曹洞宗金剛山と號す。下総国結城安穏寺の末山なり。
縁起によるに、天正18年(1590年)蒲生氏郷父賢秀の為にこの寺を郭内(
米代四之丁の地なりという)に造営し、安穏寺の僧存鶴が高徳を思慕し請いて開山とし、崇敬殊に厚く封内の僧録司とし寺領100石と寄付せり。
加藤氏より当家に至て、寺領及び僧寺司を勤ること故の如し。
慶長17年(1612年)ここに移れり。
末寺28ヶ寺あり。
総門
四建作りなり。
制札
門外にあり。
鐘楼門
総門の奥にあり。ここより左右に廊下ありて、庫裏と衆寮に通ず。
3間に2間。
洪鐘、径2尺2寸。
『奥州會津分下荒居村康寧山寶壽禪寺洪鐘壹口住持惠静檀那左金吾盛久大工景廣康安壬寅年仲呂日』と彫付あり(康安2年壬寅=1362年)。この鐘如何なる故にて当寺に持伝えしと云うこと詳ならず。
客殿
11間半に7間、西向。
本尊釈迦、また賢秀の位牌を安ず。
『恵倫寺殿天英輪大禅定門天正十二年四月十七日』と記せり(天正12年=1584年)。
庫裏
客殿の南に続く。
11間に4間半。
衆寮
客殿の西北にあり。
11間半に4間半
青龍神社
総門の左にあり。
鳥居あり。
寶物
蒲生氏郷文書
1通。その文如左
(※略)
蒲生秀行寄付状
1通。その文如左
(※略)
禄役定
(※略)
最終更新:2020年03月11日 19:12