この村昔は処々の渓間に散居せしを、伊藤氏この地を領して3代目に今の所に聚めて1村となし、三代村と名くという。
府城の東に当り行程6里32町余。
家数63軒、東西1町10間・南北3町43間。
東西は山を擁し南北に田圃を闢く。
村西に1里塚あり。
この村は白川街道駅所にて、村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。
福良村駅より33町22間ここに継ぎ、ここより2里3町30間守山領岩瀬郡勢至堂村駅に継ぐ。
また村中より東に分れて仙道に通る街道あり、20町24間
中地村駅に継ぐ。
東5町計二本松領浅野村の山に界ふ。
西4町
福良村の界に至る。その村は酉戌(西~西北西の間)に当り29町10間余。
辰巳(南東)の方1里16町59間勢至堂村に界ひ勢至堂峠を限りとす。
北17町二本松領舟津村の山に界ひ
高森山の峯を限りとす。
また
丑(北北東)の方8町40間
中地村の界に至る。その村まで18町40間余。
小名
中入新田
本村より辰巳(南東)の方15町10間余にあり。
家数5軒、東西38間・南北48間。
三面に山を擁し西に田圃あり。
天明6年(1786年)
大沼郡東尾岐組東尾岐村より木地挽来て漸々に田地を闢き、寛政5年(1793年)に名けて中入新田という。
今に木地を挽て産業を資く。
北沢
本村より戌亥(北西)の方10町20間余にあり。
家数4軒、東西20間・南北30間。
山麓に住し西南に田圃あり。
端村
唐沢
本無より辰巳(南東)の方1里5町にあり。
俗に切拂と唱ふ。
家数6軒、東西1町38間・南北30間。
両山の間白川街道に住す。
ここより亥(北北西)の方、白川街道に一里塚あり。
山川
高井原山
村南1里30町20間余にあり。
頂まで6町。
西は福良村に属す。
絶頂平にして喬木なく、眺望甚だ佳なり。
頂に1の小沼あり。里人の説に、大同中(806年~810年)空海この山にて護摩を修し、その時手を洗し沼なりという。
また山麓に1の岩窟あり。空海の息える所とて、呼て大師岩穴という。窟口船の形に似たるを以て船沢とも唱ふ。入口の高4尺計・横2尺余。中に3畳敷計の所あり。四方切石を畳みたるが如し。また階の如くなるもの3級計を経て奥に入れば、益廣にして窮むること能わず。この窟に入る者松明を燈て入るに、蝙蝠甚だ多く乱飛して面を撲つ。
黒塚山
村南2里18町余にあり。
東南は守山領岩瀬郡に界ひ峯を限りとす。
また西の方は福良村に属す。
勢至峠
端村唐沢の東7町20間余、白川街道にあり。
両山相束ねて左右に壁立し一線の路を通す。
屈曲して登ること4町30間絶頂に至る。
満ちの右に表石を立て、ここより西北は会津領と刻めり。
また道の左に茶店あり。
この峠は安積・岩瀬2郡に跨り絶頂を限りとす。
守山領勢至堂村の方に踰る坂なれば勢至峠と称す。
勢至堂村の方へ下るには坂極めて流し。この辺の諸村地形の高きを知るべし。
三代川
村東20間にあり。
源2あり。
一は黒塚山の麓より発し、一は勢至堂峠の麓より発す。
2派合して北に流るること33町50間余
中地村の界に入る。
広5間。
鮠、
岩魚を産す。
不動滝
村より辰巳(南東)の方1里20町余、山間の谷川にあり。
高3丈余。懸水五に分し瀉ぐ。
瀑布の上なる岩に龍を彫付たるあり。旱魃の時雨を祈る所なり。
原野
秣場
村南1里余にあり。
東西1町・南北20町。
字を小屋入という。
関梁
三代口
村の西端、白川街道にあり。
木戸門を設け番戍を置き往来を察せしむ。
また嶮に據て端村唐沢の入口に出番所を構ふ。
ここより勢至峠を踰て岩瀬郡に達す。
橋3
一は村より辰巳(南東)の方1里18町、白川街道にあり。長4間・幅1間半、勾欄あり。
一は村東2町余仙道に通る街道にあり。長8間。
一は端村中入新田の西2町20間にあり。長6間、村中の通路なり。
共に三代川に架す土橋なり。
水利
堤
村西10町にあり。
東西20間・南北25間。
神社
熊野宮
祭神 |
熊野宮? |
相殿 |
八幡宮 |
|
山神 |
|
権現 |
鎮座 |
不明 |
村東3町余、山腰にあり。
鳥居あり。赤津村真船奥守が司なり。
羽黒神社
村北6町20間余、山腰にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。修験常法院これを司る。
高井原神社
村西1町40間、山腰にあり。
祭神詳ならず。もと高井原山の頂にあり。天正2年(1574年)今の地に移すという。
鳥居拝殿あり。修験寶蔵院これを司る。
寺院
正福寺
村西1町30間にあり。
真言宗御代山と號す。
元亀3年(1572年)の草創にて開山を如伯という。
元和中(1615年~1624年)重高という僧仙道長沼より来たり住し、寛永10年(1633年)紀州高野山に至て真言の法流を汲み遂に彼末山となる。その後正徳3年(1713年)良栄という僧住してより改めて江戸
弥勒寺に隷す。
本尊大日客殿に安ず。
古蹟
館跡
村の東南5町余、山上にあり。
昔この村の地頭小檜山縫殿之助(諱を伝えず)という者居趾という。
今は樹木生茂て狐狸の棲となり、その形さだかならず。
土人呼て御膳山という。
また山下より出る清水を御膳清水と唱ふ。
- 参考
- Google Map
- 三代地区
- 中ノ入地区(中入新田)
- 北沢
- 唐沢
- 高井原山
- 大師岩穴/船沢 - 場所不明。三代の案内に高井原山の南側に「大師の岩穴」があると記載されています。林道小屋ノ入線を入って船沢方面に行き、そこから高井原山の中腹まで登った所にあるそうです。国道294号線の林道入口に船沢洞窟の案内柱が立ってはいるのですが…。
- 黒塚山?
- 地理院地図の載っている小屋川の南、標高994mの山が怪しいとは思っているのですが。
- 勢至堂峠
- 昔は板橋峠、後に唐沢峠・御代峠とも呼ばれており、明治の頃までは焼物峠との愛称も。
- 福良村の欄外にも記載しましたが、この峠を含め会津から東の地に抜ける峠道の総称を夷口七峠/東七ツ口と呼ぶそうです。なお国道294号に勢至堂トンネルが出来てから勢至堂峠は通行禁止。
- 三代川 - 現在の舟津川(途中で小屋川が合流)です。
- 不動滝(中ノ沢)
- 三代口 - 場所不明。
- 三代の案内に番所があった場所は記載してはあります。御代(三代の事)地区西入口の北島さんの家と言われても…。
- 熊野宮 - 見当たらず
- ですが村東の山の地名が熊ノ森というんですよね。どこかに小さな鳥居と石祠とかありそうな気がします。
- 羽黒神社
- 高井神社(高井原神社)
- 正福寺
- 御膳山の館跡 - 場所不明
- 大皇神社(中ノ沢)
- 稲荷神社(中ノ沢)
- 菅神社(三代の南の方、国道294号線近く)
- 大山祇神社(唐沢の北西)
最終更新:2020年10月05日 21:02