#expand(500){{{ 耶麻郡の説明文より 猪苗代城下の西北にあり、3峯並峙つ積翠空に挿み一郡の&ruby(いかん){偉觀}なり。 中峯もっとも高し。西を小磐梯といい、東を&ruby(あかはに){赤埴}山といい、また&ruby(みね){見祢}山と称す。 高306丈周15里絶頂に磐梯明神とて石の&ruby(そうし){叢祠}あり(磐梯神社も古はこの山上に鎮座ありと云う。その社跡なるも知べからず。本寺村恵日寺司なり)。 常に登山の者なけれ共、毎年6月15日には祭ありて参詣多し。 &ruby(はんぷく){半腹}より上は路極て崚しく木を&ruby(すが){攀}るに非れば登るべからず。 頂に至れば東は相馬岩城の海邊より、北は出羽国月山湯殿山まで遠く&ruby(えんあい){煙靄}の中に浮動し、&ruby(ちょうぼう){眺望}数郡の外に及ぶ。 かかる高山なれば山嵐常に&ruby(はげし){烈}く、草木地に&ruby(めぐ)蟠り5、6月の頃まで残雪消尽きず。 竹樹これにをされて根屈す(俗これを磐梯竹と云う。雪深き山に産する竹皆しかり)。 山上に&ruby(しゃくなげ){石楠花}多し。また一種の百合あり。ひとえの赤き花をつけ、上に向て開く。&ruby(けいよう){莖葉}短縮愛玩すべし。 東の半腹に沼9あり。周各30間計。 小磐梯の西に温泉&ruby(ゆうしゅつ){湧出}。味甘酸、頭痛積聚眼疾諸蟲によしと云う。 硫礬石を産す側に湯泉神社あり(何れの頃にか塩川組落合村鈴木金四郎と云う者草創すと云う。府下北小路町大久保播磨假にこれを司る)。 4郡第一の名山なれば、古より會津山と称し、故人の詠あり。 後撰集 藤原滋幹女 友則のむすめのみちの國へまかりけるにつかはしける 『君をのみ しのふの里へ ゆくものを 會津の山の はるけきやなそ』 千五百番歌合 法橋顯照 『ほくしかけ 鹿に会津の 山なれは いるにかひある さつら成けり』 古今六帖 読人不知 『杖折して ゆかましものを 會津山 入よりまとふ 道としりせは』 堀河百首 藤原仲実 『会津山 すそ野の原に ともしすと ほくしにひをそ かけ明しつる』 ---- ついでに有名な歌を追加 参照:『[[万葉集「会津嶺の歌」>https://blog.goo.ne.jp/aizu01/e/cc4a0c1317033ed3cb6bd08314943b68]]』 万葉集 巻14 3426番 東歌 『会津嶺の 国をさ遠み 逢わなはば 偲びにせもと 紐結ばさね』 }}}