小瀬沼
檜枝岐村の南にあり。
東西1里12町・南北18町。半を限り上野国利根郡の支配なり。
大江沢、釜堀沢の諸渓流入る。蒪菜多く鮒・岩魚を産す。四方に山を擁し水面鏡の如く、大巖その中に屺立し、鸕鷀多く集まる。四山皆勢緩く「ツカ」樅柳の外さらに他木を交えず。
獨燧嶽のみ近く北岸に峙ち、上には巖石重畳し下には雑木繁茂す。遠く西南を望めば至佛の悛嶺敷峯の奥にあらわれ、残雲奇状をなす。幽邃の勝地なり。
檜枝岐村より戸倉村まで行程8里計。山谷の間人家なし。戸倉村よりこの沼の東岸に小屋2軒をかけ置き従来に便す。
土人この邊にて牛と舟とを言うことを忌む。これを犯せば怪異ありとて、漁獵するに筏を用いて舟を用いず。
小瀬峠(三平峠)
至佛山の東にあり。利根郡と峯を界とす。利根郡戸倉村に越る路なり。
小瀬平
古町組檜枝岐村の西にあり。東西3里計。只見川原中を流れる。
土人の説に、昔以仁王に供奉し来りし小瀬大納言藤原頼国という人住せし地なりという。
今も小瀬沼の北岸に小瀬殿の的場の跡と伝あり。
又、原中に水田の形残れる所ありとぞ。
この原の半を限り、只見川より西は上野国利根郡支配の地なり。
尾瀬の名前の由来(説)
小瀬(尾瀬)の名前の由来について取り上げている所がありましたのでご紹介。
一部引用
「尾瀬」の語源
尾瀬の名前の由来はいくつかの説があります。主なものはの3つです。
〇地勢説
「瀬」には「川の水が浅く人が歩いて渡れる所」という意味があります。尾瀬は「生瀬」(おうせ)のことであり、浅い水湖中に草木が生えた状態である湿原を意味する「生瀬」が転じて「尾瀬」となったといわれています。
〇尾瀬氏説
平家追討の合戦で敗れた尾瀬大納言(尾瀬三郎房利)が落ちのびて永住して尾瀬氏となったなどの落人伝説です。
〇安倍貞任「悪勢」説
前九年の役で滅んだ奥州安倍貞任の子が逃げ込み、付近の部落を襲って、「悪勢(おぜ)」と呼ばれ、転じて尾瀬となった説
なお、会津風土記の本編に語源についての記載はありませんでした。
牛と舟とを言うことを忌む
理由がよくわからないが、三重県では舟の上で獣の名前を呼ぶことを禁忌とする風習がある。その延長か?
参照:
(俗信),船霊さま
要約
漁師は船の上で獣の名を呼ぶのを忌む。特に牛と猿が忌まれ、牛はクロツボ、クロ、猿はマシ、ヤエン、エテという。もし用いたら船霊さまに神酒を献じてその日のエンキをなす。
最終更新:2025年06月08日 23:40