魚沼郡小千谷組三佛生村

越後国 魚沼郡 小千谷組 三佛生(さんふしやう)
大日本地誌大系第34巻 85コマ目

小千谷陣屋の北に当り行程1里。
家数143軒、東西5町32間・南北2町9間。
東は信濃川に臨み三方田圃(たんぼ)なり。

東5町50間、長岡領古志郡妙見村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り16町30間余。
西12町25間小粟田村の界に至る。その村まで15町30間余。
南5町26間千谷村の界に至る。その村は申(西南西)に当り9町30間余。
北1町23間、公領三島郡高梨村の界に至る。その村まで4町50間。

山川

信濃川

村東にあり。
千谷村の境内より来り、17町北に流れ妙見村の境内に入る。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
鎮座 不明
村中にあり。
村民の持なり。

妙見神社

祭神 妙見神?
勧請 不明
村中にあり。
村民の持なり。

白山神社

祭神 白山神?
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居拝殿あり。天和3年(1683年)神職の田地を免除せらる。

神職 佐藤将監

明暦中(1655年~1658年)より和泉成利という者神職を勤め、今の将監短利まで6代なりという。

寺院

遍了寺

村中にあり。
開基詳ならず。
天和の頃(1681年~1684年)までは圓了寺という。浄土真宗東流、頸城郡高田本誓寺の末寺なり。
弥陀を本尊とし客殿に安ず。
門上に鐘を懸く。径2尺8寸、『寛保元辛酉天八月十九日越後國魚沼郡三佛生村遍了寺第四世閑嶺代』と彫付けあり(寛保元年:1741年)。

古蹟

寺跡

村寄り丑(北北東)の方40間にあり。
昔観音寺という寺あり。延文の頃(1356年~1361年)水災に逢い廃せしという。今は川となりその跡さだかならず。


  • Google Map
    • 三仏生
    • 熊野神社
      • 神社明細帳によれば祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊で、文禄5年(1596年)に紀伊国より勧請したとのこと。
    • 妙見社 - なし
      • 明細帳にある祭神は思兼命(おもいかねのみこと)です。
      • 明治45年2月22日に白山神社と合併したとのこと。
    • 白山神社
      • 境内にも社あり。祭神は白山比咩命(しらやまひめのみこと)です。
    • 遍了寺
    • 水天宮
    • 三仏生百塚
      • 『三仏生集落の西、約1キロにわたって百塚と呼ばれるところがある。139基の石像が確認されており、夕日長者や塚を数えると背負っていた赤子の首が飛ぶなどいくつかの伝説が残されている。』(参照:おぢやインターネット情報博物館
    • お堂
      • 道路沿いにお地蔵様が並んで立っている所です


余談。
寺院明細帳(請求記号:52-3)を見ると、三仏生には遍了寺の他に3つ寺院があるようです。
No. 名称 本尊 受持寺院 旧住所
32 薬師庵 薬師如来 千田村大字三仏生字村中
33 観世音堂 潮音寺(小粟田村) 正観世音菩薩 千田村大字三仏生字村中
34 観音堂 長楽寺(千谷村) 正観世音菩薩 千田村大字三仏生字稲場
地図上に記載が無いので住所どころか現存するかどうかも不明です。こちらの記事(おぢやインターネット情報博物館)によると、三仏生の『地名の由来は、薬師、観音、阿弥陀の3体の仏像が信濃川から上がったことによる』とあり、古くから遍了寺の本尊阿弥陀如来の他に2つの仏像がこの地にあったようです。今は一体どこに?


蛇足。
(2020/12/03現在)Google Map上に「神社」とだけ書かれたマークがありますが、おそらく神社ではありません。現地を確認できないためハッキリとは分かりませんが普通の民家ではないかと。
最終更新:2020年12月03日 18:19