二之丸の南より西に廻れる郭の内をいう。
この所に住古より熊野権現の宮ある故名く。
権現下郭
神社
東照宮
熊野宮
| 祭神 |
伊弉冊尊、早玉男神、事解男神 |
| 勧請 |
建久2年(1191年)~建久3年(1192年)? |
延壽寺の北にあり。
久壽2年(1155年)義連の父三浦介義明に勅して下野国那須の狐を狩らしめ給う。
義明紀州熊野宮に祈りて功あり、故に三浦氏この神を尊崇し義連の時に勧請せりとぞ。
延壽寺これを司る。
鳥居
両柱の間9尺。
本社
2間に1間余。
西向き。
幣殿
1間に1尺余に1間。
拝殿
3間に2間。
末社
山王神社 本社の東北にあり。
稲荷神社 同上。
寶物
鐵鉢 一口
徑1尺8寸。
その形、本二之丁諏方神社にある所の鐵鉢に相似たり。
「奥州大會津郡小高木村熊野権現御鉢檀那沙浄應安七甲寅年十二月」(応安七年:1374年)の数字を陰起にす。
(延壽寺の縁起に、応安の頃小高木領主は大葉帯刀左衛門平景兼なり。妙浄は景兼が門族の人なるべき由あり)
豊岡神社
| 祭神 |
土津大明神(中将正之の霊號) |
| 徳翁霊神(中将正容の霊號) |
| 土常霊神(少将正貞の霊號) |
| 創設 |
寛文12年(1672年)~ |
熊野宮の東にあり。
土津大明神(中将正之の霊號なり)・得翁霊神(中将正容の零號なり)・土常霊神(少将容貞の零號なり)祭れる社なり。
寛文12年(1672年)正之逝して耶麻郡猪苗代見祢山に葬り社を建てこれを祭る。
といえども行程数里を隔る故この別社を営して拝所とす。
徳翁・土常の二霊社は後に併せ祭れる所なり。
この地加藤氏の時まで士屋敷なりしが、地形勝れまた内郭への通行便よき故この社を置く。
毎年8月28日祭禮あり。
おおむね見祢山の式にならび、社家三員ならび宮奴等を置て祭事に供す。
総門
高2間半、横2間半、北向。
内に番所あり。
神馬厩
韓門にゆく道の左にあり。
韓門
高1丈、横8尺。
左右に玉垣を繚らせり。長19間余。
この門の北に便門あり。
鳥居
韓門を入て東にゆき、又北に折てこの鳥居あり。
両柱の間8尺余。
拝殿
7間に3間。前に3間に1間の向拝あり。
本社
2間半四面、南向。
三方に玉垣を繚す。周21間余。
神供所
本社の西にあり。
4間半に2間半。
この西に社人詰所あり。
浴室
神供所の西、玉垣の外にあり。
外部リンク等
豊岡神社
本神社だけではなく、南口にあった幾つかの建物は戊辰戦争時にアームストロング砲の的になっていたでしょう。
若松史の廃社の項には東照宮、豊岡神社の名があります。
平景兼
最終更新:2026年03月09日 23:10