この村、應安の頃(1368年~1375年)津川町の農民新墾し、その頃は津川と書しという。後今の字に改む。
府城の西北に当り行程14里5町。
家数8軒、東西3町・南北1町。
山麓に住し南は揚川に臨む。
東6町
鹿瀬組鹿瀬村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り25町。
西8町
京瀬村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り13町。
南1町
津川町に界ひ揚川を限りとす。津川町まで3町。
北1里3町
行地村に界ひ諏訪峠を限りとす。その村まで2里1町。
また北の方1里余、諏訪峠に家居1軒あり。
山川
諏訪峠
村北1町計、新発田街道にあり。
ここを越て
行地村に行く。
九折にして登ること1里17町、甚だ難所なり。大抵10月より4月までは雪深くして牛馬を通すこと能わず。
絶頂に諏訪明神の社あり。因て名く。
頂より望めば限界甚だ広く、東南の方ひらけて磐梯・布引等の諸山も見え、西北は数山を隔て晴朗のときは遥かに北海に行かう船も見ゆ。
北に下れば清水2あり。峠清水という。清冽にして炎旱にも涸れず。行人長坂に苦しみ、ここに至て渇きを救う。
この辺最も
嶮岨にて、眼前に山起り路窮せるが如くなれば、牛馬
却歩す。因て土人
馬戻・
牛戻と称す。
山勢北にひき、西北は行地村に界ひ東南の方本村と
京瀬村に属す。
真那板倉山
村寄り亥(北北西)の方1里にあり。
頂まで8町。
北は
行地村と峯を界ふ。
雑木多し。
揚川
村南1町計にあり。
鹿瀬村の境内より来り、西に流るること15町計
京瀬村の界に入る。
広2町。
牧沢川
村寄り戌(西北西)の方5町にあり。
真那板倉山の諸渓会して1となり、未(南南西)の方に流るること1里余揚川に入る。
広2間計。
関梁
船渡場
村南にあり。
新発田街道、揚川の渡なり。
神社
山神社
村北、山麓にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
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- 角島地区
- JR磐越西線の津川駅は津川側(阿賀野川の南)ではなくこちら側(阿賀野川の北)にあります。
- 諏訪峠
- 角島から諏訪峠に行く途中に柳新田の一里塚があります。
- 諏訪峠から北北西へ向かう経路は無くなってしまったようです。峠清水は残っているのでしょうか?
- 諏訪峠の諏訪神社は、神社明細帳を見ると大きく×印が書かれています。大正5年5月4日にどこかの諏訪神社と合併したようです。(京瀬村の欄外も参照)
- 真那板倉山?
- 揚川 - 阿賀野川
- 牧沢川 - 槇沢川?
- 山神社
- 神社明細帳に角嶋の山神社の記載はありますが、詳しい住所が載っていない(越後国東蒲原郡揚川村大字清川字角嶋まで)のでどこにあるか不明です。
- 角島地区の東側に大山祇神社があります。北の山から移転したのでしょうか?
- 角島観音堂
- 角島の追分道標 - 参考:万葉風のページ
最終更新:2020年11月02日 19:46