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陸奥国 若松 郭外 上町 (てら)
大日本地誌大系第30巻 152コマ目
幕末会津若松城下地図 - 会津若松市/デジタルアーカイブ

堅三日町の北に並び、東は餌指町(千石町)の末西は行人町に至る。
長1町38間・幅4間、屋敷28軒。

この地、往昔寺院多し(ゆえ)に町名とせり。

寺院

真龍寺

この町の北頬にあり。
京師西本願寺の末山浄土真宗なり。
天正の頃(1573年~1593年)川井某という者菩提心を発し播州*1大阪に赴き、本願寺顯如に就て髪を薙ぎ名を慶善と改め画像の本尊一幅を請い受て帰り小庵を結で住す。これを当寺の開祖とす。
二世慶順しばしば京師に往来し寺號及び顯如が影像木佛の本尊等を得て帰り勤行益怠ることなく相続て今に至れり。
本尊弥陀、客殿に安ず。
背後に『慶長九辰年九月廿三日奥州會津郡後町眞龍寺』と書せり(慶長9年=1604年)。
また鐘一口あり。
径2尺5寸『寛延三庚午歳仲冬廿五日願主當舎第六世釋稱慶冶工早山淸左衛門藤原伊次』と彫付あり(寛延3年=1750年。仲冬=冬半ばの一か月。陰暦では十一月)。

本覺寺

真龍寺の西に並べり。
悟空山と號す。下野国真壁郡大澤圓通寺の末山浄土宗なり。
天正の頃(1573年~1593年)洛陽東山禪林寺の弟子空山という僧、大沼郡向羽黒城下三日町(橋爪組)に一宇の称小刹を建立す。
文禄の初(1593年~)氏郷市街宅地を定るに及て諸檀越と共に府下に移り、後空と空圓という僧相続て住せしが幾くも無して院宇破壊し再び修理する者なし。
元和4年(1618年)の秋下野国小倉圓充寺の僧良乗という者この地に来り、忠郷の命に依て当寺に住し廃れたるを再興せり。これに於いて如空山本覺寺と號す。故に良乗を第1世とす。
その後世々相承て今に至る。
本尊三尊弥陀、客殿に安ず。
鐘一口あり。径2尺3寸余『于時元文五庚申五月日奥州會津若松如空山本覺寺第十二世現住心蓮社良專比丘謹誌』と彫付あり(元文5年=1740年)。

外部リンク等


余談

  • 以前は通りの東端に木戸が設置されていた。
最終更新:2026年01月14日 21:18
添付ファイル

*1 播磨国。現在の兵庫県の南西部