馬場町の東に並び甲賀町口の郭門を出て北の方滝沢町組町に通す。
長5町10間余・幅4間、家数95軒。
蒲生氏就封の後江州日野より従来る者を置きし所故日野町と號く。
(徒町井上浄先寺の所蔵本願寺準如が与る書に会津若松日野とある是なり)
加藤嘉明封に就て日火称同きを忌みて同州の郡名に改め甲賀町と名く。今は商家を置き南端に士屋敷1軒あり。
客館
この町東頬堅三日町の北角にあり。
南に門あり。
青藍舎
この町の南端東頬にあり。
師範を置き佐助数員これに隷す。家人の班卑き者より足軽同心等の子弟までここに入れ誦師に就て業を受しむ。俊秀なる者あれば考試して国学に升せまた習書数学等の稽古をなさしむ。国学日新館に隷す。
神社
稲荷神社
この町の西頬にあり。
勧請の年代を詳にせず。鳥居あり。
別当 栴壇院
本山派の修験なり。開山覺秀より現住憲意まで17世といい伝う。
外部リンク等
会津寺社縁起 - 神社の部
| 神社名 |
所在地 |
神社縁起 |
| 稲荷神社 |
若松市甲賀町 |
至徳元年(1384年)芦名直盛の建立。 祭神:倉稲魂命 |
(現地案内板より)
宗教法人 鶴ヶ城稲荷神社
御祭神 宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)
由緒
本神社の創建は天正十八年(1590)蒲生氏郷公の会津移封の時当町を日野町とし町内鎮座の守護神として日野町稲荷神社を創建されました。其の後、加納嘉明公移封により甲賀町稲荷神社と改称されました。
下って戊辰戦争(1868)の敗戦に会津松平藩の鶴ヶ城は落城し場内追手門の楼上にありし双殿の鶴ヶ城稲荷神社の御祭神の神像と社殿に掲げし神号扁額を甲賀町稲荷神社に御遷座し合祀安置して百弐拾年余り。
以来当神社を鶴ヶ城稲荷神社と申し上げます。
最終更新:2026年01月15日 00:41