魚沼郡小千谷組土川村

越後国 魚沼郡 小千谷組 土川(つちかわ)
大日本地誌大系第34巻 88コマ目

小千谷陣屋の西に当り行程9町余。
家数7軒、東西25間・南北1町55間、四方田圃(たんぼ)なり。

東3町50間・南2町18間、共に小千谷村に界ふ。
西1町6間薮川新田村の界に至る。その村まで10町20間余。
北1町14間西千谷川村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り11町20間。

枝村

天王(てんわう)

本村の北2町にあり。
家数9軒、東西1町・南北1町10間、四方田圃なり。

笹田(ささた)

本村の東3町にあり。
家数15軒、東西6間・南北1町10間。
妻有荘諸村に通る道に住し、東は小千谷村に続く。

関梁

橋2

一は村北1町30間にあり。長6間半・幅1間。
一は村北2町にあり。長7間・幅1間。
共に小川に架す。隣村の通路なり。


神社

弥彦神社

祭神 天香山命(あめのかぐやまのみこと)
鎮座
村東にあり。
延喜式に載する所の魚沼神社なりという。
この神は天孫降臨の時供奉(ぐぶ)32神の随一にて、綏靖(すいぜい)天皇*1の御世に紀州熊野新宮より当国に遷座しここに鎮座あり。然れどもこの神もと熊野浦に鎮座有て漁舟(ぎょしゅう)を好み給うに因り、海浜の地を(えらび)て下弥彦に遷座し給い、考安(こうあん)天皇*22年2月2日この地にて崩し給うといい伝う。
毎年正月28日より2月2日まで、7月28日より8月2日まで祭禮あり。
昔は正員末社18座あり。今荒廃して(わずか)に存せり。
社前に昔よりの神木とて年久き枯木1株あり。高6間計・周1丈余。
應安元年(1368年)官より本村にて社領20石を賜う。

鳥居

両柱の間1丈。

石鳥居

両柱の間9尺。

本社

1間四面、東向き。

幣殿

2間半に1間。

拝殿

5間に3間。
鰐口1口あり。径1尺4寸、『彦彌南無大明神奉懸鰐口越後國魚沼郡吉谷村永享九年十一月十五日大願主西片彌三郎平光行敬白』と彫付けあり(永享9年:1437年)。

神輿殿

本社の北にあり。

随神門

本社の東にあり。

末社 赤崎神社

本社の地を離れて3町20間余寅(東北東)の方にあり。
18末社の1なり。

末社 天王神社

本社の地を離れて1町40間余亥(北北西)の方にあり。
18末社の1なり。

神職 五十嵐修理

永禄中(1558年~1570年)都内権大夫という者神職を勤め、その後小川氏・蔵田氏・小林氏等相続いて神職たり。
寛永3年(1626年)五十嵐民部勝弘という者より相続すること9世にして今の神職敞賢に至るという。

寶物

  • 大般若経
    • 上杉謙信越中国に乱入の時、七社明神より乱妨(らんぼう)し来て当社に奉納すという。闕巻(けっかん)あり全からず。第14巻に『二秩旦那宮島住人右馬次郎右筆者船□寺住侶王心至徳二二年正月十二日檀那東桿上右馬允執筆金剛佛子新保慶禰』、第84巻に『于時□□*3二二年丁卯五月廿二日檀那□庄新保新寶右筆者金剛佛子慶禅』、第270巻に『再興檀那住海池原寺宗信』、第322巻に『于時嘉慶三年卯月廿二日筆者玉玄也』、第323巻に『于時康應二年三月十日筆者玉玄』、第573巻に『應永二年二月筆者聖貞』等の書付あり(至徳4年:1387年、嘉慶3年:1389年、康應2年:1390年、應永2年:1395年)。
  • 日記
    • 1巻。天正中(1573年~1593年)18末社及び年中神事の次第を記せし小冊なり。
  • 古文書
    • 8通。その文如左(※略)


  • Google Map
    • 土川
    • 天王地区 - 土川の北西、天王神社のある辺りが該当。
    • 笹田? - 地名に残らず。土川の東にある上ノ山1丁目あたりが該当?
    • 魚沼神社(弥彦神社)
    • 赤崎神社 - なし
    • 天王神社
      • 神社明細帳を見ると、土川字天王にあるのは津島社(祭神は素戔嗚尊)となっています。天王神社の社名は後年に地名から付け直されたのでしょうか?
        ※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 19-1』No.17。


余談:魚沼神社。
神社明細帳(請求記号19-1)を参照します。
県社・魚沼神社、祭神は天香語山命(あめのかぐやまのみこと)で、崇神天皇の御宇(ぎょう)創立との事。延喜式には当国二宮と記載があり、弥彦神社と同じ神を奉っているため当社を上弥彦神社とも称するとの記載があります。
※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 19-1』No.7より

なお、社殿間数の所に「神輿舎(しんよしゃ)」とありますが、これは阿弥陀堂の事です。魚沼神社阿弥陀堂は国の文化財に指定されています(参考:文化遺産オンライン)。


補足:弥彦村の赤崎神社。
神社明細帳(請求記号11-1)を見ると、現在の弥彦村(旧住所は西蒲原郡矢作村大字矢作字行道塚)に無格者・赤崎神社の登録がありました。
祭神は須佐男尊(すさのおのみこと)天香語山命(あめのかぐやまのみこと)・乙州好連命で、慶長11年(1606年)3月に創立との事。ただ、この社は昭和36年の台風により倒壊し、昭和46年に付近の神社が合併し矢作神社と社号を変更したそうです。
風土記本文にある赤崎神社が弥彦村へと移転したわけではないようですね。
※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 11-1』No.76より
蛇足:ネット上を調べると、「乙好連命」を「乙好連命」と記載している方が多いようです。
最終更新:2020年12月08日 21:34

*1 神武天皇の第三皇子

*2 第6代天皇

*3 この2字読難し。然れども至徳應永の間4年"丁卯"はただ至徳4年(1387年)なり。この年8月嘉慶と改元あり