この村、本郡の北端平衍の地に在て十日町・塩沢・六日町・浦佐・小出島・堀内組々の諸村より諸方に出る通衢なり。また信濃川・魚沼川、川船上下の通路にて新潟湊より運送の便よく、諸村より人多く集り商売の利多し。殊に毎年八十八夜頃より7月まで縮布市あり。遠方の商客ここに来り郡中より織出す縮布を交易す。尤も繁華なり。
今陣屋を置て7組の地を統制す。
府城の西南に当り行程61里。
家数946軒、東西7町8間・南北3町22間。
南北両頬に連なり、
裏町・
横町・
寺町・
土手丁・
孫八丁・
原町・柳小路・
孫八小路・
四軒小路・
旅屋小路・
鉄炮小路・
神明小路等の小路数条あり。
東は信濃川に傍ひ、西南は
土川村の枝村笹田に続き、北は
東西千谷川両村に続き、南は
田圃なり。
村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。
東2町20間、公領本郡中子村の界に至る。その村まで4町。
南5町28間
中村の界に至る。その村まで9町30間。
また
寅(東北東)の方3町20間、公領本郡薭生村の界に至る。その村まで26町。
巳(南南東)の方4町43間
山本村の界に至る。その村まで7町。
未(南南西)の方9町20間
東西千谷川両村の界に至る。両村まで21町20間。
村南に穢多の居所あり。
家数15軒、東西22間・南北39間。
山川
信濃川
村東にあり。
山本村の界より来り、14町20間余北に流れ
東千谷川村の界に入る。
広100間計。
関梁
船番所
村の辰(東南東)の方、信濃川の西岸にあり。
村民これを守る。
橋3
一は村西にあり。長14間・幅2間、勾欄あり。柏崎に通る街道にて千谷郷川に架す。
二は共に村南にあり。一は長10間・幅4尺、一は長5間・幅4尺、湯殿川に架す。村中の往来を通す。
郡署
陣屋
村中にあり。
役人を置き本組及び十日町・塩沢・六日町・浦佐・小出島・堀内7組の事を統制せしむ。
蝋座
村中にあり。
当国公領の諸村より納る所の漆実を集めここにて蝋となし江戸に貢す。
神社
日光神社
村中にあり。
石鳥居拝殿あり。村民の持なり。
諏訪神社
村中にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
伊勢宮
村中にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
寺院
五智院
村中にあり。
山號を龍久山という。真言宗、山城国醍醐金剛王院の末寺なり。
昔この地より東1里計山寺という所にあり(今薭生村の枝村に山寺という所あり。その地に五智院屋敷・成就院屋敷の遺跡残れりという)。
天平寶字4年(760年)泰澄が草創せる所にて七堂伽藍備わり寺領も若干ありしに、永亨の頃(1429年~1441年)兵燹に罹り殿宇みな灰燼となれり。
本尊毗首羯麿が作りし弥陀の霊像池中に沈めて、時に奇瑞を現せしかば、その地に1宇を建立して尊像を安置す。即ちこの寺なりという。
慶安元年(1648年)官より本村にて寺領7石5斗を寄付せらる。
客殿
12間に8間、東向き。
本尊弥陀、閻浮檀金の立像、長1尺4寸7分。毗首羯麿作という。
庫裏
客殿の北にあり。
7間に4間。
鐘楼
客殿の東にあり。
2間四面。
鐘、径2尺2寸。『安永六龍集丁酉孟秋穀且越之后州
魚沼郡小千谷龍久山五智院元基法印快精再鑄法印隆恭戮が檀主和南津邑喜多村良宗』と彫付けあり(安永6年:1777年)。
護摩堂
客殿の南にあり。
3間四面。
太子堂
護摩堂の西にあり。
2間に1間半。
稲荷神社
客殿の東北にあり。
山王神社
客殿の東南にあり。
門徒
菩提院 境内にあり。本尊薬師。
延命寺 同上。本尊地蔵。
寶物
悟悔序 1軸。空海筆という。
成就院
村中にあり。
妙椿山と號す。真言宗、五智院の末寺なり。
昔五智院十八坊の1にて泰澄が開基なり。
後、兵火の為に
頽轉し、永禄中(1558年~1570年)この地に再建すという。
大日を本尊とし客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘、径2尺5寸。『越後國
魚沼郡妙椿山成就院法印覺澄延享元甲子天七月吉祥日』と彫付けあり(延享元年:1744年)。銘あれども煩わしければ略す。
薬師堂
境内にあり。
天満宮
同上。
稲荷神社
同上。
門徒
遍照庵 境内にあり。本尊大日。
證光院
村中にあり。
法輪山と號す。真言宗、五智院の末寺なり。
元慶中(877年~885年)真雅が開基せる所という。
本尊大日客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘、径2尺2寸。『享保十五庚戌天五月吉日建立者法印元了代』と彫付けあり(享保15年:1730年)。銘あれども載せず。
十王堂
境内にあり。
大日堂
同上。
稲荷神社
同上。
金毘羅神社
同上。
慈眼寺
村中にあり。
船岡山と號す。真言宗、五智院の末寺なり。
元慶中(877年~885年)真雅が草創なりという。
正観音を本尊とし客殿に安ず。
鐘1口あり。径2尺3寸、『明和七龍次庚寅林鐘穀且越後州
魚沼郡小千谷邑船岡山慈眼寺願主法印芳譽』と彫付けあり(明和7年:1770年)。銘あれども録せず。
門徒
圓明寺 境内にあり。本尊地蔵。
照專寺
村中にあり。
山號を日光山という。浄土宗、京師智恩院の末寺なり。
開山日譽は鎌倉の産にて、天正中(1573年~1593年)に建立すという。
客殿
9間半に7間半、北向。
本尊弥陀。
鐘楼
客殿の東にあり。
鐘、径2尺5寸。『寶永戊子年九月吉祥日吉澤氏母儀當寺十三代辨蓮社真譽上人京圓良無和尚』と彫付けあり(寶永5年戊子:1708年)。銘あれども載せず。
経蔵
鐘楼の北にあり。
観音堂
境内にあり。
稲荷神社
同上。
塔頭
源壽院 境内にあり。本尊弥陀。
寶珠庵 同上。本尊弥陀。
寶物
六字名號 1幅。開山日譽筆。2世呑譽に付属する所の物という。
極楽寺
村中にあり。
青木山と號す。浄土真宗西派、信州雄山村普願寺の末寺なり。
慶長中(1596年~1615年)玄順という僧開基すという。
本尊弥陀客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘、径2尺5寸。『元文元年辰八月日願主惠空寄進惣門徒』と彫付けあり(元文元年:1736年)。銘あれども略して載せず。
寺中
常敬寺 境内にあり。本尊弥陀。
專正寺
村中にあり。
定業山と號す。浄土真宗、京師東本願寺の末寺なり。
開基の僧を教圓という。
永禄の頃(1558年~1570年)信州長沼の山中大滝口という所より古志郡椿沢村に移住し、元和中(1615年~1624年)第2世善宗この地に移るという。
弥陀を本尊とし客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘、径2尺6寸。『越後之國
魚沼郡小千谷邑定業山專正寺十九世律師喚響代寛政十戊午歳八月十一日』と彫付けあり(寛政10年:1798年)。銘あれども載せず。
寺中
不退寺 境内にあり。本尊弥陀。
観音堂
村より11町余未(南南西)の方にあり。
大同中(806年~810年)空海当国に来て衆生利益の為に一刀三禮して観音の像を彫刻し弘誓の船に乗せ信濃川に浮べしに、その像この地に着岸せし故堂を建て安せしとぞ。
観音、長3尺余、立像なり。
二王門あり。慈眼寺これを司る。
山王神社
境内にあり。
稲荷神社
同上。
観音堂
村中にあり。
創立の年月をしらず。
村民の持なり。
古蹟
城跡
村より辰(東南東)の方にあり。
東面は断崖にて信濃川に臨む。
今みな畑となりその形さだかならず。
何人の営築せし所にか詳ならず。
- Google Map
- 小千谷本町
- JR上越線の小千谷駅は信濃川の東にありますが、『東は信濃川に傍ひ』と本文にある通り西岸の方が小千谷村となります。
- 船番所跡?
- 小千谷陣屋跡の石碑
- 『江戸初期までは本町(川岸町)の信濃川近くにあったが、大洪水のため川岸が流され、現在「介護老人保護施設水仙の家」がある所へ移転した』との事です。(参考:Wikipedia)
- 蝋座跡 - 不明。
- 元町にあるとのこと。2017年に小千谷小学校の開校150年記念事業として蝋座跡地を含め5ヶ所に石碑を建てたとの記事がありました。(参考:小千谷市役所)
- 二荒神社(日光神社)
- 諏訪神社(平沢) もしくは 諏訪神社(西中)
- 神明社(伊勢宮?)
- 五智院
- 稲荷社 - 五智院の西側。移転?別社? また、境内に赤鳥居があるようですが、地図に記載が無いため判断できません。
- 山王神社 - 五智院の東北。移転?
- 菩提院?
- 延命寺?
- お堂?
- 成就院
- 證光院
- 稲荷神社?
- 金毘羅神社?
- 境内に神社はあるようですが何神社なのか不明です。
- 慈眼寺
- 照専寺
- 稲荷神社 - 稲荷大明神と彫られた石柱あり。
- 源壽院?
- 寶珠庵?
- 極楽寺
- 専正寺
- 船岡観世音堂 - 慈眼寺の境内。
- 観音堂? - 村民の持の方。
- 城跡 - 不明。
- 他、小千谷には神社寺院が点在していますが気付いた所のみ載せておきます
余談。
越後佐渡デジタルライブラリー内の各明細帳ですが、神社なら請求記号19-1、寺院なら請求記号52-1あたりがこの村に該当するかと。
一部引用します。
※No.1 神明社(本町)
最終更新:2020年12月02日 17:14