耶麻郡川西組釜井村

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陸奥国 [[耶麻郡]] [[川西組>耶麻郡川西組]] &ruby(かまい){釜井}村 &blanklink(大日本地誌大系第32巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179212} 21コマ目 #expand(500){{{ この村昔は3町計戌亥(北西)の方にあり。元和中(1615年~1624年)今の地に遷すという。 府城の東北に当り行程4里18町。 家数14軒、東西1町50間・南北1町。 四方&ruby(たんぼ){田圃}にて南に釜井川あり。。 東5町24間[[百目貫村>耶麻郡川西組百目貫村]]の界に至る。その村は寅(東北東)に当り10町。 西4町30間[[大在家村>耶麻郡川西組大在家村]]の界に至る。その村まで4町50間余。 南は村際にて[[烏帽子小屋村>耶麻郡川西組烏帽子小屋村]]に界ふ。その村まで1町10間余。 北2町55間[[島田村>耶麻郡川西組島田村]]の界に至る。その村まで5町20間余。 また 丑(北北東)の方6町12間[[堤崎村>耶麻郡川西組堤崎村]]の界に至る。その村まで9町30間余。 *山川 **釜井川 昔水上に1の釜あり。村民取て主を求むれども知ざれば泥中に埋む。故にこの名ありとぞ。 [[大在家村>耶麻郡川西組大在家村]]の境内より来り、村南を経て西より東に流るること8町10間余[[烏帽子小屋村>耶麻郡川西組烏帽子小屋村]]の境内を過ぎ湖水に入る。 *古蹟 **古碑 村より戌亥(北西)の方3町20間、畠の中にあり。 高5尺・幅3尺。額に梵字を彫り、下に『正和二年癸丑十月十八日』と彫付けあり(正和二年:1313年)。来由知らず。 ---- -Google Map --[[釜井地区>https://goo.gl/maps/LGBdEJgWXc5kcJFP9]] --[[お堂と祠>https://goo.gl/maps/nsiVwDr2z15P55kx9]] 余談。 [[大在家村>耶麻郡川西組大在家村]]の欄外にも書きましたが、磐越自動車道を敷く際(猪苗代磐梯高原IC~会津坂下IC開通は平成4年(1992年))に川の流れを変えた為釜井川は無くなってしまったようです。明治41年(昭和6年改訂)の地図(磐越西線が若松まで開通したのは明治32年(1899年))に大在家村から釜井へと流れる水路が確認できるので、高速自動車道が出来たタイミングかと思うのですが、それを裏付ける資料が見当たりませんでした…。 &image(kamaikawa.jpg, width=350) ※地理院地図(明治41年測図/昭和6年修正) }}}
陸奥国 [[耶麻郡]] [[川西組>耶麻郡川西組]] &ruby(かまい){釜井}村 &blanklink(大日本地誌大系第32巻){https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179212} 21コマ目 #expand(500){{{ この村昔は3町計戌亥(北西)の方にあり。元和中(1615年~1624年)今の地に遷すという。 府城の東北に当り行程4里18町。 家数14軒、東西1町50間・南北1町。 四方&ruby(たんぼ){田圃}にて南に釜井川あり。。 東5町24間[[百目貫村>耶麻郡川西組百目貫村]]の界に至る。その村は寅(東北東)に当り10町。 西4町30間[[大在家村>耶麻郡川西組大在家村]]の界に至る。その村まで4町50間余。 南は村際にて[[烏帽子小屋村>耶麻郡川西組烏帽子小屋村]]に界ふ。その村まで1町10間余。 北2町55間[[島田村>耶麻郡川西組島田村]]の界に至る。その村まで5町20間余。 また 丑(北北東)の方6町12間[[堤崎村>耶麻郡川西組堤崎村]]の界に至る。その村まで9町30間余。 *山川 **釜井川 昔水上に1の釜あり。村民取て主を求むれども知ざれば泥中に埋む。故にこの名ありとぞ。 [[大在家村>耶麻郡川西組大在家村]]の境内より来り、村南を経て西より東に流るること8町10間余[[烏帽子小屋村>耶麻郡川西組烏帽子小屋村]]の境内を過ぎ湖水に入る。 *古蹟 **古碑 村より戌亥(北西)の方3町20間、畠の中にあり。 高5尺・幅3尺。額に梵字を彫り、下に『正和二年癸丑十月十八日』と彫付けあり(正和二年:1313年)。来由知らず。 ---- -Google Map --[[釜井地区>https://goo.gl/maps/LGBdEJgWXc5kcJFP9]] --[[お堂と祠>https://goo.gl/maps/nsiVwDr2z15P55kx9]] 余談。 [[大在家村>耶麻郡川西組大在家村]]の欄外にも書きましたが、磐越自動車道を敷く際(猪苗代磐梯高原IC~会津坂下IC開通は平成4年(1992年))に川の流れを変えた為釜井川は無くなってしまったようです。明治41年(昭和6年改訂)の地図(磐越西線が若松まで開通したのは明治32年(1899年))に大在家村から釜井へと流れる水路が確認できるので、高速自動車道が出来たタイミングかと思うのですが、それを裏付ける資料が見当たりませんでした…。 &image(kamaikawa.jpg, width=350)※地理院地図(明治41年測図/昭和6年修正) }}}

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