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陸奥国 若松 郭外 上町 (だいの)町(台ノ町)
大日本地誌大系第30巻 152コマ目
幕末会津若松城下地図 - 会津若松市/デジタルアーカイブ

南は縦町願成就寺前通の末より、北は阿弥陀町の角に至る。
長1町24軒・幅3間余、家数17軒。

地高の所なる(ゆえ)名けり。
また屋敷町より北の方buを浄光寺町ともいう。
昔、井上浄光寺この地にありし故名けり。

寺院

薬師堂

この町の北頬にあり。
3間半四面南向。
縁起を按ずるに、至徳元年(1384年)葦名直盛小田山城営築の時鎌倉より移りし場内の鎮護佛とし、寛永14年(1637年)内郭修理の時滝沢村八幡宮の側に移して別当延壽院4世秀純に属して奉持せしむ。
正保3年(1646年)秀海が時訴る旨ありて境内に移し世々別当職たり。

別当 延壽院

本堂の西にあり。
一城山と號す。醍醐三寶院の末寺真言なり。開山を亮圓という。
慶長6年(1601年)蒲生秀行再封の時密宗の僧侶8人をして国家安全を祈らしむ。亮圓その一なり。これに於いて今の道場を開き蒲生家より寺産50石を付せりという。
2世亮榮宇都宮正福寺に移住して寺産を失う。
始は延命院と號せしが第4世秀純が時今の號に改む。

外部リンク等

  • Google Map
    • 台ノ町
    • 薬師堂 - 戊辰戦争時に寺宝は略奪、本堂は破壊・放火され消失
      • 延寿院

余談

  • 延寿院の宝物であった「紙本著色胎蔵金剛両界曼荼羅」は円福寺に現存しているとのこと
最終更新:2026年01月14日 13:26
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