大沼郡大塩組越河村

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大沼郡大塩組越河村 - (2020/04/30 (木) 16:08:13) の編集履歴(バックアップ)


陸奥国 大沼郡 大塩組 越河(こすかは)
大日本地誌大系第33巻 79コマ目

府城の西に当り行程15里。
家数9軒、東西1町5間・南北9間。
また2町20間北に家数5軒あり。大川という。
東西12間・南北28間。
共に南は山に倚り北は只見川に傍ひ東西は田圃(たんぼ)なり。

東1里15町大石組本名村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り1里18町。
西2町横田村の界に至る。その村は申(西南西)に当り16町。
南7町余大岐村の山に界ふ。
北1町50間大塩村に界ひ只見川を限りとす。その村は西に当り32町。

端村

上越河(かみこすかは)

本村より未(南南西)の方1町30間にあり。
家数13軒、東西48間・南北25間。
四方田圃にて北は只見川に近し。

橋立

本村より丑(北北東)の方1里にあり。
家数11軒、東西50間・南北1町10間。
東南は山林を擁し西北は田圃にて只見川に近し。

山川

戸板山(といたやま)

村南3町にあり。
高4町余。
南の方は横田・大岐両村に属す。

只見川

村北1町にあり。
横田村の境内より来り、東北に流るること1里余本名村の界に入る。
この川の邊より温泉湧出つ。

関梁

橋2

一は村西1町10間余にあり。
長6間・幅1間。
総沢川(そうさはかわ)という渓流に架す。
一は村北1町20間大川という渓流に架す。
長5間余・幅5尺。
共に村中の通路なり。

神社

住吉神社

祭神 住吉神?
鎮座 不明
村より丑寅(北東)の方1里にあり。
鳥居拝殿あり。横田村雪澤摂津が司なり。

瀬尾神社

祭神 瀬尾神?
鎮座 不明
村より辰(東南東)の方50間にあり。
鳥居拝殿あり。雪澤摂津これを司る。

山神社

祭神 山神?
鎮座 不明
村より申(西南西)の方2町にあり。
鳥居あり。村民の持なり。

旧家

藤三郎

山内氏勝の猶子横田出羽が9代の後なり。
氏勝出羽と左馬助とを黒川に残し人質とし政宗を方便在所に帰りしに、2人また計を設て逃げ帰る。政宗兵を発して横田を攻るに及で出羽・横田日向・須佐大膳と川口に向う。伊達の兵川口左衛門佐を先陣とし、切拂(きつはらい)橋立(はしたて)にて戦う。出羽等敵を退け大布蟹山の西に陣し木石を投て多く敵を殺す。明年氏勝松坂峠にて敗軍し味方多く打死せし時、出羽衆に先て戦いその所にて命を殞せしという。

長次右衛門

山内四天の一、齋藤伊豆某が末葉なり。
天正の頃(1573年~1593年)伊豆伊藤新平と共に氏勝に仕え毎に密謀を資く。氏勝布沢の敵に向て敗走し伊達の将大波玄蕃急に横田城を攻る時、伊豆新平等城を出て力戦して敵を退く。氏勝浪々の後共に家居して終れりという(伊藤が後は今絶てなし)。