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郭外 > 徒町 > 一乗寺前通

陸奥国 若松 郭外 徒町 一乗寺前(いちじようじまへ)
大日本地誌大系第30巻 166コマ目
幕末会津若松城下地図 - 会津若松市/デジタルアーカイブ

新丁の南に並び天寧寺町の北にあり。東は正教寺の門前より、西は浄光寺通に至る。
長1町30間・幅2間余、家数14軒。

また東端より南に折れ天寧寺町に通ずる小路あり。正教寺通という。
(千石町分の地雑れり)


寺院

一乗寺

この通の東端にあり。
浄土宗野州*1大澤圓通寺の末山なり。頓教山と號す。
縁起を按ずるに、開山格傳は常州*2笠間の産なり。
早歳にして披薙し圓通寺の会下により第13世良信に師とし事すこと年あり。
時に良信、格傳が勤業(おこた)ることなきを善みし行基の作る所の弥陀の木像を付与す。
後格傳霊夢の告により彼像を背にして諸国を行脚し本州に来り、河沼郡柳津虚空蔵に詣で通夜せしに相識るもの出来て府下に伴われ、暫くその人の家に寓居(ぐうきょ)し、彼佛像の来由及び先の霊夢の事など具に語るに、人々凡下の僧にあらざる事を知り、蒲生家の臣等に相議して領主に請い即この寺を開かしむ。時に慶長15年(1610年)なり。
本尊弥陀客殿に安ず。

観音堂

境内にあり。

稲荷神社

同上

寶物

掛幅 一軸
蜷川新右衛門一休に与る書なり。
その文如左。
 借用申地水火風返辨申今月今日
かり置きし五つ物を四つ返し本來空に今そおもむく
 生死去來棚頭傀倱一線斷時落々磊々
いつの日のいつまて爰て出年坊すい代してはては本と
敷島てまいすてつゝは集てところふ姿はもとの木のきい
     一休老衲(不詳)

正教寺

一乗寺の東にあり。
豫州*3松山妙楽寺の末寺浄土真宗なり。
元和9年(1623年)釋榮という沙門東本願寺に至て寺號を請受けこの寺を開けり。
本尊弥陀客殿に安ず。


外部リンク等

最終更新:2026年01月21日 23:41
添付ファイル

*1 下野国。現在の栃木県

*2 常陸国。現在の茨城県

*3 伊予国。現在の愛媛県