この村もと松平村という。慶安元年(1648年)に今の名に改む。
府城の南に当り行程8里18町。
家数26軒、東西2町20間・南北1町2間。
畳山の間にあり。
西南に鶴沼川を擁し、東北に菜圃あり。
東19町、西8町、南11町、北14町、共に
芦原村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り1里6町。
また巳(南南東)の方24町白川領岩瀬郡湯本村に界ふ。
山川
蝉坂(蝉峠)
村の巳(南南東)の方8町計にあり。湯本村にゆく経路なり。
西に断岸聳え東は鶴沼川に臨む。
年々2、3月の際雪頽の患ありて従来に苦しむ。
坂中に俵巌とて状屋柱の如きもの数多並び立てり一奇観なり。
鶴沼川
村南にあり。
湯本村の境内より来り、1里8町亥(北北西)の方へ流れ、
芦原村の界に入る。
広20間。
関梁
廻橋
村より巳(南南東)の方6町30間。
蝉坂に行く道、鶴沼川に架す。
長8間・幅8尺。
神社
熊野宮
村より丑寅(北東)の方30間余にあり。
鳥居あり。田良尾村修験金剛院これを司る。
今の蝉峠はトンネルを通って簡単に通行できますが、少し前は山の横の鶴沼川の北を川沿いに通っていました(現在途中で通行止め)。さらに昔は村松から橋(廻橋?)を渡り鶴沼川の南側を通っていました。
※地理院地図(明治43年測図)
最終更新:2020年05月26日 17:14