・「幕末会津若松城下地図」は一番丁の位置が風土記とは異なっており番丁の数字がずれる。
専福寺前通より西に折れ臺町の北に続ける小路に出る通2条あり。
南は1町11間余・幅2間、家数17軒。
北は1町9間余・幅2間、家数17軒。
蒲生氏の時鷹匠を置きし故名けり。今も多くは鷹匠の居なり。
(千石町分の地雑れり)
外部リンク等
余談
- GoogleMap上に「会津中街道」とあるが、幕末(1868年)の時点でこの通りは無い。もう少し南側に南鷹匠町があったようだが…
- 詳しくは「幕末会津若松城下地図」の現在の地図との重ね表示を参照のこと
最終更新:2026年01月23日 23:18