魚沼郡小千谷組小千谷村

越後国 魚沼郡 小千谷組 小千谷(おちや)
大日本地誌大系第34巻 82コマ目

この村、本郡の北端平衍(へいえん)の地に在て十日町・塩沢・六日町・浦佐・小出島・堀内組々の諸村より諸方に出る通衢(つうく)なり。また信濃川・魚沼川、川船上下の通路にて新潟湊より運送の便よく、諸村より人多く集り商売の利多し。(こと)に毎年八十八夜*1頃より7月まで縮布(ちぢみふ)市あり。遠方の商客ここに来り郡中より織出す縮布を交易す。尤も繁華(はんか)なり。
今陣屋を置て7組の地を統制す。

府城の西南に当り行程61里。
家数946軒、東西7町8間・南北3町22間。
南北両頬に連なり、裏町(うらまち)横町(よこまち)寺町(てらまち)土手丁(とてちょう)孫八丁(まこはちちょう)原町(はらまち)・柳小路・孫八小路(まこはちこうじ)四軒小路(しけんこうじ)旅屋小路(たひやこうじ)鉄炮小路(てつはうこうじ)神明小路(しんめいこうじ)等の小路数条あり。
東は信濃川に傍ひ、西南は土川村の枝村笹田に続き、北は東西千谷川両村に続き、南は田圃(たんぼ)なり。

村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。

東2町20間、公領本郡中子村の界に至る。その村まで4町。
南5町28間中村の界に至る。その村まで9町30間。
また
寅(東北東)の方3町20間、公領本郡薭生村の界に至る。その村まで26町。
巳(南南東)の方4町43間山本村の界に至る。その村まで7町。
未(南南西)の方9町20間東西千谷川両村の界に至る。両村まで21町20間。

村南に穢多の居所あり。
家数15軒、東西22間・南北39間。

山川

信濃川(しなのかわ)

村東にあり。
山本村の界より来り、14町20間余北に流れ東千谷川村の界に入る。
広100間計。

関梁

船番所

村の辰(東南東)の方、信濃川の西岸にあり。
村民これを守る。

橋3

一は村西にあり。長14間・幅2間、勾欄(こうらん)あり。柏崎に通る街道にて千谷郷川に架す。
二は共に村南にあり。一は長10間・幅4尺、一は長5間・幅4尺、湯殿川に架す。村中の往来を通す。

郡署

陣屋

村中にあり。
役人を置き本組及び十日町・塩沢・六日町・浦佐・小出島・堀内7組の事を統制せしむ。

蝋座

村中にあり。
当国公領の諸村より納る所の漆実を集めここにて蝋となし江戸に(こう)す。

神社

日光神社

祭神 二荒山神(ふたあらやまのかみ)
勧請 不明
村中にあり。
石鳥居拝殿あり。村民の持なり。

諏訪神社

祭神 諏訪神?
草創 不明
村中にあり。
鳥居あり。村民の持なり。

伊勢宮

祭神 伊勢宮?
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居あり。村民の持なり。

寺院

五智院

村中にあり。
山號を龍久山という。真言宗、山城国醍醐金剛王院の末寺なり。
昔この地より東1里計山寺という所にあり(今薭生村の枝村に山寺という所あり。その地に五智院屋敷・成就院屋敷の遺跡残れりという)。
天平寶字4年(760年)泰澄が草創せる所にて七堂伽藍備わり寺領も若干ありしに、永亨の頃(1429年~1441年)兵燹(へいせん)に罹り殿宇みな灰燼(かいじん)となれり。
本尊毗首羯麿*2が作りし弥陀の霊像池中に沈めて、時に奇瑞(きずい)を現せしかば、その地に1宇を建立して尊像を安置す。即ちこの寺なりという。
慶安元年(1648年)官より本村にて寺領7石5斗を寄付せらる。

客殿

12間に8間、東向き。
本尊弥陀、閻浮檀金*3の立像、長1尺4寸7分。毗首羯麿作という。

庫裏

客殿の北にあり。
7間に4間。

鐘楼

客殿の東にあり。
2間四面。
鐘、径2尺2寸。『安永六龍集丁酉孟秋穀且越之后州魚沼郡小千谷龍久山五智院元基法印快精再鑄法印隆恭戮が檀主和南津邑喜多村良宗』と彫付けあり(安永6年:1777年)。

護摩堂

客殿の南にあり。
3間四面。

太子堂

護摩堂の西にあり。
2間に1間半。

稲荷神社

客殿の東北にあり。

山王神社

客殿の東南にあり。

門徒

菩提院 境内にあり。本尊薬師。
延命寺 同上。本尊地蔵。

寶物

悟悔序 1軸。空海筆という。

成就院

村中にあり。
妙椿山と號す。真言宗、五智院の末寺なり。
昔五智院十八坊の1にて泰澄が開基なり。
後、兵火の為に頽轉(たいてん)し、永禄中(1558年~1570年)この地に再建すという。
大日を本尊とし客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘、径2尺5寸。『越後國魚沼郡妙椿山成就院法印覺澄延享元甲子天七月吉祥日』と彫付けあり(延享元年:1744年)。銘あれども煩わしければ略す。

薬師堂

境内にあり。

天満宮

同上。

稲荷神社

同上。

門徒

遍照庵 境内にあり。本尊大日。

證光院

村中にあり。
法輪山と號す。真言宗、五智院の末寺なり。
元慶中(877年~885年)真雅が開基せる所という。
本尊大日客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘、径2尺2寸。『享保十五庚戌天五月吉日建立者法印元了代』と彫付けあり(享保15年:1730年)。銘あれども載せず。

十王堂

境内にあり。

大日堂

同上。

稲荷神社

同上。

金毘羅神社

同上。

慈眼寺

村中にあり。
船岡山と號す。真言宗、五智院の末寺なり。
元慶中(877年~885年)真雅が草創なりという。
正観音を本尊とし客殿に安ず。
鐘1口あり。径2尺3寸、『明和七龍次庚寅林鐘穀且越後州魚沼郡小千谷邑船岡山慈眼寺願主法印芳譽』と彫付けあり(明和7年:1770年)。銘あれども録せず。

門徒

圓明寺 境内にあり。本尊地蔵。

照專寺

村中にあり。
山號を日光山という。浄土宗、京師智恩院の末寺なり。
開山日譽は鎌倉の産にて、天正中(1573年~1593年)に建立すという。

客殿

9間半に7間半、北向。
本尊弥陀。

鐘楼

客殿の東にあり。
鐘、径2尺5寸。『寶永戊子年九月吉祥日吉澤氏母儀當寺十三代辨蓮社真譽上人京圓良無和尚』と彫付けあり(寶永5年戊子:1708年)。銘あれども載せず。

経蔵

鐘楼の北にあり。

観音堂

境内にあり。

稲荷神社

同上。

塔頭

源壽院 境内にあり。本尊弥陀。
寶珠庵 同上。本尊弥陀。

寶物

六字名號 1幅。開山日譽筆。2世呑譽に付属する所の物という。

極楽寺

村中にあり。
青木山と號す。浄土真宗西派、信州雄山村普願寺の末寺なり。
慶長中(1596年~1615年)玄順という僧開基すという。
本尊弥陀客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘、径2尺5寸。『元文元年辰八月日願主惠空寄進惣門徒』と彫付けあり(元文元年:1736年)。銘あれども略して載せず。

寺中

常敬寺 境内にあり。本尊弥陀。

專正寺

村中にあり。
定業山と號す。浄土真宗、京師東本願寺の末寺なり。
開基の僧を教圓という。
永禄の頃(1558年~1570年)信州長沼の山中大滝口という所より古志郡椿沢村に移住し、元和中(1615年~1624年)第2世善宗この地に移るという。
弥陀を本尊とし客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘、径2尺6寸。『越後之國魚沼郡小千谷邑定業山專正寺十九世律師喚響代寛政十戊午歳八月十一日』と彫付けあり(寛政10年:1798年)。銘あれども載せず。

寺中

不退寺 境内にあり。本尊弥陀。

観音堂

村より11町余未(南南西)の方にあり。
大同中(806年~810年)空海当国に来て衆生利益(しゅじょうりやく)の為に一刀三禮(いっとうさんらい)*4して観音の像を彫刻し弘誓(ぐぜい)の船に乗せ信濃川に浮べしに、その像この地に着岸せし故堂を建て安せしとぞ。
観音、長3尺余、立像なり。
二王門あり。慈眼寺これを司る。

山王神社

境内にあり。

稲荷神社

同上。

観音堂

村中にあり。
創立の年月をしらず。
村民の持なり。

古蹟

城跡

村より辰(東南東)の方にあり。
東面は断崖にて信濃川に臨む。
今みな畑となりその形さだかならず。
何人の営築せし所にか詳ならず。




余談。
越後佐渡デジタルライブラリー内の各明細帳ですが、神社なら請求記号19-1、寺院なら請求記号52-1あたりがこの村に該当するかと。
一部引用します。
※No.1 神明社(本町)

※No.9 瑞玉神社(城内)

※No.10 城上神社(千曲川)
最終更新:2020年12月02日 17:14

*1 立春より88日目の日

*2 毘首羯磨(びしゅかつま):帝釈天(たいしゃくてん)の侍臣で細工物や建築をつかさどる神。転じて美術工芸に巧みな人

*3 閻浮提(えんぶだい)の閻浮樹の下にあるという金塊。または閻浮樹の林を流れる川の底に産する砂金。また広く良質の金をいう

*4 仏像を彫刻するとき、ひと彫りごとに三度礼拝する