
9世の祖を川北三左衛門重宗という。近江の産にて蒲生家に仕え屢戦功ありしとぞ。
天正18年(1590年)氏郷に従てこの地に来れり。
子を新助有宗という。加藤家に仕ふ。
後明友石州に移りし時市井の人となれり。
その子吉兵衛武宗氏を萩原と改めこの町に住して甲冑をつくる事を業とせり。
吉兵が子吉之丞國重が時月俸を与て家人の列に次せしより、相続て今の小隅家邦に至れり。
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最終更新:2026年01月09日 22:29