この町、いつの頃置くということを詳にせざれども蒲生氏の時既にありしという。
七日町四谷と薬師堂河原の間にあり。
東西2町13間余・幅5間、家数71軒。
みな穢多の居なり。革細工を業とす。
また往古より毎年正月
福よし・蚕種数などいう事を唄い府下の家々及び村里を巡て米銭を乞(若松の条下に照らし見るべし)。
町末を黒川流る。
癩人小屋
この町より少し離て西にあり、いつの頃置という事を詳にせず。
癩疾にかかりて寄邊なき者は凡てこの小屋に入れ乞食をして身を終えしむ。
この小屋の構の内に假埋場とて諸罪人の牢死せる者を假に埋おく所あり。癩人をして守らしむ。
また蒲生家の時より預かりしという鐵釜2口あり。罪人を煮たる釜なりという。
褒善
甚右衛門
この町の穢多にて假に肝煎役を勤し者なり。若きより父に事て殊勝の行とも多し。父母失せし後は朝夕佛前の勤懈らず子の源右衛門その妻いそも孝心深く、折にふれて珍しき食物等あれば価の高卑をいわず夫婦衣類を鬻ぎても求め進めけるに、甚右衛門先ず父母の霊前にすすめ小の供るよしを告、後みづからも食しけるとぞ。先に甚右衛門が父恒に言いけるは、我々穢多町にすみて良民の交わりもなしがたし、責ては心を正直にし上を敬い良き行あらはやと教えさとしける。されば甚右衛門より源右衛門夫婦までかかる篤行ありしにこそ延享2年(1745年)3人に銭若干を与て賞せり。
孝行者利八
寶暦10年(1760年)褒賞して銭を与えり。
孝行者しち
利八妻なり。同上。
外部リンク等
余談
本文にある「七日町四谷」は現在の七日町駅付近。
そこから国道252号線を涙橋方面に向かい、西福寺の辺りまでが穢多集落のあった所かと
最終更新:2026年01月11日 01:06