※国立公文書館デジタルアーカイブより
祭神 |
東照大権現? |
相殿 |
山王神 |
|
摩多羅神 |
勧請 |
寛永元年(1624年) |
この丁の東端一段高き所にあり。
数囲の老杉宮居の四方を
繞り、南は外郭の堀に
傍ひ、北は城樹高く聳え、勝れたる地形なり。
寛永元年蒲生忠郷ここに勸請し奉り(
舊事雑考に元和7年(1621年)10月より土木の事をはじめその明年(1622年)に
造畢せる由あり)法器法衣等の寄進ありしとぞ。また加藤成明の時(寛永8年(1631年)~寛永20年(1643年))会津郡神指村にて200石の地を寄献せり。肥後守正之に就て後(寛永20年(1643年)~)200石の神領を付し奉ること故の如し。
下馬札
表門の前鳥居の南にあり。
鳥居
枙立造にて両柱の間1丈2尺。
ここより石階を登て表門に至る。
制札
石階を登り右の方にあり。
府より殺生・伐木・狼藉等を禁ずる牓示なり(以下凡て神社の制札というもの、これに倣う)。
表門
盥水所
韓門の西北道の左にあり。石の盥を居へ小屋を架す。
「とち葺」なり。
石燈籠 九基
韓門にゆく道の左右に列れり。その内2基に彫付あり。
一は『奉造立東照大權現御寶前元和□年□□八月十□日稻田馬助□□』と刻み、一は『奉上石煙籠東照大權現御寶前北川土佐守寛永元年甲子六月吉日』とあり。
※寛永元年=1624年
韓門
唐破風造。「とり葺」にて8尺5寸に7尺。前に石階あり。
ここより左右透墻ありて本殿の四方に繚れり。
周56間余。
本殿の南北に小門あり。
この内はみな黒き小石敷詰にす。また透墻の外、南の方に柵木をふり外構とす。
木戸あり。
拝殿
4間半に2間。三方に幅3尺の庇縁あり。
欄干を設く前に3間に1間半の向拝あり。
唐破風造なり。
西に下る所3級の階あり下に浜縁あり。
「とち葺」にてみな黒塗なり。
幣殿に行く所3級の階を下る。
幣殿
3間に2間半。
これも「とち葺」にて黒塗なり。
本殿に升る所7級の階あり。
本殿
「とち葺」にて3間四面、西向。
柱・梁戸及び四方の縁までみな黒漆の堅地にて黄金を鏤め種々の彩色を施し、その結構極て美麗にして最尊厳なり。
庇縁は四方に廻り幅3尺を設く。
内陣に神體を安置し奉り左右に山王神・摩多羅神を併祭る。
総門
皷堂
別当 延壽寺
書院
庫裏
寶物
東照宮神翰 一通
東照宮神號 一幅
古鏡記 一軸
往昔当寺の住僧珍慶が撰する所なり。蟲喰て全く存せず。
八十鏡記と称ふ(按ずるに、件の記に本の字を本に作るを蟲喰て八十の如く見ゆる
故鏡の名と思へるなるべし。
舊事雑考にこの記を載て本鏡者云云と書せり。さきに古鏡一面并筥一箇あり。その筥の製竪6寸2分・横4寸3分、地黒漆蒔絵あり。金丹を施し細画の妙を盡せり。その内別に一の小き筥ありて件の古鏡を納む。その形方2寸9分、表に佛像を鏤し裏に『湖州眞石家念三叙青同照子』の12字を彫れりという。共に今はなし。この古鏡記はこの鏡に付し記なりとぞ)その文左に出す。
(記文下上不残缺虫食喰にて読むべき字僅少なれば省きぬ)
※国立公文書館デジタルアーカイブより
妙見像
文書
最終更新:2020年02月29日 05:46