東明寺



時宗当麻山と號す。建治3年(1277年)一遍の開基なり。
もと郭内本二之丁にあり(当麻丁に当寺もと彼地にありし由を伝う)元和2年(1616年)この地に移れり。
縁起を按ずるに一遍は伊予国の住人河野七郎通廣が二男なり。建長中(1249年~1256年)に発心して僧となり、善惠に逢て念佛の法門を学び11年を経て自ら知眞房と改め紀州熊野に至り、霊夢を(こうむ)り時宗を開き、建治3年本州に下りこの寺を建立し、奉持するところの熊野の神像を以て神足の弟子其阿という僧に付属し、遂に摂津国兵庫の観音堂にて遷化す。その後当寺の住持は他宗の管轄を請けず代々上人と称し大和国禅林寺・相模国無量寺に当寺を加えて三当麻とす。
初は本堂27間余ありて寮舎も亘宏なりしが、(しばしば)囘祿(かいろく)*1に罹て壮麗を失えり。されども元和の頃(1615年~1624年)までは(なお)26院ありしという。所謂(いわゆる)開山一遍の影堂を始め林華院・西蔵院・蓮宗院・陽徳院・巖重庵・多寶院・地蔵院・養福院・春長いん・重梵院・金樹院・光明院・下林庵・虚空蔵院・覺雲軒・壽塔院・西住院・庭樹院・林草院・為重院・志閑軒・壽端軒・権宗院・華阿弥衆阿弥なり。
永禄の頃(1558年~1570年)越中の産文峯という僧遊行に隋来りしを葦名盛興ふかく帰依し留て当寺の住職とす。その頃までには寺産(なお)400石ありて建治の盛蹟を減せさりしとぞ。
(つい)で上杉景勝の時も眷遇厚かりしかば慶長6年(1601年)従て米沢に移る。蒲生家再封の時この寺無住なる故(しばら)く臨済の僧に(あた)え寺号を改て成願寺という。忠郷の時今の地に移れり。
往年囘祿にかかり今は庫裏假殿のみにて造営未だ成らず。
弥陀を本尊とす。長1尺1寸8分・脇侍各長8寸余、古物なり。
また鐘一口あり。径2尺1寸。銘左に載す。
 日本國奥州大會津黒河  奉懸東明寺大鐘事
 右志趣者爲法界平等利益也
        大工圓聖 幹緣浄阿彌陀佛
    大檀那下津珠阿敬白
      住持重阿彌陀佛
 應安八年乙卯四月廿三日鑄造
※應安8年=1375年

閻魔堂

熊野宮

六時常行念佛堂跡


寶物

草書十八名號

3幅

六字名號

3幅

弥陀仏像

2軀

地蔵木像

1軀

一遍木像

1軀

画像

3幅

圓輪光曼荼羅

1幅

一遍消息

1通

紺地金字阿彌陀経

1軸

圓磬

1枚

青磁香爐

1口

墜歯

1枚

菅天神画像

1幅

人麿画像

1幅

葦名盛氏文書

1通

最終更新:2020年02月23日 02:54

*1 火災にあう事