白峯銀山

白峯(しらふ)銀山とは、奥只見にかつてあった銀山です。
尾瀬(おぜ)沼を水源とし福島・新潟両県の境を北流する只見川(ただみ)へ、(こま)ヶ岳を源とする大津岐(おおつまた)川が合流する下流の右岸にある。元禄二年(一六八九)の河村瑞賢宛の白峰銀山炭座願(福島県史)に「会津御領所白峯柳沢平御銀山今年御問掘被為仰付候」とあり、この年から採掘されている。精錬所もあり、一時は鉱山町が近くにできるほどに発展した。「新編会津風土記」には「寛永の頃より録坑を開き出ること多く、諸国より人多く集り小屋千軒に及びしに宝永三年に廃す」とあり、今も傾城沢(けいせいざわ)など、かつての繁栄を表す地名が残っている。

現在は奥只見ダム建設(ダムの完成は1962年(昭和37年))により奥只見湖の湖面に沈んでいます。
採掘跡地や鉱山犠牲者を祭った神社(十二山神社)に名残りがあります。

銀山に関する簡易年表
和暦 西暦 風土記の記述 出来事
寛永18年 1641 赤川表で銀鉱発見(上田銀山)
寛永19年 1642 越後国の高田領と境界を争う
寛永20年 1643 加藤明成、領地返上
保科正之、会津藩主に
寛永の頃 1624~1645 銀坑を開く
正保3年 1646 只見川を境界とする事が決まる
宝永3年 1706 銀坑を廃す
※参照:会津郡の条下「白峰」の記述より。大日本地誌大系 第31巻の10コマ目左下


古地図:奥只見ダム建設前の地図
只見川と大津岐川の合流地点から下流~細越山近辺まで
※地理院地図(大正元年測図/昭和6年要部修正)
最終更新:2025年06月18日 21:08
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