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陸奥国 若松 郭外 下町 赤井(あかい)
大日本地誌大系第30巻 159コマ目
幕末会津若松城下地図 - 会津若松市/デジタルアーカイブ

諏訪四谷の北に並び、桂林寺町より西の方融通寺町にゆく道なり。
長3町14間余、家数48軒。

この地、葦名盛氏の臣赤井因幡が郎等どもの居し(ゆえ)この名あり。

また西光寺の境内に家数23軒あり。
窪内(くほのうち)という。

専福寺蹟

この町の北頬にあり。
寛文中(1661年~1673年)餌指(えさし)町に移せり。

寺院

西光寺

この町の北頬にあり。
或は窪寺と称す。
相州*1藤澤清浄光寺の末山時宗なり。山號を平等山という。
祖師一遍第30世の法嗣遊行・他阿弥が草創なり。
縁起を案ずるに、永禄9年(1566年)他阿弥本州に来り蘭若を開んとて地を葦名盛氏に請ひ、同年この道場を創む。
もと大町にあり、後にここに移る。中ころ災に罹りて古記烏有(うゆう)し事実の詳なることを知らず。

客殿

9間に7間、南向き。
本尊三尊弥陀。

地蔵堂

境内にあり。4間に3間。
寛延元年(1748年)結縁のため諸人の請に応じ江戸囘向院に於て開帳す。
霊験ありしにより竹姫君より斗帳ならび挑燈(ちょうちん)を賜はる。
また地蔵ならび二童子の画像一幅あり。今に於て日限地蔵と称し人の帰依多し。

熊野宮

境内にあり。


参照・補足


外部リンク等



江戸屋薬局

『若松緑高名五幅対』の薬種の欄に記載があります。
※[会津若松市]デジタルアーカイブ
最終更新:2026年02月10日 17:03
添付ファイル

*1 相模国。現在の神奈川県