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中堅手(センター)

登録日:2026/01/12 Mon 13:45:00
更新日:2026/07/20 Mon 02:19:16
所要時間:約 15 分で読めます




中堅手(センター)とは、野球もしくはソフトボールのポジションの一つである。



【概要】


野球やソフトボールにおいて、3人いる外野手のうち、ホームから見て真ん中を守るポジション。

守備位置番号は「8」番。英語表記は「Center-fielder」で略称は「CF」。

左翼手右翼手に挟まれた場所に位置し、二塁手遊撃手の後方を主な守備範囲とする。

【主な役割】

一番重要なのは、センターへの打球を処理する事。ライトやレフトにはファウルゾーンが隣にあるのに対し、センターはファウルゾーンに面してない為、守備範囲が広くなる。

次にライトとレフトへの守備位置の指示を出す事。センターはフィールド全体を見渡す事が出来るので、キャッチャー、ピッチャーの延長線上にもいる為、バッターの特徴も見る事が出来る。この位置を利用して情報を処理し、センターはライト、レフトへ的確な指示出しを行わなければならない。

他にはショートやセカンドの打球処理が失敗した時、キャッチャーの盗塁阻止送球が逸れた時、ピッチャーの牽制悪送球の時、これら全てのカバーリング、ライトやレフトの打球のカバーリング、返球時の中継役として相手走者の現在位置や送球方向をアドバイスするなどの役割がある。
総じて重要度の高いポジションであり、キャッチャー・ショート・セカンドとともに「センターライン」と呼称され、チームの中でも守備能力に秀でた選手が任されることが多い。

【ポジションとしての特徴】

外野手全般、「打球に関する勘」が必要不可欠であるが、センターは守備範囲が広い代わりに「素直な打球」が多く、印象に比して守りやすいポジションとも言われる。
しかし広大な範囲をカバーする足の速さは必須で、外野の深い位置から返球することも多いため、肩もある程度は強くないといけない。
もっとも、これに関しては一定以上のレベルになると守備範囲の広さ、つまり足の速さと打球判断の素早さ・正確性の両立の方が優先されることが多く、「極端な弱肩でなければいい」くらいの方針で選手を配置するチームも多い(実例として赤星憲広、青木宣親、近本光司あたりは(外野手としては)弱肩でも有名だった)。
近年は進塁打の基本・ライト方向狙いの打撃に対する対策として右翼手に強肩選手を置く(例としてMLB時代のイチローなど)*1のがセオリーになっており、
守備範囲のセンター、強肩のライトという振り分けが成立しつつある。
センターはライト、レフトに守備の指示を出す役割も持つので、リーダーシップが有れば尚よろしい。打球を止める最後の砦なので、交錯したりしないように声を出すのは特に重要である。
一方で位置関係上ベースカバーは本塁から二塁への方向の悪送球のケースを除けばほぼ必要が無きに等しく、身体能力にさえ優れれば野球頭脳はあまり必要ない。あれ?以前そんな選手がいたような…

上述した「打球の質の違い」により、中堅はこなせても両翼は不得手という選手もいる。
打力に特化した打線、通称ファイヤーフォーメーションを組む場合は金城龍彦のような優れたセンターを最後の砦として両翼をカバーさせることもあるが、
最低限の役割だけと割り切って強打者のタフィ・ローズ、ウォーレン・クロマティ、マット・マートンといった選手を配置し、外野守備を丸ごと投げ捨てることもある。


MLBの中堅手のレベルはハッキリ言ってMLBを知らない人間の想像を遥かに上回る。
2020年代では基本的にMLBの水準に達していれば「 日本なら二塁打性と言える大飛球は、自分から見て右翼手より右で左翼手より左なら、全部届く 」と言って良い。 MLB外野手にとって本塁打以外の滞空時間のある当たりは全部凡打にできて当たり前 なのである。
少し誇張が入るかもしれないが「 MLBの中堅手は100m10秒台が義務教育 」という話もあり、それを考えると 「陸上に進めば陸上スプリンターの世界戦線に上陸できる才能のある人間でしか実現できない守備範囲が大前提」という魔境 である。
故に現代MLBにおいて「そもそも本塁打が打てない長打力だとヒット性の当たりそのものが期待できない」のである。
つまり、 既に本塁打はパワーの誇示や興業政策という次元では断じてない。
肩力も超インフレに至っており、現代MLBにおいて遠投120mは「中堅手ならこれでもまだ足りない」と平均以下の扱いであり、基本的に平均的なMLBの中堅手は「 肩の強さだけならいつでもローテーション級の投手にコンバートできる 」ぐらいでなければ出番を貰う見込みはない。 「弱肩を超スピードでカバーする中堅手」は少なくともMLBにおいてはもう現実に通用しない。

アメリカ球界においては黒人の白人と比べての人種・リソース格差から、身体能力の高い部員は指導者にほぼほぼ外野手以外をやらせてもらえないのが実情である。そんな中で、黒人にとってMLBの中堅手は 黒人野球選手が見てもよい夢の中では一番の花形ポジション である。

【主な実在選手】

(五十音順で表記し、各球団から先発出場が一番多い選手を選出しました。)

《現役選手》


  • 五十幡亮汰
北海道日本ハムファイターズ所属。
2020年ドラフト2位で入団。
50m走で最速5秒6を記録、中学時代に陸上競技で全国大会に出場した際は100m走日本歴代2位の記録を持つサニブラウン・アブデル・ハキームに勝って2種目で優勝した経験もある俊足の持ち主。しかし2025年ペナントレース終了時点で規定打席到達は未だ無し。これは2023年まで毎年のように肉離れなどの怪我で長期離脱があった他、2024年以降はチームの選手層が厚くなったこともあって首脳陣的に休養を取らせたり他選手との併用により、年間通して活躍出来ると踏んで起用している未完の大器。
その潜在能力から「脚のスペシャリスト」として侍ジャパンに召集されたこともある。
2025年はセンターでチーム最多の65試合に先発出場。2番手は29試合に出場し、2025年オフに巨人にFA移籍した松本剛である。

  • 岩田幸宏
東京ヤクルトスワローズ所属。
2021年育成ドラフト1位で入団、2024年に支配下契約。
2025年、本来のレギュラーである塩見泰隆や並木秀尊ら外野手に故障離脱が相次いだことから出場機会を掴み、規定打席に42足りないものの、計126試合・センターでチーム最多の86試合に先発出場。401打席で打率.266を記録した。
持ち味は50m走で5秒7の俊足。

  • 岡林勇希
中日ドラゴンズ所属。
2019年ドラフト5位で入団。
三重県立菰野高校時代は投手として最速153km/hを記録、野手として50m走で5秒8の俊足、遠投120mを記録するなど、投打に優れた逸材。プロでは外野手一本に。
中日の育成と本人の努力が噛み合い、才能が開花。2022年に初の規定打席到達、以後2025年まで4年連続規定打席到達を達成している。
2025年はセンターでチーム唯一の143試合に先発出場。

  • 桑原将志
埼玉西武ライオンズ所属。
2011年ドラフト4位で横浜DeNAベイスターズに入団。
元々は内野手として入団したが、送球難から3年目に外野手へ転向すると5年目にブレイクし規定打席に到達。
以降は故障に泣かされた年もあったものの、2025年までのプロ13年間で6度の規定打席到達を達成するなど主力として長年活躍。
投手を救うダイビングキャッチ・50m5秒8の俊足・夏場に強い打撃を武器としており、またムードメーカーとしても監督、チームメイトから頼りにされた。
2025年オフにFAで西武へ移籍。「これまで支えてくださった関係者の方々、ファンの方々に感謝の気持ちを伝えたい」との理由から、FA移籍では異例となるDeNAからの退団記者会見を実施した。
2025年はセンターでチーム最多の97試合に先発出場。

  • 周東佑京
福岡ソフトバンクホークス所属。
2017年育成ドラフト2位で入団。2019年に支配下契約。
持ち味は50m5秒7の俊足を活かした一塁到達タイム3秒8、時速33.4km/hでベーランを行う*2など日本球界随一のスピードスター。
「周東は一塁でも得点圏」という言葉はこの人にのみ許された名文句。
馬主になるほどの競馬好きで知られるチームメイトのギータこと柳田悠岐からはアーモンドアイより速い」ネタ交じりに称えられた。
守備では内外野どこでも守れるユーティリティープレイヤー。プロ通算8年で盗塁王のタイトルを4度獲得する反面、規定打席到達は2回と、限界ギリギリのプレーを繰り返し行う為、怪我が絶えない。
国際大会では日本代表の代走要員として、ここ一番で起用される最終兵器。
2025年はセンターでチーム最多の94試合に先発出場。
余談だが、プロ入り前の大学時代は主に遊撃手を守っていたのでホークスでも2025年までは内野手として選手登録されている。

  • 髙部瑛斗
千葉ロッテマリーンズ所属。
2019年ドラフト3位で入団。
プロ3年目の2022年に規定打席に到達し、盗塁王とゴールデングラブ賞などタイトルを獲得してブレイク。
その後は怪我に見舞われたりするなど、波に乗り切れていない。2025年はセンターでチーム最多の89試合に先発出場。
50m走5秒8の俊足の持ち主。

  • 辰己涼介
フリーエージェントだったが、2026年1月16日、楽天に残留が決まった。
2018年ドラフト1位で入団。
プロ3年目の2021〜2024年まで4年連続規定打席到達を達成。補殺の日本記録を持つなど、攻守に隙の少ない万能型。
持ち味は50m5秒7を活かした一塁到達タイム3秒71の俊足で、これはソフトバンク・周東を僅かに上回る。
反面、オフシーズンの表彰式にちょんまげ姿や金箔を塗りたくった全身金色姿で登場するなど、プレー以外の部分で悪目立ちするのが玉にキズ。
2025年はセンターでチーム最多の103試合に先発出場。

  • 近本光司
阪神タイガース所属。
2018年ドラフト1位で入団。
当初は「俊足タイプの小兵の社会人卒」という経歴から将来性を疑問視されたものの、いきなりレギュラーに定着し盗塁王と新人特別賞を獲得する活躍を見せ周囲の雑音を消し去った。
その後は史上歴代2位となる通算6度タイの盗塁王を獲得する、リーグを代表とするスピードスターとして名を馳せている。
50m5秒8の俊足の持ち主で、なおかつ入団以来7年連続規定打席到達を達成しているなどフィジカルも丈夫。2025年はセンターでチーム最多の138試合に先発出場。走攻守三拍子揃った球界を代表する外野手としてて活躍しているが、唯一のウィークポイントはアマチュア時代に肩を故障して外野手に転向したことから弱肩といえる肩。

  • 中川圭太
オリックス・バファローズ所属。
2018年ドラフト7位で入団。
守備は複数の内野(一塁、三塁)と全外野のポジションをこなすユーティリティープレイヤー。何でもこなす野球偏差値の高さから当時の中嶋聡監督に「無敵の中川」と命名された。
2025年はセンターでチーム最多の49試合に先発出場。2位は廣岡大志の41試合、3位は麦谷祐介の34試合と良く言えば状況に合わせた選手起用、悪く言えば固定出来ないチーム事情を表している。

  • 中村奨成
広島東洋カープ所属。
2017年ドラフト1位で入団。
夏の甲子園大会6本塁打という記録を持つ強肩強打の捕手として大きな期待を受けてプロ入りするも、プロの壁にはね返され、怪我に泣かされ、さらには文春砲の直撃を受けて炎上するなど散々な目に。
2024年から外野手に転向するも、シーズン終了後に球団から「来年、結果出せなきゃクビ」と最後通牒を受けてしまう。
すると2025年、福地2軍打撃コーチの指導がハマり、センターでチーム最多の69試合に先発出場を果たして一定の結果を残した。

  • 西川愛也(にしかわまなや)
埼玉西武ライオンズ所属。
2017年ドラフト2位で入団。
上記の中村奨成擁する広陵を決勝で破り全国制覇を成し遂げた花咲徳栄高校時代は不動の3番打者としてレフトを守っていたが、2年の春に大胸筋断裂という大怪我を負っており満足な送球ができないままであったが総合的な能力を評価されドラフト指名を受けた。
当初は投げる距離の短い内野手としてプロキャリアをスタートし、リハビリの末に全く問題ない送球ができるようになり改めて外野手へと再コンバート。
ただ打撃ではプロの壁にはね返され、62打席連続無安打というワースト記録を残してしまうほどに苦戦。
それでも長いトンネルを抜け2024年に爪痕を残すと2025年不動のリードオフマンとして一気にブレイク。規定打席到達を果たし、球際に強い守備でチームの危機を再三救いゴールデングラブ賞も初受賞した。ルックスの良さも手伝い、球団の人気者に。
2025年はセンターでチーム最多の124試合に先発出場。

  • エリエル・ヘルナンデス
東京読売ジャイアンツ所属。
2024年にテキサス・レンジャーズ傘下の3Aラウンドロックから5月10日、巨人に入団。
主にセンターでチーム最多の50試合に先発出場。8月に怪我で離脱するまでは3番を任され打率.294、8本塁打、30打点を記録していた。2025年もセンターでチーム最多の37試合に先発出場。2位は佐々木俊輔の27試合、3位はオコエ瑠偉の26試合、4位はキャベッジの19試合、5位が若林楽人の17試合と良く言えば状況に合わせた選手起用、悪く言えば固定出来ないチーム事情を表している。打撃は状況に合わせられない程に不振で打率.211、2本塁打と昨年より悪く、ペナントレース終了後に自由契約となった。
ヘルナンデスとオコエが2025年オフに退団し、入れ替わりで日ハムから松本剛がFA移籍で加入した。

《OB選手(NPB経験者)》

  • 青木宣親
ヤクルト→MLB→ヤクルトと渡り歩いた外野手。
「イチロー二世」と呼ばれた安打製造機で、その卓越したコンタクト能力はMLB在籍時にも在籍球団の監督から「天賦の才を持っている」と称賛されたほど。
プロ2年目に早くも首位打者のタイトルを獲得したが、この時「内野安打が多い」という理由でパワプロにおいて「アベレージヒッター」の特殊能力が付与されないという可哀想な目に遭っている。というか現役時代の青木のパワプロ査定は疑問点が比較的多かった(先述のようにむしろ弱肩の部類とされるにもかかわらず、パワプロでは肩力がC~Bあるなど)。
なお渡米前は中堅手、MLBでは両翼、日本復帰後は左翼手と、外野の各ポジションを務めた外野のオールラウンダー。

  • 赤星憲広
阪神タイガースで活躍した外野手。
名前にちなんだ赤いリストバンドがトレードマークだった。
入団後、当時の野村克也監督が目を付けた俊足軍団「F1セブン」の一員として数えられその1番手を担い、新人歴代4位となる39盗塁を記録。
以降も盗塁で名を馳せ5年連続盗塁王というセリーグ記録を達成。また新人王との同時受賞は史上初で今も唯一。
2003年から毎年盗塁した数の車椅子の寄贈を続けたことでも知られる。
また走攻守にガッツ溢れるプレーが持ち味だったが、怪我をも厭わない姿勢から身体がボロボロになり、遂にはダイビングキャッチを試みた際に脊髄損傷を負ってしまい引退を余儀なくされた……という経緯を惜しむ声も。
その一方、客席からのヤジなどに即座に怒ることから仲間内からは「着火マン」と呼ばれていた。
解説者としても評価が高く、ゲーム『プロ野球スピリッツシリーズ』では『A』および『2019』以降ずっと赤星が解説者役として起用されている。
その代わり、現役時代のケガの影響でコーチ就任の打診は悉く断らざるを得なくなっている。
世代によってはこの「プロスピで長いこと里崎智也と一緒に解説してる人」のイメージが強いかも?

  • 秋山幸二
西武やダイエーで活躍した外野手。
内野手から外野手に転向し、その身体能力と集中力でトリプルスリーを達成するなど西武黄金期の強力クリーンナップ「AKD砲」の一員として活躍、「メジャーに一番近い男」とも呼ばれた。
アーチを放った際のホームイン時に見せるバク転パフォーマンスも印象に残っている人もいるだろう。
93年オフに西武からダイエーに「世紀のトレード」で移籍。99年の福岡移転後初のリーグ制覇時には松坂大輔から顔面死球を受けてしまい左頬を骨折するも、フェイスガード付きのヘルメットを着用し試合出場を続けチームをけん引するなど、時間こそかかったが「優勝請負人」としての役割を果たす。同年の日本シリーズでは第3戦、ナゴヤドームにて外野飛球をフェンスを利用した三角飛びの要領で捕球、そのまま飛び出していた走者も捕殺するというスーパープレーを見せるといった活躍でMVPに輝いた。
プロ意識が高く、移籍当初ロッカールームで将棋を指している藤本博史に対し「そんなんだから、万年Bクラスのふくよかダイエーポークスなんだよw(意訳)」と意識の低さを指摘、ダイエー選手間で蔓延していた負け犬根性を改めさせた。大久保博元は現役時代の彼について「一度、秋山さんをガチギレさせた事があったが、死ぬかと思った。西武で一番ヤバいのはあの人。スイッチが入ったら誰にも止められない」と語っている。
現役引退後は親会社がソフトバンクとなったホークスで指導者となり2008年オフから監督に就任、「秋の風物詩」とも揶揄されたチームのポストシーズンの弱さを克服させ常勝の礎を築く。人柄はどちらかというと寡黙であったが、時に威圧感のある怖いコメントも残しネット上のファンを震え上がらせた。
また2軍監督時代に球団の体力測定に参加し若手選手と遜色ない数値を叩き出し*3、「最低でも、オレを超えないと一軍で使えないよ(意訳)」と話して若手選手とファンをドン引きさせたという逸話がある。他にも「試合前に普通に練習に参加し、フリー打撃で柵越え」「キャンプでブルペン入り」などあまりにこの手の話が多かったため、しまいにはホークス公式Twitterのエイプリルフールのネタが毎年のように「秋山が現役復帰する(選手兼任監督に変更となる)」だった時期があった(そしてファンからは歓迎されていた)ほど。
ただし、上記のように現実離れしたエピソードの多い秋山と同じく身体能力オバケだった柳田悠岐の二刀流起用志願に対しては「ダメ」と現実的な判断を下している*4
妙な逸話として、2003年にとある講演会に招かれるも、主催者は数学者の秋山仁を招待していたつもりだった……というものがある。
とてつもない手違いだが、講演関係者は秋山に対し謝罪した上で改めてその場で「是非講演をお願いしたい」と依頼、秋山も代打として快く引き受けて登壇し場を沸かせたという。
また12年後には秋山仁が改めてこの場所で講演を行い、この話をネタに「今度こそ、本当の秋山仁です」と笑いを誘ったとのこと。

  • アレックス・オチョア
2000年代の中日黄金期を支えた名助っ人。登録名はファーストネームの「アレックス」。
2002年オフ、とある大物メジャーリーガーの獲得をめぐるゴタゴタに巻き込まれるような形で、代わりに中日へと移籍。
類稀な鉄砲肩は相手走者を震え上がらせ抑止力となり、打撃でも3割20本を期待できる打力でチームに貢献した。
2004年にはゴールデングラブ賞を受賞。ライト福留、センターアレックス、レフト英智のラインナップは鉄壁とも呼ばれた。
ちなみに、中日在籍中に背番号変更(22→4)を経験した珍しい助っ人でもある。
晩年は広島にも在籍したが、その時は打力はともかく守備力は中日時代と比較すると加齢もあるのか衰えてしまっていた。

  • 飯田哲也
主にヤクルトで活躍した外野手。
俊足強肩と器用さを兼ね備えた捕手として1986年ドラフト4位で入団。ドラフト同期に2位指名の土橋勝征がいる。
入団後、俊足から二塁手、中堅手へとコンバート。1991年頃から一番・中堅手の定位置を掴み取る。
平成初期のヤクルト黄金期メンバーの1人である。
古田敦也が自分を上回ると認める程の身体能力を持ち、TBS系列の「スポーツマンNo.1決定戦」では2回総合優勝を果たし、見ていた体操関係者が
「体操選手なら確実に五輪で金メダル」
「20年に一人の逸材」
と言わしめるほど絶賛した*5
実際にこの番組では
「50m走で5秒台相当のタイム*6を第1回放映でいきなり出す」
「2m半ある跳び箱を跳ぶ」
「ショットガンタッチ(ボール落下スイッチのボタンを押す→落下点に走って行ってキャッチする*7競技。10mの高さから落とされるため猶予は1.5秒くらいしかない)で13m50cmを成功させる」
などなど、数多くのスーパープレイを披露した*8
後に真中満に中堅手の定位置を奪われ、2004年シーズン終了後楽天に無償トレードで移籍し、2006年に現役引退。
引退後はヤクルト、ソフトバンクとコーチを務めた後、アマチュア野球指導者資格を回復し、現在は母校・拓大紅陵高校野球部の非常勤コーチ兼解説者となっている。

  • 大村直之
近鉄、ソフトバンク、オリックスで活躍した外野手
兵庫私立育英高校時代は夏の甲子園で優勝経験あり。
当時の監督である鈴木啓示が「彼は使える!!(意訳)」と太鼓判を押し、1993年ドラフト3位で入団。
俊足巧打の一番・中堅手として「いてまえ打線」の切り込み隊長を務めた。打者としてのモットーは「相手投手の決め球を打ち、メンタルをへし折る」だそうで、そうする事で以後の対戦がヤりやすくなるとか。反面、四球による出塁より死球による出塁が多い変わり種の選手でもある。
2004年に近鉄が消滅するとFAでソフトバンクに移籍し、2008年オフにトレードでオリックスへ。2000本安打まで残り135本としながら、2010年オフに戦力外通告を受け、オファーもなく現役続行を断念した。
一部では当時の岡田彰布監督と確執と面白おかしく書かれたが、脚力と打力の衰えにより、以前のパフォーマンスは発揮出来ないとの判断からである。サインに従わないというのもあるが、視力の低下からサインが見えないのが理由ともされる。
その後はオーストラリアに移住したり、故郷の兵庫県に住むなど球界とは距離を置いている様子。

千葉ロッテで活躍した外野手。
24歳の育成ドラフト6位からゴールデングラブ賞へとのし上がった苦労人。
「エリア66」と称されるほどの広大な守備範囲を誇り、2011年の巨人戦で見せた1試合3度のファインプレーは今も語り草となるほどのインパクトを残した。
一方打撃に関してはとにかくノーパワーで単打が多く、プロ通算2501打席に立ったがホームランは打てないまま引退となった。
詳細は項目を参照。

  • 緒方孝市
1986年ドラフト3位で広島に入団。
怪我が多くなかなかレギュラーを勝ち取れずにいたが、1995年前田智徳の離脱時に穴埋めとしてレギュラーを奪取し、47盗塁で盗塁王を獲得。
翌年・翌々年と3年連続盗塁王になったが、この3年間で146盗塁、成功率.849という驚異の数字を叩き出している。
1999年からは盗塁が減った一方でパンチ力に磨きをかけ、シーズン36本塁打を記録。以降はケガと戦いながらも広島一筋23年プレーした。これは衣笠祥雄と並んで球団最長記録。
中堅手としてのスタメン出場数(971試合)も下記のレジェンド・山本浩二に次いで球団史上2位。意外にも一軍初出場は二塁手で、晩年は右翼手としての出場も多かった。
引退後は広島の監督にも就任。球団初の3連覇を成し遂げる。
妻はタレントの緒方かな子(旧姓:中條)。長女の緒方佑奈は声優。

  • 金城龍彦
主に00~10年代の横浜で活躍した選手。
プロ入り前は投手であったが、98年にドラフト5位で横浜に入団したのを機に高い身体能力を活かすべくスイッチヒッターの野手に転向。
すると00年にブレイクし三塁手のレギュラーとなり、一時は4割近い高打率を記録するなど好成績を残し首位打者と新人王のタイトルを獲得した。
その後は外野手に転向、一時的な不調もあったが暗黒時代真っ只中であった横浜で主力として奮闘。
現役晩年はFA宣言し巨人に移籍、引退後も巨人でコーチを務めている。
DH制であった社会人時代のブランクを埋めるべく行ったプロ入り後の猛特訓で会得した、特に左打席での独特すぎて真似できないフォームから繰り出されるどんな球でもヒットにしてしまう打撃術は唯一無二。またベテランになってからは代打での勝負強さもあった。
守備では投手出身らしい強肩と正確な送球が持ち味。また足も速く守備範囲も広かったが、その俊足にもかかわらず盗塁は下手だった
なお、上記の首位打者・新人王獲得時に電話会社のCMに出演、劇中で松坂慶子に「打率が1割下がったら大変ね」と話しかけられたが、その次シーズンで1割とまではいかないが7分ほど、そのまた次のシーズンではそこから本当に打率が1割下がってしまったというエピソードがある*9

  • 栗山英樹
ヤクルトで活躍した外野手。右打両打。
アマチュア時代は内野手で活躍し、ヤクルトに入団後、外野手・スイッチヒッターに転向。
プロ生活7年で規定打席到達は1回ながら、その1回でゴールデングラブ賞を受賞するなど活躍の兆しを見せ、甘いマスクから女性人気も集めるなど注目されていたが、1990年に難病であるメニエール病*10によって選手生活の断念を余儀なくされ引退。
その後、解説者や大学教授を務めた後2011年オフに日ハムの監督に就任。2012〜2021年まで10年間務め、リーグ優勝1回、日本一1回を達成する。
2021年オフには野球日本代表監督に就任、2023年WBCにおいてチームを優勝に導くなどの功績を上げ、2026年にエキスパート表彰としての野球殿堂入りを果たした。
このように監督として非常に高い評価を得ているのだが、一方で数々の発言、特に大谷翔平を評したコメントがいちいちオブラートに包んだ表現で説明してもなお気色悪く*11、「多田野は出演料目当てだった可能性が残っているが、栗山監督はおそらくガチの人」「気持ち悪い語彙以外はなにもかもが有能な監督」としてネタにされている。

  • ウォーレン・クロマティ
1984年に巨人に加入した今なお「球団史上最高の助っ人野手」と呼ばれる選手。
広角に打ち分ける中距離打者として、1986年と1989年の2度にわたりシーズン打率.360以上を記録。
また常に風船ガムを噛み、ホームランを打ってダイヤモンドを回る最中に膨らませて破裂させたり、守備に就く際に外野席の巨人ファンと万歳三唱したりなどひょうきんな一面も人気を博した。
一方で、現役晩年だったこともあってか度々守備における集中力の欠如が取り沙汰され、1987年の日本シリーズではクロマティの緩慢な返球、および他選手の動きも相まって普通のセンター前ヒットで一塁走者の西武・辻発彦が一気に生還するというビッグプレーを許してしまっている。
また、当時の外国人選手は契約時に年俸の通貨をドルとするのが一般的だったが、クロマティは通貨を円にして契約したという。
グラウンド外ではロックバンドでドラムを担当し、レコードをリリースするという一面も。
現役引退後は自身の名を拝借した某作品を提訴したことで話題になった。

  • 坂口智隆
近鉄に入団し、その後オリックス、ヤクルトと3球団でプレー。
俊足巧打の外野手で、特に150㎞/h以上の速球にめっぽう強かった。守備範囲も広くゴールデングラブ賞は4度獲得。
ヤクルト移籍後は一塁手としても活躍。2022年に引退、近鉄バファローズに在籍した最後の選手であった。
温厚な性格の人格者としても知られる……のだが顔立ちはヘタなヤクザ顔負けの厳つさ。
なんでそういう性格の選手に限ってみんなヤクザ顔なんでしょうね?

  • 柴田勲
巨人V9時代に活躍した中堅手。
元々投手で高校2年夏の甲子園で神奈川私立法政二高を優勝に導き、翌年春の選抜も優勝した夏春連覇のエース。高3夏の甲子園もベスト4まで進んだが敗退。3期連続優勝はならなかった。巨人に入団後、プロの壁にはね返され、投手から外野手に転向し、当時の川上哲治監督からの勧めで日本初のスイッチヒッターになる。
1980年に引退するのだが、ペナントレース中打率が3割を越えた事がなく、打撃タイトルとは一切無縁だった。
盗塁王は6度受賞している。
現役時代、「赤い手袋」を着用してバットを握ったが、これは日本におけるバッティンググローブ着用者の先駆者となる。
1992年、解説者時代に仲間内で賭けポーカーをしていたが、その中の一人が家庭内でトラブルを抱えていたことから内偵を行っていた警察がその件で踏み込んできて、現場に同席していた柴田も現行犯逮捕される事態に。
不起訴になったがこれがマスコミに漏れ、自業自得とはいえ解説者としての契約は全てクビになり、以降ユニホームの声は一切かからなくなったという。
またこの件についての記者会見の際にトランプ柄のセーターを着用するという行動もネタにされた。

  • 島田誠
1976年ドラフト外で日本ハムに入団。入団テストでは守備の際に捕球直前にバク転するというアピールをした。
168㎝の小柄な体系ながら長らく1番打者を務め、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞6回などしたが、個人タイトルは獲れなかった。
最後はダイエーに移籍して引退。その後コーチに就任し、井口資仁や川﨑宗則に徹底的にプロの走塁を叩き込み、2003年にチーム全体でシーズン147盗塁を記録させた。
1イニング3盗塁/パーフェクトスチール(二盗、三盗、ホームスチール)達成経験あり。

  • 清水雅治(まさじ)
1988年ドラフト6位で中日に入団。
チームトップクラスの俊足を武器に、1992年から一軍に定着。選球眼が良く、打率に比べて出塁率が高いのが特徴であった。94年の巨人との「10.8決戦」にもスタメン出場し2安打と気を吐いたが、チームは惜しくも敗れリーグ優勝を逃した。
95年オフに西武にトレードされると、代走・守備のスペシャリストとして存在感を発揮。明るい性格でベンチの盛り上げ役に、そして若手選手の良き兄貴分でもあった。
2002年に現役引退後はコーチに就任。そのコーチング能力が球界各方面から高く評価されており、日ハム・ロッテ・楽天・阪神といった現役時代には縁の無かったチームからも声が掛かるなど、長きにわたり指導者として活躍している。
2017年〜23年には野球日本代表のコーチにも招聘され、プレミア12・東京五輪・WBCでの優勝に貢献。
2024年からは日ハムでファーム総合コーチを務めている。

  • アンドリュー・ジョーンズ
オランダ・キュラソー島が誇るレジェンド外野手「A・J」。日本では2013年からの2年間楽天で活躍した。
MLBで10年連続ゴールドグラブを獲得した守備力に加え、30本塁打をコンスタントに記録し、51本塁打・126打点で本塁打と打点の二冠王の獲得経験もある打力でチームに貢献。勝利貢献度であるWARの通算の値はMLBでトップクラスの数字を持つ。
その活躍により、所属の長かったアトランタ・ブレーブスで背番号「25」が球団の永久欠番に指定されているほか、2026年にはアメリカ野球殿堂入りを果たしている。
日本時代は走力面での衰えからか指名打者での出場が多かったが打棒は健在で、球団史上初のリーグ優勝と日本一に貢献した。特に選球眼の良さから四球をよく選び、2014年にはパ・リーグ記録となるシーズン118四球を選んでいる。
また、2013年の巨人との日本シリーズでは指名打者の使えない東京ドームでは3試合とも外野手として守備にもつき、鈍足ながら明らかに早すぎる打球反応など、随所でかつて名手と呼ばれた所以とも言える守備能力の片鱗を見せた。
現在はオランダ代表の首脳陣としてお馴染み。第6回WBCでは代表監督を務める。

  • アダム・ジョーンズ
もう一人の「A・J」。日本では2020年から2年間オリックスで活躍した。
MLBでは4度のゴールドグラブを獲得した守備力を持ち、タイトルこそ取れなかったが30本塁打をコンスタントに記録する打力を兼ね備えていた。
所属の長かったボルチモア・オリオールズの数多くの球団記録を持っている。
日本時代は主に指名打者・代打としての出場であったが、打撃も守備もアンドリューに比べて大きく衰えてしまっており総合的にはイマイチな成績であった。
しかし、代打としての出場が多かった2021年は究極の代打の切り札として要所で決勝点に絡む活躍を見せ、球団25年ぶりのリーグ優勝に貢献。同年の日本シリーズ第5戦では9回に代打として決勝ホームランを放ってメジャーリーガーの意地を見せ付けた。
引退後は「World Traveler」として野球の普及促進活動を行っており、時折来日している。第6回WBCではアンバサダーに就任した。

阪神→メッツ→日ハムで活躍。
現役時代から奇想天外かつ派手なパフォーマンスで知られる野球界屈指の傾奇者。
そのイメージが強すぎるが、ゴールデングラブ賞は外野手部門で10回受賞するなど守備の評価は高い。
日ハム時代には右翼手稲葉篤紀・左翼手森本稀哲と抜群の連携を見せ、2006年には3人揃ってゴールデングラブ賞を受賞している。
詳細は項目を参照。

  • 谷佳知
オリックスと巨人で活躍。妻が柔道選手の谷亮子(旧姓田村)であることでも有名。結婚式での彼の目は笑っていなかったという
後述の本西厚博から中堅の座を奪い取り、左翼:田口、中堅:谷、右翼:イチローで再び鉄壁の外野陣を形成した。
しかし田口とイチローが相次いでメジャーへ挑戦した後は両翼に足を引っ張られ大変苦慮するようになった上に故障により俊足も鳴りを潜め、晩年は左翼や代打での出場が主になった。

  • 中利夫
1955年に中日に入団したレジェンド。高木守道との1・2番コンビは各球団から恐れられた。
「ちょうちん打法*12」と呼ばれるボールをギリギリまで見極めるスタイルで首位打者1回を獲得。バットと球が当たるポイントがかなり捕手よりだったため、通算打撃妨害21回という日本記録を持つ。
また守備範囲が広く、1963年と65年にシーズン350刺殺という現在でも破られていないセリーグ記録も持っている。1972年に引退、その後は打撃コーチを経て監督にもなった。1987年には広島がコーチに招聘。1989年には二軍監督を務め、前田智徳の育成を担う。前田は中を恩師として慕っている。
2023年に逝去。

  • 長嶋清幸
NPBで史上初めて背番号「0」を付けた人物。
1979年にドラフト外で広島に入団。83年から背番号「0」に変更するとベテランの域に達した山本浩二をレフトに追いやりセンターのレギュラーを奪取。
「コンパクトなスイングで鋭い打球を放ち、足が速い、肩も強い」と古葉監督に絶賛された。
1991年に中日に移籍して以降は、ロッテ、阪神と短いスパンで移籍を繰り返し1997年に引退。

  • 西村徳文
ロッテで活躍した外野手。右打両打。
アマチュア時代は内野手で活躍し、ロッテに入団後も二塁手でゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞。
その後、怪我で離脱すると若手が台頭してたので、外野手に転向。
一番・中堅手の定位置を掴み取り、ここでもゴールデングラブ賞、ベストナイン、首位打者、盗塁王を4度受賞する。
特にスイッチヒッターが首位打者になるのはパ・リーグ初の快挙。
パ・リーグ初の内外野両方のゴールデングラブ賞の受賞。*13と輝かしい実績を残した一流選手であったが、当時低迷期真っ最中の不人気球団だったロッテ一筋と言う事もあり知名度はサッパリ。
現役後半からは打率、出塁率が下がり、諸積兼司が台頭して一番・中堅手の定位置を奪われ、1997年オフに現役引退。
指導者として特筆すべきは千葉ロッテマリーンズの監督として史上最大の下克上を成し遂げた事である。これは項目参照。
それ以降はパッとせず、オリックスで指導者になるも結果を出せず退任。現在は独立リーグのGMに就任している。
タイトルホルダーかつ日本一経験監督という経歴を持つにもかかわらず非常に地味なことからオリックス監督時代は「西なんとか監督」とネタにされていた可哀想な人である。

  • アロンゾ・パウエル
平成初期に中日で活躍した外野手*14
1992年開幕後、中日に入団。この年は規定打席未達ながら打率.308を記録。
以後、1993〜96年には4年連続でセ・リーグのベストナインに選出され、1994〜96年には3年連続でセ・リーグの首位打者を獲得した。セ・リーグで3年連続首位打者を獲得した打者はパウエル以外に、長嶋茂雄・王貞治の2人のみである。
パ・リーグではイチローが首位打者に君臨しており、平成初期を代表する安打製造機。しかしながら、上記の青木と同じくパワプロではなぜか「アベレージヒッター」の特殊能力がなかなか付与されないという憂き目に遭っている。中日ファンになんか恨みでもあんのか、コラ
守備位置は来日した1992〜95まで中堅手、96〜97年は右翼手。フェンス際の難しい打球を度々好捕するなど、外野手としての守備力も及第点以上のものがあった。
中日在籍後半は膝を痛めて手術をし、守備範囲が狭くなってしまった上に打撃成績も下降した為、97年途中に退団。翌98年は阪神に在籍し、左翼を守るも、成績は振るわず1年で退団。2001年に現役引退後はマイナーで指導者として活動。2020年に中日へ巡回コーチとして復帰した。

  • 波留敏夫
1998年横浜日本一の時の「マシンガン打線」2番打者。
怪我を恐れぬ闘志剝き出しのダイビングキャッチや、「バントをしない」という当時の権藤博監督の方針の下1番打者・石井琢朗との阿吽の呼吸で積極的な攻撃を仕掛ける様子から「ハマの核弾頭」の愛称で親しまれた。
2001年に中日に移籍、のちロッテに移籍し引退した。
なお、佐藤和弘(パンチ佐藤)が1989年にオリックスからドラフト1位指名された際、当時の上田監督からの電話に「会社の方と相談して決める事ですけれども…自分の心はひとつです!」と答え話題になったが、この時電話を取り次いだのが同じ熊谷組に所属していた波留である。

  • 彦野利勝
1982年ドラフト5位で中日に入団、地元愛知高校出身。長打力のある1番打者として1988年リーグ優勝に貢献する。
相手球団のエース級投手に強く、思い切りの良い打撃とガッツ溢れるプレーが持ち味であった。
本塁打後のアクシデントで代走を送られる「ホームラン代走」を経験した数少ない人物としても知られる。1991年、サヨナラ本塁打を打ったものの一塁ベースを回ったところで転倒、右ひざ靭帯断裂の重傷を負ってしまう。結局プレー続行不可能となり、主に同じ中堅手を務めた山口幸司が代走としてダイヤモンドを一周した。

  • 聖澤諒
楽天で活躍した外野手。
2007年にドラフト4位で楽天に入団。
50m走最速6.0秒、一塁到達タイムは4.2秒台と本人も「自分より足の速い人はたくさんいます。でもどうしても走れないと思うピッチャー、キャッチャーはいません」と自負する盗塁技術を誇る。
その秘訣はトップスピードに達する速さで、30m走で当時のチーム野手で最速の4.08秒を記録した。
2010〜2013年まで4年連続規定打席到達を達成し、1番・中堅手、リードオフマンの定位置を掴み取り、2013年の楽天日本一に貢献した。2012年には54盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。
しかし、2014年以降は体調不良や若手の台頭もあり、出場機会が減少、2018年に戦力外通告を受けて現役引退。

  • 広瀬叔功(よしのり)
南海ホークスがパ・リーグの盟主だったころのリードオフマン。通称『鷹の爪』。
通算盗塁数は歴代2位の596個なのだが、本人は記録には興味を示さず、「僅差の場面でしか走らない」「打者が2ストライクと追い込まれたら(三振・併殺を防ぐために)走らない」という美学を持っていた。
また、「盗塁王」というタイトルはもともと設けられていなかったのだが、広瀬があまりにも走るために1964年に新設されたものであったりする。
2025年に逝去。パワプロの栄冠ナインなどでお世話になっている人は多いと思われる。

  • 福田周平
オリックスで活躍した外野手。
167cm、69kgと小柄だが、50m走で最速5秒9を記録。
守備は複数の内野(二塁、三塁、遊撃)と左翼、中堅のポジションをこなすユーティリティープレイヤー。
2021年途中から登場曲を『サクラ大戦』の「檄!帝国華撃団」に変更し、印象に残っている人もいるだろう。
高校時代は広陵高校野球部主将として有原航平ととも陋習(ろうしゅう)*15を改める為に尽力している。明治大学時代は大学日本代表主将、NTT東日本に入社後は都市対抗野球で橋戸賞*16を受賞し、オリックスに2017年ドラフト3位で入団。
入団2年目で選手会長を務めるなど、リーダーシップに定評があり、2021年からは出場機会を増やす為、外野守備にも取り組み、一番・中堅手の定位置を掴み取る。
2023、24年と2年連続で規定打席に未到達で出場試合数も減少し、2025年オフに戦力外通告を受け、現役引退。
原因の一つに速球に対する打率が昨年は.241に対し今年は.103と極端に低下。若手の野手が台頭しているのもあり、世代交代という意味もあるかも知れない。

  • 福本豊
阪急で活躍した外野手。
169 cm、68 kgの小柄な体格でドラフト7位入団ながら、
「いくら体が小さくてもしっかり振り切るバッティングをしなきゃいかん。オフの間にバットをしっかり振れる体を作ってこなければレギュラーには使えん」
「ツボに来たらホームラン、ってものを持っていないとプロでは長生きできない」という当時の西本幸雄監督の教えを受け、通算208本塁打、115三塁打、当時の世界記録であった1065盗塁、リーグ最多四球を6度、通算出塁率も.379を記録するなど、怖さと速さと嫌らしさを兼ね備えた日本球界随一のスピードスターにしてリードオフマンの理想形。
福本対策として投手のクイックモーションは生まれたとされるほどにその韋駄天ぶりは他球団から警戒・研究されていた。
俊足を活かした外野守備にも定評があり、やや送球難という弱点こそあったがそれを補って余りある程の広い守備範囲を持ち、ゴールデングラブ賞の前身であるダイヤモンドグラブ賞の獲得数は歴代最多となる12回を記録している。
そうした華々しい成績を残した一方、昭和期のプロ野球選手にありがちな昔はよかったと驕り高ぶる姿勢が見られず、それどころか次の世代の飛躍を願い続けているフシがあるため好感度も高い。
国民栄誉賞辞退に際して発した「そんなんもろたら立ちションもでけへん」はある意味名言として知られ、引退後の野球解説の面白さも漫才師レベル。
球団名消滅…もあるんだろうが、コーチ経験があるためどちらかというとオリックスよりも阪神戦のラジオ中継で解説をすることが多く、シーズンオフにはサンテレビの阪神応援番組『熱血!タイガース党』の党首(総合司会)も務める。
ただ、守備走塁担当のコーチとしては「盗塁するにはまず塁に出ないといかん」という理由から打撃ばかり教えていたとのことで全くダメだった。そうだけどそうじゃない。

度重なる怪我と闘いながら安打を量産、イチローや落合博満をして「天才」と言わしめた平成期広島を代表する職人気質の名選手……にして現・スイーツ大好きおじさん。
詳細は項目を参照。

高校時代から「怪物」として名を馳せ、プロでは巨人→MLBで活躍した、国民栄誉賞受賞者かつワールドシリーズMVP受賞者の「ゴジラ」。
元々内野手だったがプロ入り後に外野手に転向。日本では当初右翼手だったが下記のシェーン・マック退団後は中堅手を守り、次第に守備は上手くなっていきゴールデングラブも3度受賞している。MLB移籍後は左翼手を務めた。
詳細は項目を参照。

  • シェーン・マック
1994年〜95年におけるMLBストライキの影響で巨人に入団した、現役バリバリのメジャーリーガー*17
年俸4億円(2年契約で8億円)という、当時としては破格の入団条件も話題となった。
バットを肩に担ぐようにして上下に揺らす独特のフォームから、ライナー性の鋭い打球を広角に放つ打撃で、来日1年目は主に1番を打ち20本塁打。そして2年目は松井秀喜落合博満と共にクリーンナップに据わって22本塁打をマークし、チームの逆転優勝『メークドラマ』に大きく貢献した。
守備・走塁もアグレッシブで、特にセンターとしての守備力は若い頃にケガをした影響で弱肩ではあったものの、広い守備範囲と確かな捕球技術、東京ドームの硬い地面やフェンスを恐れない果敢なダイビングキャッチでファンを大いに魅了した。
また人格面でも、現役メジャーリーガーに有りがちな「日本野球を見下す」という態度は全く見せず、チームに溶け込んで日本式の練習を真摯にこなし、落合の打撃に感銘を受けてアドバイスを受けたり、元木大介などの若手に技術指南をするなど非常にナイスガイであり、落合・元木の両名からも「これぞ本物のメジャーリーガー」「最高の助っ人選手」と手放しで賛辞を受けたほどであった。
2年契約終了後は巨人を退団し、翌年すぐにMLBへ復帰。その後メジャー数球団を渡り歩き、1999年に現役生活を終えた。

2006年に育成ドラフト3位で巨人に入団した「平成の青い稲妻」。
詳細は項目参照。

  • 真中満
ヤクルトで活躍した外野手。
上述の飯田哲也から一番・中堅手の定位置を奪い取り、2001年の日本一に貢献する。上背は無いが、身体能力は高く、俊足強肩の守備範囲の広い中堅手。
しかし、彼も上述の青木宣親に中堅手の定位置を奪われ、以後は代打の切り札として活躍し2008年現役引退。
引退後はヤクルトで指導者を務め、2015年に一軍監督に就任。リーグ優勝を果たすなど手腕を発揮する。
だが栄冠に輝いたシーズン終了後のドラフト会議で、抽選で当たりくじを引いたと思いガッツポーズをしたら実はハズレだったという珍場面を発生させ、「勘違いガッツポーズ真中」だの「リポビタン真中*18」だのというネタまみれな二つ名を得てしまった。なお当時すでに各球団の机には当たりくじの見本を置いておくルールが存在しており、真中はこれをもってしてもなお勘違いしたということになる。
なんなら見本が置かれたのも「この時の真中とまったく同じミスがあった」が理由である。つまり机の上にあるくじの見本はなんなのかを説明されたうえでこれの可能性が高い
この影響でドラフト会議の時期になると確実にテレビ番組などにゲストとして招かれてこのことをイジられるため、「『名を捨てて実を取る』という言葉のお手本」と呼ばれた事もある。本当に獲得することになった原樹理と(当たったと思い込んだ)高山俊(阪神が獲得)のどっちが当たりだったと言えるのかと言われたらどっちもどっちでアレだが…
身内であるつば九郎にも「どらふとの あたりくじを みまちがえて がっつぽーず」とイジられ長きにわたるプロレスのブック的な抗争に発展し*19

  • 本西厚博
阪急・オリックス、阪神、日ハム、千葉ロッテと渡り歩いた外野手。
投手→三塁手とアマチュア時代はポジションを変え、阪急にプロ入り後、外野手に転向する。
プロ15年で規定打席到達は1度、ゴールデングラブ賞も1度だけだが、球界では守備名人と評価され、若手時代の田口壮、イチローに外野守備の基礎を叩き込んだ師匠である。
この人も俊足強肩の類で左翼:田口、中堅:本西、右翼:イチローの布陣は対戦相手から嫌がられた。
2001年に現役引退し、指導者として千葉ロッテ、社会人クラブチーム、楽天、韓国プロ野球、女子プロ野球、独立リーグと様々なカテゴリーの野球チームを渡り歩いてきた。

  • 屋舗要
1980年代、横浜大洋ホエールズにて積極走塁を見せる俊足三人組「スーパーカートリオ」の一員として名を馳せた外野手。
ダンディな口ひげがトレードマークで、トリオの一員・高木豊が「球界で一番脚が速い」と称した健脚を活かし3年連続盗塁王を獲得した機動力と広い守備範囲を見せ、ホエールズ時代末期のチームの主力選手として活躍。
プレースタイルは技術を駆使するというよりかは身体能力の高さで躍動するタイプで、打撃の傾向もフリースインガー寄りだったが、打率3割を2度、二桁本塁打も1度記録している。
現役晩年は巨人に在籍。「巨人軍は紳士たれ」のモットーから基本的にはひげが禁止されているが、屋舗についてはひげを生やした姿が既に世間に浸透しており、かつ紳士的な整え方であったといった点から許容された。
引退後は指導者も務めているが、子供のころからの趣味だという鉄道関連の活動(蒸気機関車の写真撮影、鉄道模型の作成など)の方が良く知られており、トークショーへの出演や専門雑誌での記事執筆も行うほど。
模型で戦前~戦後すぐの実車編成を組むうえ、「完成品での商品化が無いので…」の一言で真鍮キットの組立*20をマスターしてしまうなど、こちらでもおおよそ並みの人物ではない
また近年では新たな分野としてラベンダーの栽培に取り組み、講師としても活動している。

  • 山本浩二
ミスター赤ヘル』の二つ名で有名な外野手。
強靭なフィジカルと勝負強い打撃でチームを初優勝・初日本一に導いた。何より、ルーキーイヤーから引退する年まで1年も欠かさず規定打席を達成しており、これを成し遂げた選手は過去に長嶋茂雄と山本の2人しかいないという事実がその類稀なる剛健さの証拠である。
記録面でも本塁打王4回(セ・リーグ右打者最高記録)、首位打者1回、打点王3回と実績を残す大打者で、全盛期には毎年のように二桁盗塁も記録。その安定感から人によっては「NPB歴代ベストナイン」の中堅手に彼の名を挙げる者も。
現役時代に着けていた背番号「8」は広島カープ史上初の永久欠番
指導者としては二度広島の監督を務め、第二期時代は黄色い眼鏡をかけた見た目から当時活躍していたファッション評論家にちなみ「ピーコ」のあだ名で親しまれたほか、2012年からは侍ジャパンの監督も務めた。

  • 横田慎太郎
2013年ドラフト2位で阪神に入団。実父の真之もロッテなどで活躍した外野手である。
掛布雅之からは「松井秀喜をも上回るポテンシャル」などと評され将来を有望視されていたが、脳腫瘍により実働1年で引退を余儀なくされる。
二軍のソフトバンク戦が引退試合となったが、中前安打を捕球すると本塁への見事なノーバウンド返球を見せ走者*21を捕殺するというスーパープレーで現役生活を締めくくった。
この「奇跡のバックホーム」には阪神ベンチだけではなく相手のソフトバンク側も沸き立ち*22、横田の雄姿を語り継ぐ際には必ず取り上げられる。後年出版された自伝や、それをもとにした映画にもこのタイトルが用いられている。
2023年、28歳で逝去。

  • 若松勉
「小さな大打者」などとも称されるミスタースワローズ。
北海道出身という出自から野球とともに取り組んでいたノルディックスキーで鍛えられた下半身の強さを武器に社会人野球で活躍、1970年ドラフト3位でヤクルトアトムズに入団。
プロ入り後しばらくはレフトでの出場が多かったが、シーズン3割以上が12回、打率ベストテンが12回など巧打の外野手としてリーグを代表する選手に成長。通算打率(4000打席以上)2位、通算代打打率(300打席以上)1位などの記録を持つ。
1989年に引退、1999年に監督に就任すると、リーグ優勝・日本一を1度達成。球団史上初の生え抜きの優勝監督となった。
生真面目かつ口下手な性格でも知られ、2001年に監督としてリーグ優勝を果たした胴上げ後のインタビューでは本来なら「ファンの皆様、ありがとうございます」と言うところを、
「ファンの皆様、本当にあの~……あの、おめでとうございます!」と叫んでしまい周囲の笑いを誘った場面は実直な人柄を表すエピソードとして有名。
ただし、その気質ゆえに気苦労も多かったようで監督在任中は胃薬が手放せなかったとか。
なお、現役時代から腰痛に苦しめられていたが、この時の胴上げで石井一久が若松の足を高く持ち上げたため、体重が軽い若松は空中で一回転してしまい、以後腰痛がさらに悪化してしまった。このためか現在のヤクルトでは胴上げのやり方を「こういった失敗があった」こみで大真面目に教えているとかいないとか…

【主な架空の選手】


漫画・ゲーム


  • 赤倉太(あかくらふとし)
漫画『Dreams』の主要人物。
東京私立夢の島高校野球部員1年。右投右打。中堅手。
主人公・久里武志(くりたけし)に「オレの次にバケモノ(意訳)」と言わしめるほど。なのだが、対戦相手の実力を示す為か、重要な試合の前半ではかませ犬になることもしばしば。
対戦相手の首里城(しゅりじょう)きらりからは「志が低い(意訳)」と酷評される。???「それは秋田市の事かー」
選手として高い身体能力を持ち、投手経験があり、甲子園のマウンドに立つ事もあった。
久里が諸事情でチームから居なくなった後、4番・投手としてチームを牽引し、春の選抜大会に出場する。

  • 阿久根伸也(あくねしんや)
漫画『おはようKジロー』の主要人物。
千葉私立冠学園高校の3年で元陸上部。
100m走の高校記録保持者で主人公・岡本慶司郎(おかもとけいじろう)による野球部員勧誘で岡本が「100m走でボクが勝てば、野球部に入部して下さい」という申し出は僅差で退けたが、素人に僅差など負けも同じと、岡本の勧誘を受け、野球部員に。
作中では県大会初戦から甲子園決勝まで一番センターのポジションに就き、広い守備範囲を誇る。打つ方は序盤は不慣れだったが、試合中に成長していった。

  • 伊佐敷純(いさしきじゅん)
漫画『ダイヤのA』の主要人物。
東京私立青道高校、3年生。右投右打。結城世代の野球部副主将。
元々投手志望だったが、ノーコンの為外野手に転向。送球が早く、正確なのが特徴。打撃は初球から打つ積極性と状況に応じた右打ちを使い分けてくる為、見た目が雑とタカをくくると痛い目に遭う選手。頻繁に大声で吠えるため「青道のスピッツ」の異名を持つ。
アニメ版でのCVは小野友樹


  • 木根竜太郎(きねりゅうたろう)
漫画『H2』の主要人物。
東京私立千川高校野球部員。右投両打。
諸事情から当初は主人公達と対立し、サッカーをしていたが、後に野球部入り。性格に難があり、少年野球チームをそれで追い出された事がある。
それさえ除けば、脚は速くて守備範囲は広く、運動神経は抜群で、投手経験があり肩も強く、決め球のカーブは「性格と一緒でよく曲がる」とはチームメイトの評価。
柳との1、2番コンビは高校野球関係者の間で非常に評判が高い。
アニメ版でのCVは竹中伸一。小学校時代は根谷美智子。TVドラマ版は石垣佑磨が演じている。


  • 清作雄(きよさくゆう)
漫画『錻力(ぶりき)のアーチスト』の主人公。
神奈川県立桐湘(とうしょう)高校野球部1年。
中学時代はシニアで名の知れたスラッガーだったが、試合中の怪我により希望校に進学出来ず、桐湘に進学。自分の力のみを頼む反面、協調性に欠ける。チームメイトやライバルと出会う事で変化や成長を遂げ、センターの定位置と3番の打順を掴み取る。激戦区神奈川県を勝ち抜き、夏の甲子園大会、神奈川県代表になる。

  • 甲本虎(こうもとたいが)
漫画『ベー革』に登場する主要人物。
登場時は神奈川私立相模百合ヶ丘学園=通称・サガユリの3年生で5番・投手兼中堅手。
右投げ左打ちの強打者で投手としてエースナンバー「1」を背負う。
投手としての最速は152km/h。持ち球はカットボール、スプリット、チェンジアップ。
野手として7回まで中堅手でプレーし、8回からクローザーとしてマウンドに上がり、試合を締めるプレースタイル。
最近はエドウィン・ディアスにハマっている。

  • 坂本天馬(さかもとてんま)
漫画『ジャストミート』の主人公の1人。
目立ちたがり屋のお調子者で女好き
中学時代は名の知れたスプリンターで俊足。
県立星高校に進学後、野球部に入部。監督の勧めで一番センターのポジションに。監督からセーフティバントを教わり、これで出塁、二盗、三盗で無死三塁の状況を作り、二番が転がして1点取るという得点パターンを生み出したが、本人が目立たないからイヤだと造反。最終的に途中で知り合った彼女からランニングホームランが見たいとせがまれ、それを実現する為に努力する。

  • 関川秀太(せきかわしゅうた)
漫画『ROOKIES』に登場する中堅手。
二子玉川学園高校(通称ニコガク)に所属する野球部員。
だが物語当初の時点では野球部とは名ばかりの不良の巣窟と化しており、関川本人も真面目に部活をしていなかったが新たに赴任してきた教師の川藤幸一の指導によって更生し、甲子園を目指して奮闘する事に。
長打力には欠けるものの、不良時代に万引きで追いかけられても逃げ切ったチーム一の俊足が最大の武器。
50m走では5.6秒、好調時は100m走で10秒台を記録する程で陸上部からスカウトを受けたこともある。
髪を染めて高く逆立てたポルナレフのようなヘアスタイルが特徴*23で本人もこだわりを見せるが、本気を出す際は髪型を崩すことでさらにタイムが伸びる。
ドラマ版のキャストは中尾明慶。

  • 新見克也(にいみかつや)
漫画『ナイン』の主人公。
県立青秀高校野球部員。
中学陸上短距離記録保持者(100m、200m)。
様々な偶然が重なり、陸上を辞め、野球を始める。最終的に一番センターの定位置を獲得し、夏の甲子園大会にも出場する。
アニメ版でのCVは古谷徹


  • 火野勇太郎(ひのゆうたろう)
ゲーム『実況パワフルプロ野球2013』のサクセスから登場。
ラグナロク分校の野球部員であり、自分を勇者だと思い込んでいるちょっと痛い子。
攻撃面はミート・パワー・走力が全てAであり、弾道も3、特殊能力も強力なものを持っている頼もしい存在。
しかし守備面に難があり、肩はCで守備はDとまずまずだが、なんと捕球がGと更にエラーの特殊能力を持っているので、彼にボールが飛ぶと高確率でエラーをするというとんでもない選手。
後にこれまでの歴代サクセスの選手たちが登場するパワフェスで最終決戦の対戦チームで彼が中堅手を守ることが多い*24のでセンターに打球をとばせば頻繁に落球したり、トンネルしたりなどエラーを連発。ラスボスである熱盛宗厚をキレさせたり、クイーンココロを呆れさせたりするなど一気に知名度をあげた(ネタ的な意味で)。

  • ぴの
ナムコスターズの一番打者。
バントヒットなんて当たり前。初代ファミスタでは控え選手でした。

  • 間瀬和夫(ませかずお)
漫画『BUNGO -ブンゴ-』の主要人物。
主人公・石浜文吾(いしはまぶんご)が所属する、静央シニアでは右投げ左打ちの中堅手。打順は主に6番。
高い身体能力が売りのナルシスト。
バッテリーの配球を読んで守備位置を定める為、当初、制球がアバウトな石浜を敬遠していた。
石浜が覚醒して急成長を遂げると、素直に実力を認めている。
実家が裕福なのか、県外から出るのを嫌い、地元の強豪私学・興静学園へ進学した。

  • 矢部明雄(やべあきお)
ゲーム『実況パワフルプロ野球』に登場。
パワプロのシステム上外野手適性ひとつで中堅/左右すべて守れるため厳密には決まっていない。
ただ、一貫して俊足型選手であるため、アニメーションデモの類や、明確に各キャラのポジションが決まっているシナリオ(例として『2011』ときめき青春高校編)では矢部くんがセンターと扱われることが多いため掲載。
ビン底メガネに大のオタク趣味、ついでに(最近でこそ『アプリ』を中心とするキャラの多数化・多様化で薄まってきているが)一言多いトラブルメーカーの気があると割と人を選ぶ性格をしているうえ、走力以外は初期作品当時ですらインフレに置いて行かれているレベルの能力だったこともあり「矢部くんイジリ」は現在でも恒例のネタのひとつだが、それでも実質的な女子高が舞台でなければ必ず登場するサクセスキャラであるため人気も高い。
(比較的新しい作品では『アプリ』の一部高校*25や『2024』パワフルフューチャーズ編*26のように、むしろ矢部くんの能力なら中軸になりうるシナリオも増えてきている)
また近年はヘタな高卒・大卒新人、場合によっては1軍に定着済の外野手よりも一部ならば能力が高いため*27、近年ではむしろ矢部くんの方がパワーインフレさせる側に回っているのではないかとする意見もけっこう見られる。なんなら現実にいたら普通に新卒レギュラーである

性質上、主人公がどんどん交代していく上にその後顧みられることが非常に少ない*28こと、また長きにわたってパワプロ・プロスピ公式Twitterの語り手を務めていたことまあトラブルメーカーネタやガチ反感もたぶんにこの時の「KONAMIの苦しい言い訳を矢部くんが言わされた」が原因なんだけどなどから、実質的には矢部こそが「ミスターパワプロ」と呼べるキャラクターであろう。

ちなみに『5』以降はほとんど顧みられなかったが、実は『パワプロクンポケットシリーズ』の世界観にも組み込まれている。
元々『パワプロ』との連動性が高かった『無印』『2』を別にすると、『4』のある彼女候補の重要な設定を明かすのに「メガネ一族が矢部と会った」という展開が導入に使われたイベント、『10』で近い時期に引退したのが示唆されるイベント*29で比較的ゲームの展開に関わっているし、そもそもメガネ一族はカンタと開田*30以外全員が矢部とは異母兄弟である*31


  • 山岡鉄司(やまおかてつじ)
漫画『ドカベン』に登場する中堅手。
山田や岩鬼達の一学年上。左投左打。
目の下のクマを岩鬼に「パンダみたいな顔(意訳)」と弄られる。
当時時は凡ミスもあったり、緩急に弱かったりと良い所が少なかったが、努力を重ねて3年夏には3番・中堅手で主将を任される程に成長した。
高校卒業後は東海大学に進学。ノンプロのSS青森を経て、東京スーパースターズに入団している。プロでは右翼手に転向している。
アニメ版のCVは佐藤輝昭→千葉繁


  • 山路勝利(やまじかつとし)
漫画『4P田中くん』に登場する中堅手。
主人公・田中球児(たなかきゅうじ)より一学年下。
在籍する栄興学園(えいこうがくえん)・春の新入部員編から登場する。
中学時代は4番・投手でチームを全国大会ベスト4に導く。しかも味方の援護が期待出来ない状態での結果という背景から、特待生で入学し、実力は投打に折り紙付きも、自分の力のみを頼む反面、協調性に欠け自己中な部分も。チームメイトと出会う事で変化や成長を遂げ、センターの定位置と9番の打順を掴み取る。9番ながらも監督曰く「二段構えのオーダー」で6番が実質的に1番の役割を果たす為、9番は裏の4番扱いとなり、その実力を認められている。




追記、修正は秋山幸二に講演を頼んで秋山翔吾を呼んだ方がガッツポーズをしながらお願いします。

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最終更新:2026年07月20日 02:19

*1 オリックス時代はより強肩であった田口壮の存在からイチローが中堅手のことが多い

*2 2023年WBC準決勝・対メキシコ戦のサヨナラホームイン時の速度。あまりに速すぎて、前にいた走者の大谷翔平を追い抜きそうになっていたことが話題となった。

*3 現役晩年は腰痛に苦しめられていたが、現役引退後の手術でそれが完治し以前のように体が動くようになったという。

*4 当時の柳田はヘタな2軍投手顔負けのストレートを投げられたことから本人が「リリーフならできます」と志願した。本人だけではなく千賀滉大なども柳田のストレートについては「投手並みだった」と証言している

*5 そもそもTBS側は当初は古田を「スポーツマンNo.1決定戦」に呼ぶ予定だったらしく、その古田当人が「飯田さんの方がすごかったから固辞する代わりに紹介した」と述べている。

*6 床の上で・上履きで走るため実タイムは落ちることによる

*7 これはあくまでもルール説明上の話で、実際には野球で言う完全捕球は出来なくても「手を伸ばすなどして、ボールが地面に着いてしまうよりも前にはっきり触れる」が出来ていれば成功と判定される

*8 第1回で飯田の大活躍が好評だったためか、以降も現役プロ野球選手の参戦は恒例となっている。

*9 00年が.346、01年が.271、02年が.170。

*10 平衡感覚が狂う三半規管の難病

*11 来世があるなら男女どちらに生まれ変わりたいですか?という質問に「大谷翔平」と即答する、など。なおこれでもまだ栗山監督語録としては比較的一般常識に近い語彙。

*12 高めのボールには身をかがめ、低めにはその逆で体を伸び縮みさせることから

*13 後に稲葉篤紀が達成する。

*14 日本最終年は阪神に在籍。

*15 悪い習慣。ここではイジメ、シゴキ、理不尽な上下関係など

*16 都市対抗野球のMVP

*17 同じくこの年ストライキの影響でNPBに入団した現役メジャーリーガーには、ダリン・ジャクソン(西武)、フリオ・フランコ、ピート・インカビリア(共に千葉ロッテ)、ケビン・ミッチェル(ダイエー)らがいた。

*18 ガッツポーズをする真中の後ろにあるスクリーンに、イベントスポンサーのリポビタンDのロゴが映されていたことからくる呼び名。

*19 つば九郎が出てくると解説者の真中の態度が大きく硬化する、つば九郎のパフォーマンス中に解説中の真中が「失敗しろ!」とマイクを入れたまま叫ぶ、など

*20 屋敷が探して購入するような車種のキットであれば、原則的にハンダ付けでの組立と下地材からの全塗装を前提としている(一応は瞬間接着剤でも作れるが、屋舗並みに凝る人はこの方法は取らないことが多め)。この理由で「非スナップフィットのプラモデル」の感覚では組めないため高難度

*21 後に日ハム移籍後ブレイクする、俊足の水谷瞬であった。

*22 この日のソフトバンクの敗戦投手は横田と同級生かつ後に阪神に移籍する大竹耕太郎であり、後年「人生で唯一、今日は負けてもいいかなと思いました」と語っている。

*23 実写ドラマ版ではソフトモヒカンという形で再現されている

*24 最終決戦はこれまで主人公チームが仲間にしなかったサクセスキャラが対戦チームとして出場する。また2016や2018のパワフェスではまだ実装されたキャラ数も少なく中堅手候補も火野含めて少なかった

*25 モブ選手を中心に極端な拙守の選手が多く、最低限よりは高い守備能力がある矢部くんにも利点がある「ブレインマッスル高校編」など。

*26 プレイヤーから本気で批判されるレベルでモブ選手の能力が低い。

*27 いわゆる「濡れたスポンジを統一球と称している」問題から成績的にかなり投高であること、また特殊能力が増えすぎて「特殊能力による変動で補正する」のを前提としないといけない状況になったことの2点から、打撃関係についてはレギュラー選手ですら基礎値だけなら矢部とどっこいどっこいの査定になっていることは珍しくない。例としてパワフェスでフル強化した矢部は『2024』における首位打者獲得選手(T.オースティン)とミートの差はひとケタしかない

*28 一部作品の『9』再現イベントや、パワフェスにおける戸井(=『5』主人公)の存在など、ないわけではない

*29 正史考察に沿って経過年数を並べるとこのころの矢部は30代後半となる。あまりアクシデントには見舞われなかったようだ

*30 厳密には、開田は血縁関係があるのか違うのかどのルートやエンディングでも一切明かされない

*31 どこまで知っているのかはメンバーによって異なり、亀田と凡田は「わりと正確に知っている」のを示唆するイベントがあるほか、『ポケ14』の基礎設定を考えると山田・落田・湯田はお互い出会った時点で把握している可能性が高いだろう