小千谷陣屋の南に当り行程3里。
家数26軒、東西42間・南北2町16間。
東は信濃川に臨み西は山に傍ふ。
東16町
岩沢村の界に至る。その村まで1里。
西1里17町2間、公領本郡仙田村の山に界ふ。
南18町52間
十日町組野口村の界に至る。その村まで1里。
北1里42間
東西吉谷両村の山に界ふ。
また
寅(東北東)の方1里8町50間
塩殿村の界に至る。その村まで1里34町20間余。
枝村
石名坂
本村の北5町にあり。
家数27軒、東西2町・南北1町20間。
東は信濃川に傍ひ西は山に倚る。
中山
石名坂の丑(北北東)の方1町余にあり。
家数26軒、東西3町・南北1町。
東は信濃川に傍ひ西は山に近し。
芋坂
本村の寅(東北東)の方1里にあり。
家数24軒、東西1町26間・南北3町35間。
南は信濃川に傍ひ北は山に近し。
時島
芋坂の寅(東北東)の方6町にあり。
家数13軒、東西1町10間・南北1町40間。
東南は信濃川に傍ひ北は山に近し。
三木明・干溝
本村の申(西南西)の方12町にあり。
三木明、家数28軒。
干溝、家数25軒。
東西4町10間・南北2町30間、雑居す。
東は信濃川に傍ひ西は山に近し。
沢口
干溝の申(西南西)の方6町にあり。
家数19軒、東西50間・南北3町。
東は信濃川に近く西は山に傍ふ。
上島
沢口の巳(南南東)の方1町余にあり。
家数36軒、東西3町・南北5町16間。
東は信濃川に近く西は山に傍ふ。
万年
三木明の西2町余にあり。
家数9軒、東西50間・南北30間、山間に住す。
源藤山
本村の戌(西北西)の方17町20間にあり。
家数24軒、東西2町5間・南北2町、山間に住す。
若栃
源藤山の亥(北北西)の方15町30間にあり。
家数45軒、東西2町30間・南北2町45間、山間に住す。
桂平
源藤山の戌(西北西)の方18町40間にあり。
家数10軒、東西2町5間・南北50間、山の半腹に住す。
北山
桂平の南7町にあり。
家数69軒、東西3町・南北1町40間、山の半腹に住す。
芹久保
若栃の亥(北北西)の方7町20間にあり。
家数28軒、東西1町5間・南北2町13間、山の半腹に住す。
山新田
芹久保の寅(東北東)の方12町にあり。
家数14軒、東西1町・南北49間、山間に住す。
一沢
山新田の辰(東南東)の方11町余にあり。
家数24軒、東西2町15間・南北35間、山間に住す。
山川
信濃川
池2
一は枝村北山の西1町50間、山中にあり。東西50間・南北30間、牛池という。
一は枝村芹久保の北2町10間、山中にあり。東西10間・南北30間、笹池という。
関梁
船渡場
村東にあり。
信濃川を渡し隣村に通す。
神社
諏訪神社
村中にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
八幡宮
枝村時島にあり。
村民の持なり。
八幡宮
枝村芹久保にあり。
村民の持なり。
十二神社
枝村若栃にあり。
村民の持なり。
十二神社
枝村北山にあり。
村民の持なり。
寺院
般若寺
村中にあり。
勢至山と號す。真言宗小千谷村五智院の末寺なり。
建立の年代詳ならず。
本尊大日客殿に安ず。
阿弥陀堂
境内にあり。
圓藏寺
枝村上島より2町30間戌(西北西)の方にあり。
寶慶山と號す。白川領本郡上野村長安寺の末寺曹洞宗なり。
天正中(1573年~1593年)舜理という僧草創すという。
釈迦を本尊とし客殿に安ず。
鐘楼あり。鐘、径2尺3寸、『維時寛政三辛亥年七月七日』と彫付けあり(寛政3年:1791年)。銘あれども煩わしければ載せず。
正應寺
枝村若栃にあり。
山號を白雲山という。曹洞宗東吉谷村圓満寺の末寺なり。
元和中(1615年~1624年)圓満寺第2世文榮という僧開基すという。
本尊釈迦客殿に安ず。
十王堂
村中にあり。
創立の時代を詳にせず。
村民の持なり。
阿弥陀堂
枝村石名坂にあり。
何れの頃の建立ということを伝えず。
般若寺司なり。
地蔵堂
枝村中山にあり。
草創の年月しれず。
村民の持なり。
観音堂
枝村源藤山にあり。
建立の年月をしらず。
村民の持なり。
薬師堂
枝村北山にあり。
創建の年月伝わらず。
村民の持なり。
余談:地名・真人(まつと)にまつわる伝承。
小千谷観光協会のHPに真人の地名の由来について書かれた記事がありました。
一部引用します。
八幡太郎義家をご存知ですか。
本当の名前は源義家といい、鎌倉幕府を開いた源頼朝は義家のひ孫にあたるといわれています。平安時代の終わり頃、八幡太郎義家は奥州平定を命ぜられ奥州へ向かう際に兵士を率いて小千谷の地を訪れ、その時桜町にある八幡神社(現伊米神社八幡宮)に立ち寄り戦勝を祈願して奥州へ向かったといわれています。
祈願のかいあって奥州を平定した後、都へ帰還する途中にふたたび小千谷に立ち寄ってお礼のお参りをし、余程感謝していたのか、八幡さまの社を守るため家来の中から阿部氏・永野氏の二人を残して行きました。
(中略)
ここで、真人村(まっとむら)の「まっと」も珍しい呼び方の地名だと思いませんか。
この呼び名も何かの因縁か八幡太郎義家(源義家)がこの地を訪れ、当然のごとく蝦夷(えみし)の人間が住む地だと思い込んでいたところ、大和人が住んでいた事にホッとして、真人(まひと)の住むところと言ったことから、真人という地名になったそうです。
記事の全文はこちら→
源平にまつわる話し。
平家の落人(羽鳥一族と屋島の戦いで敗れた兵)の話と三木明の地名の由来も載っています。
余談:神社について
神社明細帳(請求記号22-1)にある真人の神社を一覧にします。
No |
社名 |
祭神 |
旧住所 |
他 |
1 |
八幡神社 |
誉田別尊 |
久保田 |
|
2 |
八幡神社 |
誉田別尊 |
水上 |
|
3 |
八幡神社(現:時之嶋神社) |
誉田別尊 |
時之島 |
明治44年12月7日に十二神社を合併し改称 |
4 |
神明神社 |
天照皇大神 |
大滝 |
|
5 |
神明神社 |
天照皇大神 |
中原 |
|
6 |
諏訪神社 |
健御名方命 |
家ノ前 |
|
7 |
諏訪神社(現:真人神社) |
健御名方命 |
真人 |
大正13年7月12日に改称 |
8 |
諏訪神社 |
健御名方命 |
三木明 |
|
9 |
熊野神社(現:中山神社) |
伊弉冊尊 |
中山沢 |
大正元年12月に農庭の十二神社を合併し改称 |
10 |
白山神社 |
伊弉諾尊・伊弉冊尊 |
峠 |
大正5年9月に地神楽十二神社へ合併 |
11 |
十二神社(現:若橡(栃)神社) |
大山祇命 |
十二所 |
大正7年3月8日に改称 |
12 |
十二神社(現:北山神社) |
大山祇命 |
宮ノ越 |
明治3?年7月15日に松尾神社を合併し改称 |
13 |
十二神社 |
大山祇命 |
市ノ沢 |
|
14 |
十二神社(現:上ノ山神社) |
大山祇命 |
上山 |
大正2年に秋葉神社を合併し改称 |
15 |
十二神社(現:地神楽神社) |
大山祇命 |
地神楽 |
大正5年9月に白山神社を合併し改称 |
16 |
十二神社 |
大山祇命 |
農庭 |
大正元年12月3日に中山沢の熊野神社へ合併 |
17 |
十二神社 |
大山祇命 |
栗山 |
|
18 |
十二神社 |
大山祇命 |
桂平 |
|
19 |
十二神社 |
大山祇命 |
孫四郎 |
|
20 |
十二神社 |
大山祇命 |
時之島 |
明治44年12月7日に八幡神社へ合併 |
21 |
劔神社 |
素戔嗚尊 |
上之島 |
|
22 |
金刀比羅神社 |
金山彦命 |
亀山 |
大正5年9月に羽黒神社へ合併 |
23 |
松尾神社 |
木花開耶姫命 |
宮ノ越 |
明治3?年7月15日に十二神社へ合併 |
24 |
羽黒神社 |
倉稲魂命 |
亀山 |
大正5年9月30日に金刀比羅神社を合併 |
25 |
秋葉神社 |
軻遇突命 |
上山 |
大正2年10月9日に十二神社へ合併 |
余談:寺院について
寺院明細帳(請求記号55-1、2)にある真人の神社を一覧にします。
No |
寺院名 |
本尊 |
旧住所 |
55-1.1 |
般若寺 |
大日如来 |
|
55-1.2 |
円蔵寺 |
釈迦牟尼佛 |
|
55-1.3 |
正應寺 |
釈迦牟尼佛 |
若栃 |
55-2.29 |
薬師堂 |
薬師如来 |
|
55-2.30 |
十王堂 |
地蔵菩薩 |
真人 |
55-2.31 |
観音堂 |
観世音菩薩 |
上ノ山 |
最終更新:2020年12月12日 21:01