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郭外 > 上町 > 行人町

陸奥国 若松 郭外 上町 行人(ぎやうにん)
大日本地誌大系第30巻 151コマ目
幕末会津若松城下地図 - 会津若松市/デジタルアーカイブ

横三日町の北に続き、末は滝沢町組町に至る。
長4町35間余・幅5間、家数65軒。

東の方に小路2条あり。
南の小路は東名古屋町に通し、北の小路は田間に通す。

文禄の頃(1593年~1596年)行壽という行人この地に住せし(ゆえ)町名となれり。
この町に年々馬市あり。
(蚕養宮村と八角分の地雑はれり)

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
創設 建久2年(1191年)~?
この町の西頬にあり。
神體(しんたい)は木像、長8寸8分。究て古物にて耳目鼻口の形も朽ちてさだかならず。三浦義連随身の像という。
相伝ふ。
義連当郡に封せらるるに及び赤沼内膳というもの跡を追て鎌倉より来る。義連これを喜し、この神體を付与し社頭を建立し内膳をして神職たらしめ、神田許多(あまた)を寄付せしという。
自来赤沼稲荷と称し士民の尊祟他に異なりしに、星霜移りて漸々に衰廃し伊達氏兵乱の後は(いよいよ)荒廃せり。
文禄中(1593年~1596年)蒲生氏市街を改めし時行人行壽その来由を訴えしかば即再興あり。
今に赤沼稲荷と称す鳥居あり。
武石隠岐が司なり。

外部リンク等

最終更新:2026年01月13日 22:30
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