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東照宮

陸奥国 若松 郭内 権現下郭 東照宮
大日本地誌大系第30巻 115コマ目
※国立公文書館デジタルアーカイブ『新編会津風土記 十四』より

祭神 東照大権現?
相殿 山王神
摩多羅神
勧請 寛永元年(1624年)

この丁の東端、一段高き所にあり。
数囲の老杉宮居の四方を(めぐ)り、南は外郭の堀に傍ひ、北は城樹高く聳え勝れたる地形なり。
寛永元年(1624年)蒲生忠郷ここに勸請し奉り(舊事雑考に元和7年(1621年)10月より土木の事をはじめ、その明年(1622年)に造畢(ぞうひつ)*1せる由あり)法器・法衣等の寄進ありしとぞ。
また加藤成明の時(寛永8年(1631年)~寛永20年(1643年))会津郡神指村にて200石の地を寄献せり。
肥後守正之に就て後(寛永20年(1643年)~)200石の神領を付し奉ること故の如し。

下馬札

表門の前鳥居の南にあり。

鳥居

()立造にて両柱の間1丈2尺。
ここより石階を登て表門に至る。

制札(せいさつ)

石階を登り右の方にあり。
府より殺生・伐木・狼藉等を禁ずる牓示(ぼうじ)なり。
(以下、(すべ)て神社の制札というものこれに倣う)。

表門

正面の門なり。
柿葺四建作にて2間に1間5尺余。
常は鎖て往来を禁ず。
ここを入て韓門まで敷石となり、又この門より東西北三方に塀を廻せり。

盥水(かんすい)

韓門の西北道の左にあり。
石の(たらい)を居へ小屋を架す。
「とち葺」なり。

石燈籠 九基

韓門にゆく道の左右に列れり。
その内2基に彫付あり。
一は『奉造立東照大權現御寶前元和□年□□八月十□日稻田馬助□□』と刻み、
一は『奉上石煙籠東照大權現御寶前北川土佐守寛永元年甲子六月吉日』とあり。
※元和:1615年~1624年、寛永元年:1624年

韓門

唐破風造。「とち葺」にて8尺5寸に7尺。前に石階あり。
ここより左右透墻(すかしがき)ありて本殿の四方に(めぐ)れり。周56間余。
本殿の南北に小門あり。
この内はみな黒き小石を敷詰にす。
また透墻の外、南の方に柵木をふり外構とす。
中に木戸あり。

拝殿

4間半に2間。
三方に幅3尺の庇縁あり欄干を設く。
前に3間に1間半の向拝あり。唐破風造なり。
西に下る所三級の階あり下に浜縁あり。「とち葺」にてみな黒塗なり。
幣殿に行く所、三級の階を下る。

幣殿

3間に2間半。
これも「とち葺」にて黒塗なり。
本殿に(のぼ)る所七級の階あり。

本殿

「とち葺」にて3間四面、西向。
柱・梁戸扉及び四方の縁までみな黒漆の堅地にて黄金を(ちりば)め種々の彩色を施し、その結構極て美麗にして最尊厳なり。
庇縁は四方に廻り幅3尺、欄干を設く。
内陣に神體(しんたい)を安置し奉り、左右に山王神・摩多羅神を併祭る。

宝倉

本殿の東南にあり。
3間に2間。

総門

表門の南にあり。
1間2尺に1間余。
常にはこの門を通行す。

皷堂

総門を入て左にあり。
2間四面。

別当 延壽寺

本殿の南にあり。
山號を天耀山という。
東叡山の末寺、天台宗なり。
昔は遮那院と號す。後改て地定院と称す。
相傳て、慈覺の草創という。
長禄4年(1460年)の頃当寺始て灌項の法を行う。その式を記せる書一巻あり。巻末に「大會津郡黒川小高木(小田垣の條下に併見るべし)天耀山延壽寺遮那院住持沙門英海」という書附けありしという。当寺昔より熊野宮の社務を司り、又忠郷東照宮を勧請し奉りしより己來(こらい)別当を勤て今に至る。

書院

10間に4間半。
この東に祈祷所あり。
3間四面、不動を安じ本尊とする。
またその東に2間四面の所あり。
大猷院殿・嚴有院殿・常憲院殿・有徳院殿・浚明院殿・孝恭院殿の霊牌を安置し奉る。

庫裏

11間半に4間半。

寶物

東照宮神翰 一通
封して見ることを許さず。

東照宮神號 一幅
東叡山尭然法親王筆。

古鏡記 一軸
往昔当寺の住僧珍慶が撰する所なり。蟲喰て全く存せず。
八十鏡(やそかがみの)記と称ふ。
(按ずるに、件の記に本の字を本に作るを蟲喰て八十の如く見ゆる故鏡の名と思へるなるべし。舊事雑考にこの記を載て本鏡者云云と書せり。さきに古鏡一面ならび筥一箇あり。その筥の製竪6寸2分・横4寸3分、地黒漆蒔絵あり。金丹を施し細画の妙を盡せり。その内別に一の小き筥ありて件の古鏡を納む。その形方2寸9分、表に佛像を鏤し裏に『湖州眞石家念三叙青同照子』の12字を彫れりという。共に今はなし。この古鏡記はこの鏡に付し記なりとぞ)
その文左に出す。
(記文下上不残缺虫食喰にて読むべき字僅少なれば省きぬ)
※国立公文書館デジタルアーカイブより

妙見像 一幅
名氏を失す。
唐人筆。

文書 二通
一通は加藤斉昭、神領寄付の書なり。
一通は慶安年中(1648年~1652年)住持尊易が時、上野国世良田長楽寺と本末の争論ありしに、当寺もと故ある古道場にて東照宮鎮座の霊地なれば、東叡山毘沙門堂門跡大僧正公海より直末に属せる由を書て与えられし文書なり。


参照・補足

東照宮は戊辰戦争の時に砲撃にあい大破、宝物は略奪され何も残っていない。

書院で祭られている霊位牌について

将軍 霊牌 院号 人物 備考
1 安国院殿(あんこくいんでん) 徳川家康 東照大権現
2 台徳院殿(たいとくいんでん) 徳川秀忠
3 大猷院殿(たいゆういんでん) 徳川家光
4 嚴有院殿(げんゆういんでん) 徳川家綱
5 常憲院殿(じょうけんいんでん) 徳川綱吉
6 文昭院殿(ぶんしょういんでん) 徳川家宣
7 有章院殿(ゆうしょういんでん) 徳川家継
8 有徳院殿(ゆうとくいんでん) 徳川吉宗
9 浚明院殿(しゅんめいいんでん) 徳川家重
10 孝恭院殿(こうきょういんでん) 徳川家治 没年:天明6年(1786年)
11 慎徳院殿(しんとくいんでん) 徳川家斉 没年:天保12年(1841年)
12 慎徳院殿(しんとくいんでん) 徳川家慶
13 温恭院殿(おんきょういんでん) 徳川家定
14 昭徳院殿(しょうとくいんでん) 徳川家茂
15 有徳院殿(ゆうとくいんでん) 徳川慶喜
※文化6年(1809年)に新編会津風土記が完成。没年が以降の将軍の霊牌については記載なし。
最終更新:2026年03月09日 22:18

*1 作り終える