野伏町の北に並び、東西1町48間余・幅3間余、家数5軒。
故に五軒町ともいう。
寺院
満福寺
この町の南頬にあり。
如意山と號す。博労町自在院の末寺真言宗なり。
蒲生氏就封の始秀連という僧この地を請て当寺を開けり。
本尊大日客殿に安ず。
旧家
中条道辰
この町に住し刀鍛冶を業とす。
その先を長俊といい三善藤四郎政長が弟子なり。その子長重もまた政長に随て学びぬ。
長重が子道辰早歳にして政長が子長道が門に入り元禄14年(1701年)京師に赴き伊賀守金道に就て奥秘を極むという。
その後自ら造るところの太刀を朝廷に献し若狭守に任ぜらる。
帰郷の後月俸を与え家人の列に次れしより今に至て猶道辰と称しその業をつけり。
若狭守道辰に賜所の宣旨今に伝て家珍とす。
その文如左。
上卿 櫛笥中納言
元禄十四年五月七日宣旨
藤原道辰
宣任若狭守
蔵人頭左近衛權中將藤原隆長 奉
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最終更新:2026年01月12日 22:32