甲賀町の東に並び、六日町口の郭門を出て北にゆく通なり。末は上二之町に至る。
長2町15間・幅5軒、家数49軒。
蒲生氏の時、市日を定めこの町にて六六の日に市を立てし故この名ありとぞ。
この町の内大工丁より南を上六日町とし北を本六日町とす。
(大沼郡橋爪組本郷村の条下に天正中(1573年~1593年)葦名盛氏岩崎より黒川城に帰住せし時この町も共に彼地より移りしといい伝う)
旧家
下坂甚左衛門
その先甚兵衛爲康は近江国坂本八郎左衛門康綱が縁者にて幼稚の時より随従し悉く刀剣を鍛る秘訣を伝ふという。康綱が弟子3人あり三所に分かれ住す。所謂越前の下坂・筑後の下坂・伊予の下坂なり。伊予の下坂は即甚兵衛爲康にて加藤家に仕え鎗長刀を鍛ふ。寛永4年(1627年)従てこの地に来る。明友石州所替の時浪々せり後、また当家より月俸を与て家人の列に次せしより今の甚左衛門爲直に至る。家に左馬形と称へ鎗と長刀の形を蔵む。昔時左馬助嘉明戦場の利方を考がえ自らこのかたを製し先祖爲康に与る所という。長刀の形は長3尺1寸当時のままにて木像なり。鎗の形は長1尺1寸即爲康が鍜へし所にて嘉明が与しものは失へき。その図左に載す。
(※図略)
外部リンク等
余談
最終更新:2026年01月10日 22:19