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権現下郭

陸奥国 若松 郭内 権現下郭(ごんげんしたぐるわ)
大日本地誌大系第30巻 115コマ目
※会津城下のまちわり - 会津若松史 第2巻より

二之丸の南より西に廻れる郭の内をいう。
この所に住古より熊野権現の宮ある(ゆえ)名く。

権現下郭


神社

東照宮


熊野宮

祭神 伊弉冊尊、早玉男神、事解男神
勧請 建久2年(1191年)~建久3年(1192年)?
延壽寺の北にあり。
久壽2年(1155年)義連の父三浦介義明に勅して下野国那須の狐を狩らしめ給う。
義明紀州*1熊野宮に祈りて功あり、(ゆえ)に三浦氏この神を尊崇し義連の時に勧請せりとぞ。
延壽寺これを司る。

鳥居

両柱の間9尺。

本社

2間に1間余。
西向き。

幣殿

1間に1尺余に1間。

拝殿

3間に2間。

末社

山王神社 本社の東北にあり。
稲荷神社 同上。

寶物

鐵鉢 一口
徑1尺8寸。
その形、本二之丁諏方神社にある所の鐵鉢に相似たり。
「奥州大會津郡小高木村熊野権現御鉢檀那沙浄應安七甲寅年十二月」(応安七年:1374年)の数字を陰起にす。
(延壽寺の縁起に、応安の頃小高木領主は大葉帯刀左衛門平景兼なり。妙浄は景兼が門族の人なるべき由あり)

豊岡神社

祭神 土津大明神(中将正之の霊號)
徳翁霊神(中将正容の霊號)
土常霊神(少将正貞の霊號)
創設 寛文12年(1672年)~

熊野宮の東にあり。
土津(はにつ)大明神(中将正之の霊號なり)・得翁(とくおう)霊神(中将正容の零號なり)・土常(どじょう)霊神(少将容貞の零號なり)祭れる社なり。
寛文12年(1672年)正之逝して耶麻郡猪苗代見祢山に葬り社を建てこれを祭る。
といえども行程数里を隔る(ゆえ)この別社を営して拝所とす。
徳翁・土常の二霊社は後に併せ祭れる所なり。

この地加藤氏の時まで士屋敷なりしが、地形勝れまた内郭への通行便よき(ゆえ)この社を置く。
毎年8月28日祭禮あり。
おおむね見祢山の式にならび、社家三員ならび宮奴等を置て祭事に供す。

総門

高2間半、横2間半、北向。
内に番所あり。

神馬厩

韓門にゆく道の左にあり。

韓門

高1丈、横8尺。
左右に玉垣を繚らせり。長19間余。
この門の北に便門あり。

鳥居

韓門を入て東にゆき、又北に折てこの鳥居あり。
両柱の間8尺余。

拝殿

7間に3間。前に3間に1間の向拝あり。

本社

2間半四面、南向。
三方に玉垣を繚す。周21間余。

神供所

本社の西にあり。
4間半に2間半。
この西に社人詰所あり。

浴室

神供所の西、玉垣の外にあり。

外部リンク等


豊岡神社

本神社だけではなく、南口にあった幾つかの建物は戊辰戦争時にアームストロング砲の的になっていたでしょう。
若松史の廃社の項には東照宮、豊岡神社の名があります。

平景兼

大庭景兼の事か?
最終更新:2026年03月09日 23:10
添付ファイル

*1 紀伊国。現在の和歌山県