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陸奥国 若松 郭外 上町 博労(ばくらう)
大日本地誌大系第30巻 147コマ目
幕末会津若松城下地図 - 会津若松市/デジタルアーカイブ

六日町の末に続き滝沢町に至る。
その間5町42間余・幅5間、家数109軒。

この町、蒲生家の時博労(ばくろう)*1多く住し(ゆえ)この名あり。
また近き頃までこの地に毎年馬市あり。遠近の人多く集れり。今は行人町に移せり。
(東黒川上河原分の地雑はる)

寺院

自在院

この町の西頬にあり。
福聚山満蔵寺と號す。会津真言四ヶ寺の一にて江戸護持院の末寺たり。
相伝う。應永30年(1423年)法印長巖今の郭内諏訪神社の側に一蘭若を草創し、十一面観音を本尊とし天満宮を鎮守とすという。
その後第9世俊在宗門の義虎たるを以て密家の諸老相招て筑波山智足院を領せしむ。
第11世行翁寺境狭くして衆徒領し難きを憂へ領主蒲生氏郷に請て今の地に移せり。
11世尊慶が時秀行より寺産50石を付す。その頃までは寶器古文書等多く有しが延享中(1744年~1748年)災に罹て烏有(うゆう)*2すという。
今寺領20石を付し封内の封内の末寺凡19ヶ寺あり。
昔は五之町にあり寶暦2年中(1752年)よりこの町に開く。

制札

門を入て右にあり。

客殿

火災の後、再建未だ成らず。
本尊大日。

庫裏

13間に5間半

鐘楼

境内東の方にあり。
鐘の径1尺4寸。
「貞亨四年次丁卯十月十五日法印宥山」と彫付けあり。
※貞亨四年:1687年

経藏

鐘楼の西にあり。
4間四面、3方に扉あり。
中央に輪塔を建て一切経律論を蔵む。
傳大士及普成普建を本尊とす。

観音堂

鐘楼の北にあり。
2間2尺四面、南向。
本尊栴檀の木造にて、毘首羯麿作、長5寸余。下に蓮華座あり。頭上に十一面観音を彫る。納て厨子にあり。

天満宮

経藏の南にあり。
当院草創の時、開山長巖今の高久組天満村より勧請し鎮護の神とす。
相伝て。
猪苗代兼載幼稚にして詠歌を好み、当院に就て薙髪(ちはつ)*3し恒にこの神に祈り遂に連歌の宗匠たることを得しという。
(兼載が事耶麻郡川東組小平潟村の条下に詳なり)
鳥居
両柱の間9尺。
本社
4尺4面東向。
幣殿
2間に1間。2尺。
拝殿
4間に2間。2尺。

寶物

兼載消息 一幅
其文如左。
(※略)
大日書像 一幅
紺地金泥にて頗る細書なり。
肥後守正容寄付す。
菅神絵縁起 三軸


外部リンク等

最終更新:2026年01月12日 21:29
添付ファイル

*1 牛や馬の仲買商人

*2 まったく無いこと

*3 髪をそり仏門に入ること