黒川の西新町の東にあり。
その名の従て起る処を詳にせず。
或は伝う。天應元年(781年)陸奥大堟・石川浄足伊治公呰麻呂が乱を避け本州宮城郡多賀城より
來奔し
堂家(今の
滝沢組牛墓村の地)という処に潜み居しが、終に彼こにて身まかりぬ。
後その子孫分れて三家となり、一は堂家と称し、一は石部と称し、一は石塚と称して三浦の時まで
猶当時の
勢家たり。
この地は彼の石塚が館ありし所
故この名残るという。
石塚
外部リンク等
余談
- 石塚六軒丁の東、黒川には江戸時代には仮橋が、現在は湯川橋が架けられています
最終更新:2026年02月04日 21:18