二之丸の南より西に廻れる郭の内をいう。
ここに住古より熊野権現の宮ある故名く。
五軒丁
権現下郭の土居に就き東より西にゆき北に折れまた西に廻りて大町通に出。
長4町4間・幅10間。
家数5軒。
この邊加藤氏のときまでは士屋敷あまた有りしが、今は5軒となりき故この名あり。
倉屋敷
二ヶ所あり。東にあるを上倉といい、西にあるを下倉と称ふ。
家人に給する倉米を蔵む。
熊野口
また天神口ともいう。郭南深澤天神社に近き故なり。
この丁の東端にて西に向い南に折れ河原新丁に分る郭門なり。
番所、北向。
熊野宮の側にある故この名あり。
外讃岐口
熊野口の西にあり。
内郭に同名ある故内外を以て分つ(府城西出丸の条下と照見るべし)。
今鎖して往来を禁ず。
正覺寺迹
今豊岡神社のある所なり。蒲生氏の頃までこの寺ありしといい伝う。
神社
東照宮
熊野宮
祭神 |
伊弉冊尊 |
イザナミ? |
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早玉男神 |
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事解男神 |
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勧請 |
建久2年(1191年) ~建久3年(1192年)? |
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延壽寺の北にあり。
久壽2年(1155年)義連の父三浦介義明に勅して下野国那須の狐を狩らしめ給う。義明紀州熊野宮に祈りて功あり故に三浦氏この神を尊崇し、義連の時に勧請せりとぞ。
延壽寺これを司る。
鳥居
本社
幣殿
末社 山王神社
末社 稲荷神社
寶物
豊岡神社
祭神 |
土津大明神 |
中将正之の霊號なり |
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徳翁霊神 |
中将正容の霊號なり |
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土常霊神 |
少将正貞の霊號なり |
創設 |
寛文12年(1672年)~ |
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熊野宮の東にあり。
寛文12年(1672年)正之逝して耶麻郡猪苗代見祢山に葬り社を建てこれを祭る。といえども行程数里を隔る故この別社を営して拝所とす。徳翁・土常の二霊社は後に併せ祭れる所なり。この地加藤氏の時まで士屋敷なりしが、地形勝れまた内郭への通行便よき故この社を置く。
毎年8月28日祭禮あり。おおむね見祢山の式にならび社家三員幷宮奴等を置て祭事に供す。
総門
神馬厩
韓門
鳥居
拝殿
本社
神供所
浴室
最終更新:2020年02月29日 08:09