諏訪四谷の北に並び、桂林寺町より西の方融通寺町にゆく道なり。
長3町14間余、家数48軒。
この地、葦名盛氏の臣赤井因幡が郎等どもの居し故この名あり。
また西光寺の境内に家数23軒あり。
窪内という。
専福寺蹟
この町の北頬にあり。
寛文中(1661年~1673年)餌指町に移せり。
寺院
西光寺
この町の北頬にあり。
或は窪寺と称す。
相州藤澤清浄光寺の末山時宗なり。山號を平等山という。
祖師一遍第30世の法嗣遊行・他阿弥が草創なり。
縁起を案ずるに、永禄9年(1566年)他阿弥本州に来り蘭若を開んとて地を葦名盛氏に請ひ、同年この道場を創む。
もと大町にあり、後にここに移る。中ころ災に罹りて古記烏有し事実の詳なることを知らず。
客殿
9間に7間、南向き。
本尊三尊弥陀。
地蔵堂
境内にあり。4間に3間。
寛延元年(1748年)結縁のため諸人の請に応じ江戸囘向院に於て開帳す。
霊験ありしにより竹姫君より斗帳ならび挑燈を賜はる。
また地蔵ならび二童子の画像一幅あり。今に於て日限地蔵と称し人の帰依多し。
熊野宮
境内にあり。
参照・補足
外部リンク等
江戸屋薬局
『若松緑高名五幅対』の薬種の欄に記載があります。
※[会津若松市]デジタルアーカイブ
最終更新:2026年02月10日 17:03