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陸奥国 若松 郭外 下町 後分(ごのぶん)
大日本地誌大系第30巻 159コマ目
幕末会津若松城下地図 - 会津若松市/デジタルアーカイブ

桂林寺町の末に続き北の方糠塚町に通る路なり。
長2町21間・幅4間、家数13軒。

後町に隷する(ゆえ)名あり。
(西黒川赤岡分の地雑はれり)

寺院

和泉明院

この町の西頬にあり。
道場小路観音寺の末寺真言宗なり。壽寶山と號す。開基を詳にせず。
旧東黒川の地にあり(その地詳ならず)。
文禄元年(1593年)城郭修理の時この地に移り、本尊不動客殿に安ず。

荒神社

境内にあり。

威徳院

この町の末にあり。
中光山と號す。博労町自在院の末寺真言宗なり。開基の年代詳ならず。
昔は郭内諏訪神社の邊にありしが、文禄元年(1593年)沙門實尊蒲生氏に請てここに移り堂宇を中興せり。
本尊大日客殿に安ず。

圓福寺

威徳院の南にあり。
真言宗道場小路観音寺の末寺なり。醫王山と號す。
文禄元年(1593年)清譽という僧、蒲生氏に請て一宇を建立す。
また西黒川石堂分の地に地蔵堂あり。年を経て毀廃せしかばこの寺に納むという。
本尊大日客殿に安ず。
また薬師の像一軀あり。もと東黒川小黒川分の地薬師堂河原にありしを寛文中(1661年~1673年)にの寺に移せりという。

寶物

五大明王画像 一幅
空海筆といい伝う。


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最終更新:2026年01月18日 17:51
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