白峯銀山

白峯(しらふ)銀山とは、奥只見にかつてあった銀山です。
現在はダム建設により奥只見湖の湖面に沈みました。
採掘跡地や鉱山犠牲者を祭った神社(十二山神社)に名残りがあります。

詳細は以下のリンク先を参照してください。


年表
和暦 西暦 風土記の記述 出来事
寛永18年 1641 赤川表で銀鉱発見(上田銀山)
寛永19年 1642 越後国の高田領と境界を争う
寛永20年 1643 加藤明成、領地返上
保科正之、会津藩主に
寛永の頃 1624~1645 銀坑を開く
正保3年 1646 只見川を境界とする事が決まる
宝永3年 1706 銀坑を廃す
その後 抗を開いて鉛をとる
数年ならずして廃す
会津郡の条下「白峰」の記述より。大日本地誌大系 第31巻の10コマ目左下
最終更新:2020年03月07日 15:34