耶麻郡と境界を接する蜷河荘が河沼郡から分出したと考えられるのは、その成立時期の古さにある。蜷河荘は冷泉宮儇子内親王領として立荘され、関白藤原忠実領を経て近衛家に伝領された荘園である。荘域は、文禄三年(1594年)蒲生氏検知高目録で「稲川郡」を記載された領に該当すると考えられている(『会津若松史』1)。ほぼ今日の会津坂下町・柳津町と西会津町の阿賀川左岸の野沢盆地一帯を含む地域にあたり、越後国境まで及ぶ領域をもっていた。
長江荘は摂籙渡荘で、九条文書によれば、弁別当勧修寺経世・勧修寺国俊の管理する荘園で、勧修寺氏は領家職と見られている(『講座日本荘園史』5)。その領域は、今日の下郷町から田島町・南郷村・伊那村など中世に「南山」と呼ばれた領域に一致し、「和名類聚抄」の長江郷に相当する。
蜷河荘と長江荘は、盆地を中心とする会津郡の周縁部に成立した山間部の多い荘園である。摂関家領荘園は、東北地方の他の地域でも陸奥国の中心から見ると、周縁部に辺り郡の一部を割いて成立しており、摂関家領の古さを物語っている。特に近衛家領は、摂関家領の中でも成立時期が古いとされており、その成立は十一世紀前半に遡る可能性が強い。河沼郡はその一部が盆地床にかかり、蜷河荘が河沼郡から分出したと考えるべきで、その逆はあり得ない。というのは、推定されている領域のあり方から見て、蜷河荘は河沼郡から、長江荘は会津郡からそれぞれ分出したと見るのが自然であり、会津郡から大沼郡・河沼郡が分出した後に立荘されたことを示している。したがって、河沼郡の成立は蜷河荘が成立する十一世紀前半を遡ると推定できることになる(大石直正「陸奥国の荘園と公領」『東北学院大学東北文化研究所紀要』22)。
ところで、会津郡は、十一世紀末から九世紀前半までに日橋川・阿賀川以北に耶麻郡を分出し、十世紀以降に盆地南部は会津郡から大沼郡・河沼郡が分出する。四郡はいずれも盆地床に領域をもち、会津郡と大沼郡の境界は本来は旧鶴沼川にあるが、大沼郡と河沼郡の境界は明白な自然地形を境界にしているようには思われない。大沼郡と河沼郡の成立時期がほぼ同時なのか、どれくらいの時期差があるのかわからないが、在地勢力の対立と抗争の過程で会津郡から分出したのであろう。耶麻郡は、中世的な郡を分出することはなかったが、やがて新宮荘・加納荘などが形成される。鎌倉末期にはその存在が確認されるものの、成立の正確な時期はわからない。しかし、新宮荘の成立が熊野新宮社が勧請されたと伝える応徳年間(1084~87)にまで遡るとは考えられない。したがって、耶麻郡は、大沼郡や河沼郡が中世的な郡として会津郡から分出した時期にも、その領域内において、古代郡から中世的な領域を形成する在地勢力が十分に成長していなかったか、あるいは古代郡がそのまま中世的な郡に発展したと考えるべきであろう。
一般に寄進地系荘園は、国衙において郡司職や郷司職なとをめぐる争いがあり、当事者の一方が国衙の在庁官人などに連なることによって領有を確保しようとするとき、他の一方は私的な権門に結びついて荘園化を図ろうとするところに成立する。全国的に見た場合、その動きがもっとも頂点に達するのは、十二世紀後半の鳥羽・後白河院政期である。しかし、陸奥国の場合、摂関家領荘園などが成立するのは、十一世紀に遡る。時として、もっとも先進的な動きは辺境にこと現出することがあり、陸奥国における荘園の成立は、そのような動きとして理解されてもよいのではなかろうか。
陸奥国の場合、摂関家領が在地勢力側からの寄進というよりも、摂関家側から招きよせられることによって成立するという。会津地方の蜷川荘・長江荘は、陸奥国衙の支配と対抗する勢力としてどのような勢力があったか不明である。受領郎党として下向し、土着した武士も考えられるが、恵日寺のような寺社勢力も考慮すべきかもしれない。会津地方の寺社勢力と摂関家との関係と示すしりょうはないが、蜷河荘・長江荘の現地管理者は当然存在したはずであり、武士層であることも疑いないと思われる。
(『喜多方市史(通史編1)』より)
参照・補足
中世初期陸奥国南域の郡・荘・保
| 1.白川荘 |
2.岩瀬荘(郡) |
3.会津郡 |
4.耶麻郡 |
5.安積郡 |
| 6.信夫荘 |
7.菊田荘 |
8.磐城郡 |
9.標葉荘(郡) |
10.行方郡 |
| 11.宇多荘 |
12.亘理郡 |
13.伊具荘 |
14.高野郡 |
15.石河荘 |
| 16.河沼郡 |
17.大沼郡 |
18.安達保(荘) |
19.伊達郡 |
20.楢葉郡 |
| 21.岩崎郡 |
22.依上保 |
23.好崎荘 |
24.小野保 |
25.田村荘 |
| 26.小手保 |
27.千倉荘 |
28.金原保 |
29.長江荘 |
30.蜷河荘 |
外部リンク等
- 参考
- 会津四郡の成り立ち - 喜多方市史 第1巻(通史編 1) (原始・古代・中世)
- Wikipediaより
最終更新:2026年01月12日 17:58