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郭外 > 南町 > 常慶寺町

陸奥国 若松 郭外 南町 常慶寺(じやうけいじ)
大日本地誌大系第30巻 174コマ目
※国立公文書館デジタルアーカイブ『新編会津風土記21』より

中横町の南に続き、末は西に折れて馬橋に至る。
長1町14間・幅3間計、家数39軒。

醫徳山常慶寺ある(ゆえ)町名とす。
南端を古川流る。石橋を架し東黒川南町分馬橋通に通す。
(南町分の地雑はれり)

別墅(べっしょ)

この町の南端東頬にあり。
東南は東黒川南町分の田圃(たんぼ)なり。

寺院

常慶寺

この町の西頬にあり。
曹洞宗上野国白井雙林寺の末寺なり。山号を醫徳山という。
越後国常慶寺の住持慶岩という僧、上杉景勝就封の後壇越(だんおつ)*1の好を慕いこの地に来り当寺を建立す。時に慶長4年(1599年)なり。
後程なく囘祿(かいろく)に罹り(ことごと)く什宝を失う。
本尊釈迦、客殿に安ず。

白山神社

境内にあり。
相殿一座あり。

稲荷神

この町より移せり。

旧家

三善藤四郎

その先藝州*2広島の産にて藤四郎長国といい初め宗左衛門と称す。
幼にして父に後れ伯父播磨守輝宏に育はれ備前長義が流を()んで刀剣の工を学べり。
子を藤四郎政長といい初めは理右衛門正長と称す。天文中(1532年~1555年)加藤嘉明に招かれ父と共に伊予国末山に至り寛永4年(1627年)従てこの地に来れり。政長が子を藤四郎長道と称す。銘に『陸奥大掾三善長道』と彫しはこれなり。これ等世の知る所にてその業(すこぶ)る秀たり。
長道より今の藤四郎長道に至て6世相続し月俸を与て家人の列に次せしむ。


外部リンク等


余談

  • 別墅は安政年間若松城下絵図でいう所の古河御茶屋付近が該当し、会津藩主別荘観稼亭跡地に古川稲荷神社が建てられている。…市がここを更地にする計画だとか。それは止めましょう。
  • 現在この通りの南端には古川を渡す馬橋が架かっているが、以前はこの橋はなく変わりに上流側の上馬橋か下流側に架かる下馬橋を利用していた。
最終更新:2026年01月31日 23:25
添付ファイル

*1 寺院や僧に金品を贈与する信者

*2 安芸国。現在の広島県西部