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郭外 > 上町 > 中六日町横丁

陸奥国 若松 郭外 上町 中六日町横(なかむいかまちよこ)丁(五軒町)
大日本地誌大系第30巻 150コマ目
幕末会津若松城下地図 - 会津若松市/デジタルアーカイブ

野伏町の北に並び、東西1町48間余・幅3間余、家数5軒。
(ゆえ)に五軒町ともいう。

寺院

満福寺

この町の南頬にあり。
如意山と號す。博労町自在院の末寺真言宗なり。
蒲生氏就封の始秀連という僧この地を請て当寺を開けり。
本尊大日客殿に安ず。

旧家

中条道辰

この町に住し刀鍛冶を業とす。
その先を長俊といい三善藤四郎政長が弟子なり。その子長重もまた政長に随て学びぬ。
長重が子道辰早歳にして政長が子長道が門に入り元禄14年(1701年)京師に赴き伊賀守金道に就て奥秘を極むという。
その後自ら造るところの太刀を朝廷に献し若狭守に任ぜらる。
帰郷の後月俸を与え家人の列に次れしより今に至て(なお)道辰と称しその業をつけり。
若狭守道辰に賜所の宣旨今に伝て家珍とす。
その文如左。
上卿 櫛笥中納言
 元禄十四年五月七日宣旨
     藤原道辰
     宣任若狭守
     蔵人頭左近衛權中將藤原隆長 奉


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最終更新:2026年01月12日 22:32
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