※国立公文書館『新編会津風土記48』より
猪苗代城下の西北にあり、3峯並峙つ。
積翠空に
挿み一郡の
偉觀なり。
中峯
尤も高し。
西を小磐梯といい、東を
赤埴山といい、また
見祢山と称す。
高306丈・周15里。
絶頂に磐梯明神とて石の
叢祠あり(磐梯神社も古はこの山上に鎮座ありという。その社跡なるも知べからず。本寺村恵日寺司なり)。常に登山の者なけれ共、毎年6月15日には祭ありて参詣多し。
半腹より上は路極て崚しく木を攀るに非れば登るべからず。頂に至れば東は相馬岩城の海邊より、北は出羽国月山湯殿山まで遠く煙靄の中に浮動し、眺望数郡の外に及ぶ。
かかる高山なれば山嵐常に烈く、草木地に蟠り5、6月の頃まで残雪消尽きず。竹樹これにをされて根屈す(俗これを磐梯竹という。雪深き山に産する竹皆しかり)。
山上に石楠花多し。また一種の百合あり。ひとえの赤き花をつけ、上に向て開く。莖葉短縮愛玩すべし。
東の半腹に沼9あり。周各30間計。
小磐梯の西に温泉湧出。味甘酸、頭痛・積聚・眼疾・諸蟲によしという。硫礬石を産す側に湯泉神社あり(何れの頃にか塩川組落合村鈴木金四郎という者草創すという。府下北小路町大久保播磨假にこれを司る)。
4郡第一の名山なれば、古より會津山と称し、故人の詠あり。
後撰集 藤原滋幹女
友則のむすめのみちの國へまかりけるにつかはしける
君をのみ しのふの里へ ゆくものを 會津の山の はるけきやなそ
千五百番歌合 法橋顯照
ほくしかけ 鹿に会津の 山なれは いるにかひある さつら成けり
古今六帖 読人不知
杖折して ゆかましものを 會津山 入よりまとふ 道としりせは
堀河百首 藤原仲実
会津山 すそ野の原に ともしすと ほくしにひをそ かけ明しつる
※ついでに有名な歌を追加
万葉集 巻14 3426番 東歌
会津嶺の 国をさ遠み 逢わなはば 偲びにせもと 紐結ばさね
最終更新:2020年02月10日 07:21