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陸奥国 若松 郭外 下町 当麻中(たいまなか)町(當麻中町)
大日本地誌大系第30巻 164コマ目
幕末会津若松城下地図 - 会津若松市/デジタルアーカイブ

当麻町より西に折れ末は西黒川分に通す。
長1町48間・幅4間、家数32軒。
当麻町より別るる通(ゆえ)この名あり。

また、この町の中ころより善久町を経て針屋に出る小路あり。中町といい長1町42間、家居1軒。(小黒川分の民居なり)
この町の末に続くを家風(けふう)といい、家数2軒。

寺院

長泉寺

この町の南頬にあり。
珠得山と號す。大町東明寺の末山時宗なり。
相伝う。東明寺の中興文峯というもの慶長2年(1597年)にこの寺を建立して退隠の地となさんとせしに、明年上杉景勝封に就て眷顧厚かりしかば、その旨を請う事を得ず。弟子權宗に命じて假に住せしめ、同6年(1601年)文峯景勝に随て米沢に移り、同12年(1607年)当寺に帰隠し間もなく遷化せり。因て文峯を開山とし權宗を第2世に列すという。
本尊弥陀客殿に安ず。

正蓮寺

この町の北頬にあり。
東本願寺浄土真宗なり。
天正元年(1573年)了善という僧本願寺に至り、寺號と本尊とを受け地を領主に請て一寺を草創す時に城西河原町にあり(舊事雑考 文禄元年(1593年)の記によれば当寺もと材木町にありしと見ゆ)後今の地に移せり。
本尊弥陀、客殿に安ず。

寶物

弥陀影像 一幅
裏書に本願寺釋顯如とあり。
年号を記せし所分明ならず。
蓮如影像 一幅
「慶長甲寅年六月十九日奥州會津若松正蓮寺常住本願寺釋教如願主釋浄了」と裏書あり。

大運寺

正蓮寺の西に並べり。
廣博山と號す。江戸増上寺末山浄土宗なり。元和3年(1617年)寂譽という僧草創す。
本尊弥陀、客殿に安ず。


外部リンク等


余談

  • 昔は長命寺の裏手から湯川までの間は田んぼが広がっていた
最終更新:2026年01月19日 20:29
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